この前、課題ミーティングをして思い出したことがあります。学校で読んだある本のこと。その世界はディストピアで文明が滅びて、モラルの低下や戦争で文明が滅びて、機械みたいな人類の世界になって、子供を産むのも全部機械的な感じで生む人が決まっていたり、生まれたときにみんな自分の役割が決まっていて、みんな意志がない。意志が無い生活をしているけどみんな幸せで、争いとかそういうのが無い世界の話です。
そのなかに誰か1人が、これはおかしいんじゃないっていう風に思うようになって、機械みたいな世界の人が見下している野蛮人みたいな村があって、これはおかしいんじゃないかと思った人が村に行って、村には今の感情や意志を持っている人間がいるから影響されて機械の世界のトップの人と争う、みたいなのがあったんですけど、自分が学校で習ったときは、明らかに意志を持っているほうが良いとか、感情とか自由に生きることのほうが大切、みたいな解釈で習いました。
でも今は、自分は幸せだったらどっちのほうがいいのか、どうやって解釈すればいいのかわからなくて、課題ミーティングでは、不平等があっても自分の役割に、これは間違っていないっていう思いがあるから正しく生きられると思ったんですけど、お父さんはどっちの世界が正しく生きられると思いますか。
【お父さんの答え】
あのね、マリーアントワネットがベルサイユ宮殿に住んでいたときのことなんだけど、それを思い出すね。
ベルサイユ宮殿は今でも豪華ですが、金箔で飾りつけた大きな額縁の絵がたくさんあって、ベッドルームもたくさんあって、おそらくは使用人もたくさんいて、食器をあらったり配膳したり、やってくれてたはずですよね。
でも、そこに住んでいたマリーアントワネットは敷地のなかに村をつくっていたんです。お母さんが大好きなんだけど、その村をね。
その村には農家を12軒、作っている。そこでは使用人に農家をしなさいっていって住まわせてて、農業をさせてました。そこに小さい劇場をつくっていて、マリーアントワネットが寝泊まりする自分の家もあるわけ。
マリーアントワネットはベルサイユ宮殿で暮らすよりもその村で暮らす方を好んだって言われています。今でもそのまま村が残されています。敷地の中だからね。
普通の農家で、小さい家なの。そこに行くとすごくリラックスしてみんな畑をやっていて、自分も畑仕事のまねごとをしてくつろいで、粗末な布団で寝て、それで村の人達と演劇ごっこをやって楽しむわけ。マリーアントワネットが、ですよ。
で、演劇をするためのステージも残っているわけ、まだ。当時のまま、小さいステージで客席も50席くらいあるかな。
そこでマリーアントワネットは主役をやって演じることが大好きだったっていうんですね。自分でストーリーを作って。ま、なのはなファミリーみたいなんです。
でも、表向きは、もちろんベルサイユ宮殿にいるんだよ。それは絶対に手放さなかった。それを考えるとものすごいお金持ちでね、ぜいたくでかちっとした安心感、すごい暑くもなく寒くもなく美味しいものをいっぱい食べられてっていう大豪邸に住んでいる人が、小さくて粗末な小屋にたびたび行ってしまうことを考えると、それが大事だったからなんだと僕は思いますよ。
もも(卒業生):
全く、そうだと思って、すっごい高級なレストランとかで、食べるよりもなのはなで食べたご飯のほうが幸せだなって思うし、本当に外に行って、そうだなって思いました。
だから心おきなく、その、自分の心通う人と楽しく過ごすっていうことが何よりも大事で、どんな豪華なものとか、安全だとかいうより、もともと人間は矛盾するんだけどそのごちゃごちゃ感があったり、自分が心を解き放つことができる空間、場所、人、そのほうが人にとっては大事なんじゃないかな。
ベルサイユ宮殿はものすごく天井が高いよ。だけどその農家はものすごく天井が低い。
それ思うと、その本に出てくる野蛮なほうと機械化されたほうのどちらがいいかといえば、絶対にと言っていいほど野蛮なほうが人間らしく生きられる、そっちのほうが本当の人間らしい生き方があるんじゃないかな。
れいこ:
れいこも小さいとき、なんか自分は絶対アフリカのケニア族に入ったほうが合っているって思ってて、狩りとかして、ぴょんぴょん跳ねたり、槍を持って踊ったり、自分は絶対そっちのほうだって思ってた。
僕も子供の頃、そう思ってたよ。じゃあ今度、イノシシ捕まえに行こう! 槍持って。
(2020年2月25日掲載)
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