恥ずかしいのですが、私は今から宇宙飛行士になろうって本当に思ったら思い込めてしまうぐらい、まだ夢見がちなところがあります。現実と自分の力とかを測りにかけることができません。
それと同様に、スケジュール立てでも、本当に無理みたいなスケジュールを立ててしまいます。ずっとスパルタ、休みなしで詰めちゃう感じです。ところが、それができないと、今度はできない自分に自己否定みたいな感じになってしまいます。
それは今まで、周りから無理だよと言われたことも、運よくできてしまったことがあって、根拠のない自信みたいなものがあるからだと自分では思っています。
これから大人になっていく上で、自分を正しく測って、これは無理だ、これは無理じゃない、と事前にある程度わかっておきたいのですが、それはどうしたら良いでしょうか。
【お父さんの答え】
ほかの人から見たら無理だ、ということまでやれると思うことができてしまうなら、それはそれでいいんじゃないかと思います。
人間って本能的に、自分ができないと思うことは、やりたくないって思うように作られているんじゃないかな。
だから、自分がやりたいと思ったことは、やりたいと思って良いと僕は思います。
これは無理、これは無理じゃないとか、自分の力を測るようなことは必要ない感じがします。
もともと、人は自由に発想してくださいと言われても、大きな夢を描いてくださいと言われても、できるものではないと思っています。
よく言っていますが、4畳半のアパートの一室で暮らしている子供は、代々木公園行って、好きに走りまわって良いよと言っても、しばらく4畳半の広さをグルグル走っているだけです。それと一緒だと思う。8畳の部屋の子供は8畳分しかグルグルと走らない。で、だいぶ慣れてきてから、遠くに行き始まる。
発想も同じで、その人の能力の範囲でしか発想できないから、無理なことはあんまり考えないんんじゃないかと僕は思います。
質問者:
私は多分、4畳半で育てられても、1人で20、30畳分まで行っちゃうんですよ。それは親たちが、無理だからって抑制してきて、たまに20畳で成功したことがあったので、私、できるかもしれないという勘違いをすると、痛い目に合っている。
うん、そういうことよ。
今まさに答えがあったと思います。
要は、「痛い思いをしながら自分の能力の限界値を知って行く」でいいんです。
若いうちに痛い思いをたくさんしたらいんだよ。人間は痛い思いをしないと成長できないです。良い思いをしながら成長できる、ということはない。優しい人間になりたかったらたくさん辛い思いをしなさいってことね。優しくない人は、辛い思いしていないから。
質問者:
大人になると、夢を諦めるのがカッコいいとか、ありますよね。より現実的になるのがいい、と。それは?
夢をどう捉えるか、というのもありますが、何歳であろうとも、夢を持っていない人を、軽蔑しますね。
ただ、本当に夢を持ち続ける人ってそんなにいないかもしれません。正しく夢を持てる人って少ないかもしれない。
夢にも2種類あって、みんなが得する夢、と、自分だけが得する夢があります。
自分だけが得する夢って本当にくだららない。それは夢と言いません。ただの欲です。どんな大きな夢だったとしても、強欲というだけ。
いい夢というのは、それが実現したら、まだ見ぬ誰か、不特定の誰かが得をする夢です。それを常に持っていないと、本来の人間としてはおかしいと思う。おかしくはないかもしれないけど、人間として正しい成長はできないね。
質問者:
根拠のない自信は持ち続けて良いのでしょうか。
良いと思うよ。で、いっぱい痛い思いをしたらいい。しかも、痛い思いをしてもへこたれないことだよ。
僕だって、やっぱりこの現状には満足していません。現状を変えて行くものは夢といっていいのかなと思うんだけど、いくつも夢は持っています。
例えばその1つを言うと、最近、みんなとナッツ類の苗を開墾した山に植えたでしょう。
それは将来的に、なのはなファミリーの卒業生たちで構成する農業法人の大きな収入源になると思っています。その夢が現実になったとして、僕の収入につながらないけれども、未来のなのはなファミリーの卒業生には安定した就職先の1つを作ることになる。
もちろん、夢はそれだけじゃないけれども、定年後のことを言う時にあとは余生だから、もう年金暮らしで遊びながら暮らそうみたいなことを考える人は軽蔑しますね。
何歳になろうとも、夢って言いたくないんだけど、予定って言いたいんだけどね、予定を持たないで生きてる人って、僕からするとつまらないんじゃないかって思う。だから多分、僕はそういう未来の計画とか未来の予定がなくなったら死んじゃうね。
質問者:
現実になりそうなことはあるんですけど、果てしなくそれが非現実な夢だったら大変ですよね。
あのね、それも考えようだと思いますよ。
僕たちが最初になのはなファミリーを作りたいと言ったとき、それは何だというので、「摂食障害の人が自立するのを支援する施設だ」と説明すると、何人もの人から「それは果てしなく非現実なこと」だって、言われました。
摂食障害の人っていうけど、誰が、どこから来るの? 全国から? 来るわけないでしょ、非現実的だよって。なかなか信じてくれなかったし、摂食障害がどうやって治る? という点でも、摂食障害を知る人ほど信じないということもあった。
それから17年がたちましたが、今は現実の当たり前になのはなファミリーがありますが、これは夢じゃなくて、予定が実現しているだけ。
人は何て言おうが構わない。自分で予定すれば良い。失敗したらそれは痛い思いをする。その覚悟をして、予定を実現することに全力を尽くせばいいんじゃないかな。
(2020年4月13日 掲載)
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