質問
・みんなの中にいて、悪意はないはずと分かっているのに、自分が、勝手に悪意のように感じてしまうのは、どうしたらいいですか。
また、相手に悪意があると疑ってしまうのは、自分の中に悪意があるからなのかなと思うのですが、それは合っていますか。
・私は、人と関わることが苦手だから、人と関わらないようにしようとしてしまいます。
会話もできないし、自分の中に、話したいこともないです。
人といても、人といたくない、人が嫌いオーラを出してしまいます。
どうしていったらいいのですか。
答え
僕はみんなの中にいても、世間の人と会っても、それほど悪意を感じることはないです。
自分がイライラしている人は、人のイライラしているのを拾いやすいし、自分の中にある感情は拾いやすいです。
人は多面的だから、1人の人にいろんな面があって、その中の一面をとって評価しても本当は意味がないと思います。
質問では、会話もできないし、人が嫌いというオーラを出してしまいます、ということですが、人と関わるっていう言葉は、日本語として成立していますが、それは現実にはあまりないことだと思います。
僕は人と関わろうとして、人と関わってることはないです。
僕も人間嫌いで、友達はいらないほうですけど、だけど、やっぱり楽しいとか、嬉しいとか、そういう感情は人といて感じることがほとんどです。……これで卓球を一人でやるのは大変です。つまらないです。
関わることが目的で関わるのではなく、何かをしようとして、結果的に誰かと一緒にやるということです。人の活動はほとんどそういうことが多いと思います。
ほとんどのゲームは誰かとやる。あ、ファミコンは一人でやるのか。
でも、人を相手にして戦ったり、人を相手にする方が楽しい。
しゃべる為にしゃべるというのもつまらないし、英会話の練習くらいしかない。
聞いてくれる人がいなければ、会話もできない。
自分の中に話したい事もないというのは、人と関わるのがどうこうという以前に、自分自身に対しても心を動かしたくない、感動が無い状態だと思います。
心が止まった状態なんですね。
やっぱり、心が動くというのは、わくわくする状態で、それが嫌なのかもしれません。
心が動くようなことを次々に避けていってしまう、ということじゃないでしょうか。
例えば目の前で大喧嘩が始まったら、心がマイナスのほうに大きく動きます。そういうことを何度も何度も経験してしまった人は、心臓をどきどきさせることが嫌になります。
感動してドキドキするのも、心配でドキドキするのも、とにかくドキドキする状態はもう嫌だ、と強く思ってしまうのです。
これ以上辛い思いをするのは嫌。良いことは無くても良いから、悪いことも起こらないでほしい、そういう気持ちです。
そうすると、だんだん何も見たくない、聞きたくない。良いことよりも悪いことが起こる可能性があるから、何も起こらないでほしい、となってしまいます。
極端にそういうふうに心が走ると、視力が落ちて目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりする。自分でそういうふうに身体を悪くしていくことがしばしばあります。
会話をしたくないというのは、それがもとで喧嘩になるかもしれない、言うことも思いつかないし、どんどん閉じこもっていきたい、という状態です。本人にとってはそれが一番、安全なんですよね。
狼が洞穴に籠っているみたいに。狼だから他の動物に襲われることもなさそうですけど、外に出たら、猟師に撃たれるリスクがあるかもしれない。
穴の中にもぐっていたいという気持ちの表れです。ありとあらゆる刺激から逃げたい。嫌なこと、争いから逃げたい。何か動くと良いこともあるかもしれないし、悪いことがあるかもしれない。だから刺激もないほうがいい、と思ってしまっている。
この状態から、抜け出さないと、自分の人生はいいように前に進みません。
勇気を出して。意欲を持つことが大事です。自分の好きなこと、やりたいことを持つ。
例えば、楽器を始めるとします。そうなると、誰かに教わらないといけない。必要なこと聞かないといけない。どうしたらいいのかを、必要のあることだけ喋ればいい。
話す事がないというのは、やることがないということでもあります。
やることを作らないから、話す必要がない。
お花を育ててみようかなと。これはどうしたらいいのかな、と思ったら、人に教えてもらわないといけない。
花の周りの雑草を取りたいけど、自分と何人かで取りたいけど、その時間を作りたいです、と職員に言わないといけない。
僕はおしゃべりですけど、自分の興味のあることしかしたくない。
伝えたい気持ちがあって、相手は聞きたくないかもしれないけど、必要があって、意欲があって、喋る。とにかく、意欲を持ちなさいということです。
ハートピーでは障害をもった子供の発達訓練もしています。
脳性マヒで、手足、身体が思うように動かない。それを歩かせるとか、はいはいをさせるとか、身体の機能を伸ばしていきます。
いくら動けと言ってもなかなか動きません。その手足を動かす訓練で、一番、動く気にさせることは何かというと、本人に意欲を持たせることなんです。
動く気のない子を訓練させるのはたいへんです。好きなおもちゃを見つけて、それを取りに行きなさい、というふうに動機付けをすると、それが欲しいがために、少しずつでもそっちのほうへ動いていこうとする。その意欲を前提に、手足の効果的な動かし方を教えてあげると、どんどん発達していくのです。
そのおもちゃが好きじゃなかったら、おもちゃを取りに行こうとは思わない。なんとかして行かなきゃ、と気持ちが出てるときに、「こうやれば動くよ」とやると、動くようになるわけです。
この質問のように、人が嫌いな人も同じです。
人を好きになるとかいう以前に、まず自分が心を動かせるものを見つけることです。自分で自分を励まして、前向きに生きていこうとすると、必ず誰かと何かをしたくなる、ということなのです。
人と上手に関わっていけるようになりたかったら、まず、よりよい人生を生きていきたい、という意欲を持つ事が、一番大事なことだと思いますよ。
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