私はなぜか、自分はソフトボール部に入らなくてはいけない気がするのに、実際は他の部活を選んでいる現実に、罪悪感があります。これは自分の親ならソフトボール部に入ることをのぞむだろう、喜ぶだろうと思うこと、親の価値観を引きずっているから、という認識で合っていますか?
それとも本来の私は、お父さんから見てソフトボール部に入るべきですか?
私は今も昔も一見ソフトボール部にいそうなタイプだけど、心の中では、全然入りたくなくて、そんな自分に対して、怠け者のような逃げているだけのような後ろめたさがずーっとあります。
この罪悪感、うしろめたさは持たなくてもよいのでしょうか?
今、私は卓球部に入部しているのですが、真っ直ぐ卓球に向かう、でいいですか?
また、お父さんから見て私におすすめの部活はありますか?
【お父さんの答え】
卓球部でいいんじゃないですか。この人がソフトボール部だったらよかったのにって僕は思わなかったしね。卓球部で良いと思いますね。
誰が見てもソフトボール部じゃないよ。
卓球部で充分ですよ。自分の思い込みって大きいよね。100%が思い込みで動いちゃっている人と、8割方、思い込みで動いている人と、思い込みが全くない人がいると思うんですよ。
みんなにアンケートをとってみましょう。思い込みで動いていると思う人?
(アンケート。思い込みで動いているに手を挙げる人が多い)
結構多いね。
あのね、余計なことは考えない。
カフカの『変身』っていう話があるでしょ。ある朝、目覚めたら、いもむしになっていて家族から嫌われてしまい、妹がときどき腐ったキャベツを投げてくれて生き伸びる、虫では字が書けないから会社へ退職届も出せない。
夢だったら覚めてくれ、でも次の日も虫だった。ずっと虫のまま。
ななほ:
本当の話じゃないですよね。
本当の話だよ。小説を読んでごらん。何もできない虫をただベッドの上でやっているだけで、家族に嫌われて。そして死んじゃうんですよ、虫のまま。ジャンジャン、でおしまい。家族は、あの変な虫がいなくなってあぁよかったって。
まゆ:
もし自分がそうなったとして、私は虫になっているって家族はわかっているんですか。
わかっているよ。お兄ちゃんの部屋にいて、お兄ちゃんのベッドで寝ているんだもん。それはお兄ちゃんなんだよ。わかっているから妹だけはお兄ちゃんを哀れに思って腐ったキャベツを部屋に投げ入れる。
摂食障害になるとそういう扱いを受けるって思わない? 自分も同じだったって思わない? そういう捉え方しないと。
そういう小説って面白いっていえば面白いね。
虫にならなくてよかった。
でも、ある日、虫になってしまったときの予行練習ができるでしょう。
誰かにキャベツちょうだいっていって生き伸びる、それ以上でも以下でもない。ちゃんとそれを受け止めた人は、朝起きたときに、良かった、虫になってなくてよかった、と思う。
虫にならなくて良かったと思うなら、人間らしく生きようってそう思わせられる小説ですよ。
お父さんとお母さんはいつもそう思っているよ。
これはフランスの小説だけど、日本人の文化の成り立ちというのも、すごく、哲学的な歴史を持っていて、哲学するのには、日本人というのはすごく、向いた民族かなという感じは僕はしている。
なんていうんだろうな、日本くらい世界の中で、宗教的な思想と考えに支配されていない民族っていうのも、珍しい。
無宗教とか言われるけど、世界の中で無宗教の民族は少ないんじゃないかな。仏教も信じてるようで信じてないとか、神道も信じてるようで信じてないとか、何も信じてなくて、それなのに犯罪者にならずにモラルを持って生き続けることができる民族といったら、日本人しかいないかもしれない。
いま、世界では狂信的な宗教の信者が、テロやったりなんかする。日本は狂信的な宗教の信者とかグループはほとんどいない。多くの人は宗教的にも思想的にも自由でありながら、高いモラルを持ち続けている。これは世界の人から見たら、ちょっと理解しがたい民族だと思うよ。
逆にそういうところに魅力を感じた外国人なんかで、日本人になりたいとか、日本に住みたいとか、日本を勉強したいというのはそういう人だよね。囚われた考えをしてるのは嫌だなと、そこから日本に来たいという人がいる。
日本人は一見、ものすごく、自由で無宗教のようでありながら、そういう伝統とか、文化とか節度だとかを、モラルを高いレベルで維持してる。そういうところに尊敬の気持ちを持つという外国の人は多いんじゃないのかなと思います。
で、ともするとアメリカとかヨーロッパとか先進国にいる人達は、それがエリート主義とかになって、高いステータスを保つために節度を守るとか、知識を得る、品位を保つ、だから金が稼げる、その生活とプライドを維持するためにという条件付きでモラルをキープできていて、それはある種、日本人の品位の高い人と似てるんだけれども、本質が、自分の欲でモラルをキープしているだけだからね。成果主義とか効率主義という宗教みたいなものだから、自分は人生の成功者になったからこれだけの富があるけど、そういう効率のいい勉強なり仕事なりできなくて、世の中への役立ち度が少ない失敗者は貧しい暮らししてても仕方ないんじゃないのという、そういう考えに染まってしまう。そういう成り立ちの人は、成功の階段から転げ落ちると非常にモラルの低い人になってしまう。もともと本質的なところでのモラルは低いわけだから。
だから成功主義、成果主義というのは、ある種、うまくいったときはいいけど、失敗したときは自分の首を絞める諸刃の刃だよね。
エリート主義の教育を受けて、金持ちになってエリートにならなければ人生の失敗者だという考え方だと、それにならなければすごく焦りが出る。
そういう人は、「利他心なんかわからない。なんで人のために生きるの、誰だって自分の欲があるはずなのに、欲がないふりして、隣の人のためにという利他心とか、ありえない」となりがちだよね。
アメリカの成功者、ヨーロッパの成功者にはそういう人が多いかも。
ソフトボール部じゃなくて、卓球部でいいよ、という話しがなんでこうなったのかわからないけど、卓球部でいいよ。
わけのわからない自分の思い込みは信じない。卓球がやりたかったら、卓球をする、でいいよ。
(2020年2月21日掲載)
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