イベントがあった時など、みんなが実行委員のインタビューに答えて話しているのを見て、自分だったらあんなふうに自然に話すことが、今はできないだろうなと思ってしまいました。
いまでは、だいぶ人と話すことに慣れてきたなと自分でも思うんですけど、それでもやっぱり正解を話さなきゃいけないというプレッシャーに負けてしまって、うまく話すことができません。
それを修正していくには、どういう心がけが大事でしょうか?
【お父さんの答え】
人前でうまく話せるようになりたい、というのはあまり思わなくていいんじゃないかな。
一番大事なことは、自分は死ぬまでに何を成し遂げたいかっていうことだけだと思います。
例えば、人前でうまく喋るようになる訓練があるとして、そういうことはやる必要がないと思います。今まで何かを成し遂げた偉人のなかでも、人前に出るのが大嫌いだった人というのはいるし、うまく喋るのができない人も山ほどいると思います。
スティーブジョブズだって、2005年のスタンフォード大学での卒業式の講演では、すごくいい講演だったというので有名だけど、そのずっと前はテレビでインタビューを受けていて、テレビ番組なんかレベル低い視聴者に合わせているから、全部低レベルのことしか放送してないでしょうって言ってしまったりして、大顰蹙を買ったりしている。
だけど、それは正直な気持ちだし、実際に本当のことだから、そのことがいま出ていてもその人のマイナス面というより、いつも正直に話すキャラクターの例として出されたりしているだけです。
かっこいいこと言えるようにとか、的確に言えるようにとか、その場にふさわしいことができるようにとか、彼は思っていないわけです。あまり、上からものを言っちゃいけないだろうけど、いつも本質的なことを考えながら生きていて、聞かれたら本質だと思うことだけを言えればいい。
人から見て正解か不正解かというのを考える必要はなくて、自分が本質的にいい生き方がしたいと思えば、本質的なことを考えるし、本質的にいいと思うことをやっていける。そして、人前でどう話すかは、その延長上で、いつも思ったままを言えばいいんじゃないかな。
必要があれば、事前に何を話すか、原稿を用意すればいいしね。
ここで言いたいことは、人に上手に見せるための努力というのは、あまり本質的なことじゃないから、そういうところに労力を割くのは時間の無駄じゃないかな、ということ。
例えば引きこもりをしていた人は、自分が変に見えるんじゃないかとか、普通の人に見えるようになりたいとか、そういうことが気になってしまい、周囲の人と違ったふうに見せないようにするにはどうしたらいいか、ということに気を遣ったりします。
でも、それはほとんど必要なくて、どんな自分でも堂々と、今の姿、今の気持ちを出してしまって、ちっともおかしなことにはならないし、むしろ自分が変じゃないかと思ってオドオドしたらおかしなことになる。
自分が人並みの人間に見せようとすれば周囲に合わせようとすると思うのだけど、周囲に合う人になれるように努力するということよりも、もっと大事なことだけに注力したほうがずっといいんじゃないかな。
そして、自分が思ったような生き方ができてきたら、話すこともそれなりにできるようになっていると思います。
(2023年6月12日 掲載)
Copyright © なのはなファミリー 2023 | WordPress Theme by MH Themes