『高いプライドをつくるには』
「プライドが高いと、その高いプライドに適った行動をとる」というお話しを聞かせてもらって、私はおそらく、自分のプライドは低いと思いました。
ミーティングでも、誇り、プライドを持つことの大切さを何度も教えてもらっているのですが、以下のことを意識して生活したら、正しく、高いプライドを持つことができるようになりますか? 高いプライドを作っていくことができますか?
自分なりの答え
私は、自分の誇りを考えたとき、『なのはなの子』以外のプライドがないです。
なのはなの子としてのプライドを高めるためには、お父さんとお母さんの話や、なのはなクレド*を意識して生活して、『なのはなの子』として恥ずかしくない行動、言動をとり続けて、実績を作っていくことで、高いプライドを作ることができる、と、考えました。具体的には、なのはなクレドを見える所に貼り、意識して生活する。
【今日はお父さんと村田先生です】
お父さん:
なのはなクレドってありますけど、それをプライドに生きていく……、なるほどね、どうでしょうね……。
なんかこう、それだけではなくて、個人的なプライドというのが欲しいような気もしますよね。
なのはなの子、っていうのももちろんプライドにしていいですけど、その他に自分ならではのプライドが欲しいような気がするんです。
どうなんでしょうね。
村田先生はプライドはどうですか、どのくらい高いですか。
あゆ:
すごい質問……。
お父さん:
そうね、どういうところに高く持っていますかね。
村田先生:
そうですね、これ仕事だと凄く難しい面があると思うんです。僕たちの仕事(税理士)は特にだと思うんですけど、あの言語化が難しいんですけど、要はただでやってしまうことと、お金をいただくことという、そこの違いがあるような気がしています。
お父さん:
なるほど。
村田先生:
誤解を恐れずに言うと、プライドがない人は何でも結構ただでやってしまうような気がしているんですね。いい商品、サービスを提供したら、いい仕事をした結果儲かるということが僕は大事だと思うんですけど、いい仕事をした結果お金をいただくというのは正しいと思うんですけど、なんでもただでやってしまって、結果、ただのいい人みたいになっちゃうような。そういうの、プライドっていうんですかね。仕事上はお金をいただく、いただかないというところでプライドがある、ない、はけっこう難しい気がしますね。
お父さん:
仕事だったら、お金をもらわないと成立しないですよね。
村田先生:
成立しないんですけど、ほんとにただでやってしまう人がいるんですよね……。
この場合のプライドの定義というのはどういうものなんですか。
お父さん:
誇り、自尊心ですよね。
自分を尊く思う気持ち。まあその字の通りだとするとね。
プライドは、自尊心ですけど、お釈迦様が、生まれたあとすっくと立って、片手で上を指差して、もう一方の片手で下を指差して、「天上天下唯我独尊」と言ったというんです。天の上にも天の下にも、ただ自分こそが、1人尊いものであるという意味です。
そういうことを言った、っていうんですよね。
これが正しいプライドの持ち方だと思うんですよ。天の上にも天の下にも私は唯1人の尊い存在である。
こういう、ちょっと考えると、驕りとか……何と言ったら良いんでしょう、少し、高みに上がりすぎているくらいの、そういうプライドが、凄く正しいような気がするんですよ。
思い切り高くしちゃうってことです。
誰でも、みんながそれぞれ、唯我独尊と思っていていいんです。
僕のプライドっていうのはね、そういうお釈迦様の話を知らない頃のことでしたけど、僕は子供の時から段階的に3回くらい、母親に同じ話を聞かされているんです。ちなみに僕は上に姉がいて、下に弟がいる。
母はこう言ったんです。
「お前は特別な子だ。お前を産むときに、『この子供は大きくなったら世の中の役に立つ立派な人間になる』って思いながら産んだ。姉のときは産むことに一生懸命で、何も考えないうちに産んでしまった。弟のときには3人目で、なんとなく惰性で産んでしまった。お前だけは違う。特別にそういう願いを込めて産んだんだ。だから、お前はきっと、立派な人間になる」
お前は大きくなってから、世の中の役に立つ人間になる、と母親から言われたんです。
言われてしまうとおかしなもので、そうならなければいけない、っていう気持ちになるんですね。期待を裏切るわけにはいかない。だから自分は必ず役に立つ人間になるんだという、思いが強かったですね。
村田先生:
なるほど。
お父さん:
ところが、そういう思いが行き過ぎていましたから、ほんとに僕は子供のとき可愛げのない、食えない子供でしたね。
小学校のとき、1年2年が同じクラスで、3年4年で同じクラス。5年生になったらまたクラス替えがあるんです。担任の先生が変わる。
5年生になったときの作文です。先生は子供たちと初めて顔を合わせて、どんな子供たちか知りたいので、5年生になった抱負を書いて先生に出してください、という作文があった。
その作文で僕は、
「私は県内の私立中学を受験してそれに合格し、東京大学医学部に入って医者になり、シュバイツァー博士のような世界的名医になり、ノーベル賞を受けるつもりでおります。ですから、先生もそこを踏まえてしっかり指導してくれないと困ります。くれぐれもそれも心得違いの無いようにお願いいたします」
と書いた。
村田先生:
真剣に。
お父さん:
そう、本気で書いていました。それで先生、しっかりしないといけませんよって。
今考えるとどの面下げて書いたのか。まったく可愛げがない。
村田先生:
すごいですね。
お父さん:
まさに天上天下唯我独尊が、行き過ぎていますよね。担任の40代の先生に向かってですよ。
ひどい子供でしたね。
村田先生:
ははは。
お父さん:
それだけじゃない。母親が亡くなったあと、遺品整理をしたときに、僕が小学校1年生のときの文集が出てきた。母親がその文集だけ大事にとってたんですね。
その文集がまたすごいんですよ。
『ぐしもち』というね――家を新しく建てたときに餅投げ、餅拾いをやるでしょ。その『ぐしもち』っていうタイトルなんですけど、ぐしもち拾いにいきましたという内容はほとんど出てこない。「朝起きたら寒い」という文句を書いてるんですね。
朝起きたら寒かったです。寒くてなかなか起き上がれないので。ん―! って言いながらやっと起きましたと。そしたら枕元に僕の着る服が用意されていなかったので、お母さんを、怒ってやりましたって書いてある。
何ていう子供だと思いますよね!
ええって思いました。それを読んで。書いた覚えがあるんですけど。
これね、プライドなんですかね、なんですか。何様だと思ってるんだっていうね。
なんでこれほど大事な子供を大事にしないんだ、と怒ってる。寒い朝、せっかく我慢して勢いつけて唸りながら起きてやったのに、服を用意してないから寒い思いをした。
「怒ってやりました」。
村田先生:
はあ! ……他の子達の作文は?
お父さん:
いや、他はあまり読んでないですけど、そんな子供はないでしょうね。
でも「母親を怒ってやりました」ってね、いま見ると、この思い上がりかたは何なんだろうと思いましたね。先生はそれを直させもしなかったんですね。
なんかね……ちょっと恥ずかしいです。
でも、僕のプライドの持ち方の片鱗が、この作文からも伺えるでしょ?
村田先生:
はい。
お父さん:
「なのはなの子」って言うと弱い感じがする。たくさんの人の中の1人、みたいなね。
唯我独尊的なプライドが欲しいですよね。
村田先生:
こないだも相談されたんですけど。全然、深い話じゃないんですけど、僕のお客さんの社長さんの息子がいて、10月生まれらしい。
まだ幼稚園なんですけど、10月に誕生日を迎えたときに、誕生日にはお誕生日プレゼントをもらえるということをインプットしたわけですね。
で、1月になったある日突然、どうしても欲しいものが出来たらしい。
「今日から1月生まれになる」、って言って、「1月生まれになったからお誕生日プレゼント買って」って言うそうなんですよ。
その幼稚園では毎月、お誕生日の子は合唱をする。しれっと1月生まれの人の中に入って合唱して、既成事実を作ろうとした。それで「先生も認めてくれたよ、1月生まれって」って。
お父さん:
素晴らしい子供ですね。
村田先生:
既成事実を作って、もう1月生まれになったから、買って、っていう交渉をしようとしている。
「どうしたらいいですか」と。
お父さん:
10月を過ぎてしまったからね。
村田先生:
10月にももらって。1月になって、欲しいものができた。
「そういうことできないんだよ」って言っても、「いや、1月生まれだから」と。
親に言っても否定されるから、既成事実を作ってしまえと、しれっと合唱の中に入ってしまおうと。先生が認めてくれたからって。
お父さん:
それは認めちゃって良いんじゃないかな。
僕だったら認めちゃいますね。よし、1月生まれになれ、と。
村田先生:
唯我独尊的なところを、その子にも感じるなということなんですけど。
お父さん:
そう、それいい、と思うんですね。
ただね、大きなマイナスもある。
その高いプライドを持ってるでしょ。自分はそうやって、大人までも下に見て、唯我独尊で生きてきて、それが東大に入れないんじゃないかとわかったときのつまずきの大きさがきついのです。東大医学部に入れない、ということが薄々わかると、今までの自分は何だったんだと、過去に遡って自分を全否定しなければならなくなってくる。
あれだけ唯我独尊的に振る舞ってきて、それができない以上、自分はなんの価値も無い、みたいなことになっちゃうんですよね。
そうするとこう……立ち直れないくらいの大きな痛みを抱えちゃう。
というね、そういうことはありますよ。
だけどほら、そのときでもまだ生きてるのは、それでも何か、大きくなったら、世の中の役に立つ立派な人間になる。これはなかなか消えないですよね。立派な、人様の役に立つ人間というのは、別に学歴じゃないし、職業を決めているわけでもないので。
それで救われてる部分というのはありますよね。
だから、その抽象的なことで、唯我独尊のプライドを持つ、というのが良いんじゃないですかね。
で、プライドを持つというときには、持つと言っても、手放せるような持ち方ではなくて、思い込む、みたいなね。それを信じ切るというか。完全に思い込んでそれになりきるくらいの強さというのは必要なんだろうなという気がするんですよ。
だから……高いプライドを、作っていくというよりも、即座に今作って思い込んでしまうのがいい。私はこう決めた、みたいなね。その男の子みたいにね、1月生まれになる! っていう、そういうようにね。
私はこうなる、っていう、自分ならではのプライドというものを持ってしまうというのが、大事なんじゃないかな。
だから言ってみたら、高いプライドというのは、キュウリの苗と一緒だと思うんですよ。
私はこうなるって決めて、プライドの苗を植えるわけですよ。「こうなる」っていうプライドに毎日水をやり、たまに肥料をやり、伸びてきたら誘引する。育てていく。やがてプライドも立派に押しも押されもしない姿になり、葉を茂らせ、育っていく。要するにプライドはキュウリの苗だと思ってくださいよ。
さっき言ったのはヒントですよ。学歴とか職業だとかじゃなくて、ちょっとやそっとのことで失敗してもくじけないような、やや抽象的なもので、長続きするものでそれで唯我独尊敵な内容のもの。
僕の場合には、「大きくなったら、世の中でものすごく役に立つ立派な人間になる」っていうね。抽象的でしょ。何をやって役に立つか、詳しくはわかっていない。子供の頃はね。
でもどんな仕事をしながらでも、どこかでほんとに役に立たなければと思い続けていた。
物書きの仕事をしているときでも、自分は世の中に、雑誌によっては何十万人あるいは100万人以上も読むような雑誌なり単行本があるわけで、そういう場所で文章で世の中にいい影響を与える立派な人間になったんだと、そういう思いもちょっとありました。
でも、これで世の中の役に立ったからジャンジャン、おしまい、じゃなくて、もっと役に立つんだと思い続けていた。
書くにしても本当に役に立つことを書かなければいけない。人を助けるような記事を書かなければいけない。お金になるから埋め草記事を書けばいい、ではいけない。
その思い込みが、プライドの高さが、より良い仕事をしよう、もっと高みへという気持ちでずっと駆り立て続けるわけですよね。
そうこうするうちに、もっと役に立つ、もっと役に立つ、というので積み上げてきて、まあ、なのはなファミリーまで来ているわけですけど、この先、僕が盛男さんくらいの歳になったとき、みんな見ててくださいよ、僕が何をやってるか。世の中のもっと役に立つことをしてると思いますよ。あと30年もあるんですからね。僕にはあと30年以上残されていますんで、見ててくださいよ。みんなとの競争ですよ。みんなと僕と、どっちが世の中で役に立つ人間になるか。まあ、できるものなら僕を追い越してみてください、僕はまだまだ先まで走っていきますよっていうね、そういう感じのプライドの持ち方ですよ。ね、みなさん頑張って僕を追い越してください。
そういうことで自分で考えてオリジナルのプライドにしてください。
1 なのはなの子どもは、判断に迷ったときには、相手の利益を優先して考えること。
3 なのはなの子どもは、常に、誠実に、正直に、あること。
3 なのはなの子どもは、自分の誇りにかけて、損得を考えずに行動すること。
4 なのはなの子どもは、次世代の精神的な社会基盤を作っていく1人であること。
5 なのはなの子どもは、実質的な意味で、常に公平であること。
6 なのはなの子どもは、常にプラン(企画)を立てて行動すること。
7 なのはなの子どもは、時間と場所が違えば、答えが変わることを知ること。
8 なのはなの子どもは、品格高く、行動すること。
9 なのはなの子どもは、合理性よりも、人情や義理を優先すること。
10なのはなの子どもは、常に仲間を守ること。
(2018年5月15日掲載)
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