私は何事にもノルマ感、義務感が強くあり、『それをすることが楽しいからしている』というより、やらなければいけないからやる、という気持ちで動いていると思います。だから時間を気にしてしまったり、早く解放されたい、誰にも邪魔されない自分の時間が欲しいと思うのだと思います。
今していることで具体的な例をあげると、毎朝の収穫、日々の作業、特に草刈りなどは、個人でどのくらい進んだかわかるため、自分の遅さをお父さん、スタッフさんから指摘されることが怖いと思う気持ちから、人の評価を気にする気持ちも合わさって、義務感から必死に進めて、体を痛めることがあります。今、草刈りが苦しい作業になってしまっています。
ノルマ感、義務感はどうしたらなくすことができるか、教えていただけると嬉しいです。
◯自分の答え
『~せねばならない』を、弱くしたらいいのだと思う。
私は幼少期に親から度々強く怒られてきたことや、親が怖いと思っていたことで、ノルマ感に満ちた『~しなければいけない』が強くあると思う。だからそれを弱めて、いい加減になればいいと思うけれど、そうなると、今度はタガが外れて、不真面目になったり、利己主義になったり、なぁなぁでいい加減になってしまう。そして混乱が生じる。
中庸になることがとても難しくて、義務感やノルマ感に疲れると、寝込みたくなったり、自己否定に走ったり、暗い気持ちになることを繰り返して来ているので、打開策が自分ではわからない。
【答え】
親から叱られたことがどうか、というのとはちょっと違う感じがするんです。
何事にもノルマ感、義務感があるという人は、自分のこととしていないんですよね。
人間の仕事の仕方を大きく2つに分けると、責任感を持って社長タイプでやる人と、従業員タイプでやる人がいる、と思います。
この中にもいるんです。畑作業を社長タイプでやっちゃう人と、従業員タイプでやる人がいます。
畑のリーダーさんで、いい結果を出してる人は、言ってみればみんな社長さんタイプです。自分の担当の畑は自分自身の問題といつも捉えているので、誰がどう言ったからということじゃなくて、いつも自分が結果を出すんだ、という意識でやっています。
だけど従業員タイプの人は、リーダーであろうとなかろうと、いつもやらされている人になるんです。
自分の仕事じゃないんです。
人の仕事なんですよね。
そういう人は、ずっとそういうことなのかなという感じもするんだけどね。
僕は何ていうか、……仮に誰かの下についても、何か任されて、これをやれと言われたら、自分がやるとしたらこうやったほうがいいだろう、という気持ちでやっていきますよ。
社長タイプというのは例えであってね。立場はともかく、発想が、「自分がオーナーだとしたらこうじゃないとな」っていう気持ちでやるから、全部が楽しくなってしまうんです。
全部、楽しくやれてしまうんですね。
誰だって、何かをやらされていると思ったら、もうやる前から、全部が義務的になりますよ。
全部がやらされているお仕事となる人は、前に親から抑圧されたことが原因とか、そういうものじゃないような気がします。
あと、いい加減にやるとか、やらないとかっていうのも、自分のこととしてやったら、いい加減にやったって真面目にやったって、いい結果を出さずにはいられないんです。どうやっても自分のもの、と思うと、最後は結果を出すぞとどこかで思っているはずなんです。
その仕事が、自分のものっていうふうに思ったら良いんじゃないでしょうか、ということなんですよ。
義務感を感じないでやりたかったら、それが自分のものと思えばいいということです。
仕事でも何でもそうですよ。
なのはなファミリーでは毎日のように畑作業がありますが、「この畑は自分の畑」と思ってやっている人と、「まあちょっとやれと言われているからやるか」と思ってやる人の、2つの考え方があると思います。
自分の畑と思い込んじゃってる人は、下手したら、僕が何かかんか言っても、「お父さん黙っていてください」って言い出しかねない。私がやってるんですから、って。実際に、これだけは自分たちが考えたやり方でやらせてください、と言われることがあります。
そういう人はやらされ感はまったくないです。
相談に来ても、お父さんが間違ったこと言おうが何をしようが、全部自分の責任で、良い仕事をしようとしてる。
どんな作業にせよ、そういう人にやらされ感はゼロですよ。
さあ、ここまで話したところで、みんなはどう思ったでしょうか。自分はやらされ感でやってる人なのか、それとも畑は自分のものだという意識でやっているのか。試しに手を上げてみてください。
自分の仕事としてやってる人、手を挙げてください。
畑のリーダーの人が多い。じゃあ、やらされ感が多い人、手を挙げてください。あらららら。
はい、はい。何でそうなっちゃうのか。もったいないね。
ねえお母さん、もったいないね。
何回も何回も話しするけど、お父さんもお母さんも、学生くらいのときから、バイトに行けば、本当に自分のものとして働くから、時給は倍くらいに上がるし、また次も来てくれないかって言われるし、重宝がられる。そうしていたら会社へ入っても、すごく出世するよね。
あっという間に、自分の周りには本当に信頼してくれる人で、いっぱいになるよね。
お母さんは不思議でしょうがないよ。どうして、目の前にある仕事を自分のものと考えられないのか。それって、どういうことなんだろうと思ってしまいますね。
そうだね、自分の仕事としてやる人からすると、自分の仕事を自分のものと思えないでやっている人は不思議に感じちゃうよね。不思議にね。
変な話だけど、なのはなファミリーを卒業して自立した人は、よく畑を作ります。
庭のある家に住む人はもちろんですが、ここの畑で責任感を持ってやっていた人は、ベランダで野菜を作っても、上手に作れます。
ところがそうじゃない人、やらされ感でやってた人は、畑作ろうかなと思っても、あら、どうすんだっけという感じで、作れないでしょうね。踏み出せないです。あれだけ畑を作ってたのに、野菜を世話してたのに、何も覚えてなくて、やれる気がしない。
片や、自分のこととしてやってた人は、自分でポット買って、土買って、種蒔いちゃいます。
なんか育てられるような気がして作っちゃいました、できちゃいましたって。
それだけ違うんですよ。
自分の中に残ってるものが違う。
で、僕はね、音楽を習ったことないですね。ダンスは習ったことあるけど。
なのはなファミリーで僕が教えていることで、専門的に勉強したものはほとんどないです。
だけど、何をやっても、これは違うだの、こうしたら良いだの、ああしたいだの、と言える。
習ったことはないけど見たり聞いたり、ちょっとかすったり、ちょっと遊んだりしたことがあるものは、だいたい自分のものにしてきているんです。自分の中に残ってる。自分のこととしてやってきたからですよね。自分のこととして。
建築会社に1年いた。だけど僕は文系ですから、建築の勉強はしたことがありません。だけど建築現場に出してもらって、建築の概略を覚えたから岩見田で2軒、家を建てました。結局は須原さんに中心でやってもらったんだけど、僕は須原さんがいないうちから自分でやろうとしていましたからね、みんなと力を合わせれば作れると思っていた。
結局、須原さんが、見てられないから手伝いますと言って来てくれて建ったんだけどね。
自分のこととしてやらないと、損だと思いますよ。自分の人生が人の人生になっちゃいますよ。
オーナーになれない。自分の人生のオーナーになれないんじゃないか、そんな感じがします。
自分のものと思ってやってたらね、ほんとに自分のものになるんだよ。その可能性が多いと言うか。考え方もそうだし、自分のものと思って吸収したら、自分のものになっちゃうし。
今日、おじいちゃんとも話ししていてね。マチュピチュでは石垣がすごいという話をしていてね。お母さんは、石垣を積めるんだよ。それ、お母さんは、自分の父親が石垣を積むのを見てただけなんだよ。ああ、こう積むのかって思って。
自分で、そんな上手にじゃないけど、これくらいの高さは積める自信がある、っておじいちゃんに言ったら、おじいちゃんは、「嘘だろう」って言わないんだよ。「そうだろうな」って、そう言ってくれて。
そういう話をしたんだけど。
自分のものにして動くと、それで本当に回り回って自分のものになっていくんだよ。物質的にも。
で、それは欲でも何でもないし、だから、奇麗にする。奇麗が回り回って、山小屋でもそうだけど、「こんなに奇麗に使ってくれるんだったら、ずっと好きに使っていい」と、言ってくれる。
多分、本当に欲無しで、本当に自分のものって思って手を掛けて愛情を掛けて、奇麗にしたり、一生懸命やったら、本当に自分のものと同じになるんです。好きになったもの勝ち。
好きな人もそう。さっきも恋愛の話をしたけど。
本当に好きと思って、自分のことのように相手を思って、自分だったらどうだろうって思っていたら、どんどん相手から好きになってくれるから。
この質問では、草刈り機での草刈りが苦痛になってしまうということだったけど、エンジンの草刈り機くらい楽しい仕事はないんじゃないか、と僕は思っていてね。
やっぱり、刃物で草を削るって最高に楽しいんじゃないですか。僕は楽しいですね。どんどん綺麗になっていくのが、ものすごく面白いですよね。
誰かからの評価じゃなくて、いちばん大事な評価って自分じゃないでしょうかね。
自分が評価すればいいだけのことで、面白い、しか無いんじゃないかと思うんです。
僕、最近ひとつ面白い機械を見つけてね。穴掘り機ですよ。エンジン穴掘り機。
ワイン抜きみたいなスクリューがついてて、その上にエンジンをつけて、バリバリバリっとエンジンをかけると、あっという間に穴が掘れるんです。
15センチとか、このくらいの直径。15センチのやつ買おうかなと思ってるんですけど。ドリルみたいにして、グワーンっと畑に穴を掘るんですよ。
みんなの、竹の支柱立てのときに、上から掛矢でコンコンってやりますよね。あれはなかなか大変です。だけど、これを買うと、その作業が無くなるんです。
グワーンと掘って、その穴に竹をスポッと入れて、土を入れて足で踏み固めるだけで支柱がしっかり立ってしまいます。
良いと思いませんか?
80センチの深さまで掘れます。80センチ。そんなに掘らなくても良いくらいですよね。
で、それだけのために――もう夏の、支柱を立てる野菜作りが終わっているのに、それを買うなんてお母さんに怒れられるかなと思って、なにか買う理由はないかなと思ってたら、ありました。
あのね、桃の畑で、なのはなファミリーならではの肥料を撒きたいんだけれど、あんまり下手に撒くと土質のコンディションに問題が出てくる。
それでね、その、桃の木の周り、何か所かに決めて、幹からやや遠いところに、グーンって穴を掘るんですよ。それこそ80センチ位。
そこに、特製の肥料を詰める。肥料が棒状になるわけですよ。そして、蓋をする。
そうすると桃の根が伸びていったとき、必ずその特製肥料に当たる。そのために穴堀マシンを買おうと思うんだけど、あんな、その考え、良いと思わない?
あんな:
私、今日同じこと考えてたんですよ。ちょうど80センチの深さで穴を掘ってそこに、肥料をいれようと思っていました。根っこを切るという目的もありますし、剪定と、土壌改良の意味も含めて、80センチの深さで、円状に掘る機械みたいなのがないかなって。
あるんだよ、あるんだよ!
やっぱり。しかし不思議だよなあ。僕ね、なのはなファミリー企画(卒業生で構成される農業法人)のみんなが桃の次に主力となる商品作物は何かな、と探していたら、地球の反対側の国に住む人から、大きなアドバイスをもらって、いまそれで夢を膨らませています。
ところが、盛男さんが、同じ時期にまったく同じことを考えてくれていて、もう新規作物の苗を注文したという。本当に同じことを、同じ時期に思い付くって不思議だな、と思います。
この桃の肥料やりのための穴堀り機も、あんなと僕は同時に、同じことを考えてたんだね。
僕は、昨夜、思いついたのよ。穴堀り機を買うなら、竹の支柱だけじゃもったいないけど、桃の肥料入れの穴を掘るためだったら、買う価値がある。「よし、穴掘り機を買おう」って。
あんなも同じことを考えていたなんて嬉しいね。
よし、ぜひ買って、いっぱい肥料を詰めていこう。
スコップで肥料用の穴を掘ると大きく掘りすぎて根を痛めるけど、15センチ径のドリルを買うと、15センチの穴で80センチ行くから、穴を広くしすぎなくて済むんだよね。
いくらだったんですか。
それがね。1万5千円とちょっと! 安いよね、安いでしょ。
あまり値段言いたくないんだよね、安いと思うと雑に使って壊されたら嫌だからね。送料込み1万7千円だったら十分使い勝手が良いんじゃないかな。役に立つと思うよ。
これで思うのは、あんなは自分の桃畑として、いつも桃のこと考えながら寝たり起きたりしてるんです。
僕もあんなと同じで、桃も全部、自分のこととして考えているし、いつもなのはなのことをあれこれ考えながら、寝たり起きたりしてるんですよ。
でも、自分のことですから楽しい。
うまく行っても、うまく行かなくても。
自分のことにしたら良いんですよということ。
僕は今夜、草刈機のことだけ考えながら寝ろと言われたら簡単にできますからね。
1時間寝付けなくても良い。新しい刈り方はないかな、とかね。
ホントですよ。
そういうことでね。全部、自分のことにしちゃいましょうよ。そしたら義務感、やらされ感がなくなります。人生、すごく楽しくなりますよ。本当にね。
(2018年10月9日掲載)
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