堂々としていてはっきりとしている人を見ると、反射的に怯えてしまいます。
無条件に(怖い)と感じて、バリアーを張ってしまうのです。
それが3歳の子を相手にしたときでも同じで、ついおどおどとしてしまいます。
つきあっていくうちに本当は優しいとわかると、ようやくそのバリアーがとけていくのですが、この癖がなかなか抜けません。
堂々として自信ある立ち振る舞いはとてもいいことだし、そうなりたいと思っているくらいですが、それにしても、私はどうして堂々とした人に怯えてしまうのでしょうか。
【お父さんの答え】
これは、良い質問だと思いますね。
僕は、二十歳過ぎ前後のときだったか、姪っ子を風呂に入れてたことがあります。その姪はまだ3つか4つでした。
そのとき僕は何かで意気消沈していました。落第したか。好きな人にフラれたか、いずれにしても元気がなかった。
お風呂に入った時、その姪っ子が「健ちゃん、ちゃんとしてよ!」と、何か思った通りに遊んでやれてなくて、怒りました。はい、はい、とつい従順になってしまうんです。
ごめん、ごめん、と知らぬ間におどおどしてました。心の中では、何で立場が逆転してるんだ? と疑問に思うのですが、姪の強さを覆すことができない。
健ちゃん! と姪っ子に言われただけで、なんかグッと襟首を大鷲に捕まれた狐のような従順さで言いなりになってしまう。
その子は強い子ではありました。大人になったらもっと強いです。元々は優しい子なんですけどね。
まあしっかりしてるんです。いつも堂々としている。ほんとに怖いもの知らず。その母親もかなり堂々としてる。僕の姉ですけど。
どうして自分は時々、おどおどして自信なくなっちゃうんだろうな。何なのかなと思っていました。まあ自分はかなり難しい物書きの道を志して、道半ばにあるようなときでしたけどね。
物書きになるために、何でも吸収しよう、勉強しようといつも心を開いてる。
ところが、心を開いてると、凄く弱くなるんです。ナイーブな内側が、いつもさらされているようなものなのです。心に硬い甲羅があれば、強いままでいられます。でも、それだと繊細な心を受け止め難い。
繊細に感じたいと思っていれば、硬い甲羅をはずして心をさらしておく必要があるんです。丁度、少し前にマクワウリの畑で、キッチンペーパーをはぐったときに見た、柔らかくて傷つきやすい土のようなもの。そこを忍者熊手でガリガリやったらいけません。
心を開いて柔らかい気持ちがむき出しになっているとき、「健ちゃん!」と言われたら「はいっ」てなっちゃうのは、仕方がないこと。自然な成り行きなんです。
だから、堂々とした相手を見るとオドオドしてしまう、というのはその時の自分の心の開き具合いが、かなり開いているから、というのが答えだと思います。
相手にとっては、こちらが心を開いてるも、開いてないもないんです。だから、相手は怖いも怖くないもなくて、堂々とありのままでいられる。
こちらとすると、なんかこう道を求めているので、自分こそ疑うけれど、人には疑いの目をなかなか持てません。
なす術なく、相手の言いなりになったり、全ての言葉を正面から感じすぎてしまうのです。そうなると、すぐに心を閉じようとしてもなかなか閉じられない。ようやく閉じた頃には、相手が目の前にいない、となっています。
村田先生、どうですか?
この年でも、傷つきやすい人とそうでもない人がいたり、たまにはものすごくナイーブになってるときってありますか?
村田先生:もちろん。心開いてるときはそうかもしれないですね。
お父さん:だから、ものすごく悲しい結末で終わるラブロマンスの映画を大きな映画館で見て、情緒的にしっとりするというか、じわっと悲しくなっているようなとき、映画館を出て「おいっ!」とか言われたら、えッッッッて驚き過ぎるくらい驚いてしまう。
逆にやくざ映画を見て、攻撃的な気持ちで映画館を出てきたら、「おいっ!」と言われても、なんだよっ! となりますよね。
どういう映画を見たかというのも、出てくる人の雰囲気を見ればわかります。
映画館に時間前で並んでいるとき、見終わって出てきた人の顔色を見ませんか。どんなふうだったのかな、と。しみじみ、泣きながら出てくる人がいると、よし、いい映画なんだな、と思います。
冷めた顔した人ばかりが出てくると、面白くない映画かな、と心配になります。
そんな映画を見たあとの例ばかりでなく、そのときのたまたま自分の状態でちょっと心を開いたり傷みやすい状態にあるとか、そういうナイーブな流れに自分がいたとき、たまたま目の前に強気の人が出てきたら、抵抗しようもなくダメージを受ける、ということは仕方ないでしょうね。
そして、そういうことに関係のないあまりナイーブではない人と、ナイーブな人というのがいる、というのも確かでしょう。わりとこういうふうに心を開き過ぎてダメージをよく受ける人、というのは情緒的な要素が強い人といえるでしょう。アーティスティックな部門に強い人と言えるかもしれません。
その反対にまったくそういう経験がない人というのは、割とドライな人です。割り切り強い人はあまりないでしょう。
そして、そういうナイーブさが大人になるにつれてなくなる人と、大人になってもナイーブさを持ち続ける人がいます。
みんながみんな映画見て影響受ける人ばかりじゃないです。
ちょっと知りたいですよね。
人が怖いなと感じることがあるとか、ぐさっと来る経験がある人は、指を挙げて。
(みんなが下を向き、頭の上にのせたグーの人差し指を上げる。なのはな流アンケートの取り方です)
その前に、ナイーブな人はアーティストな人と解説したせいか、9割の人が指を挙げましたね。
(次回へ続きます。)
(2019年6月11日掲載)
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