楽観主義者と悲観主義者の境界線はありますか?
具体的にどう違うのですか? 私はどちらかに属しているのでしょうか?
【答え】
この人は楽観主義者に属しているというふうに思います。
人間、思ったとおりにしかならないんですよ。
この質問の人は、野菜をいつも奇麗に作っています。それは、奇麗に野菜ができることを信じて手入れをしているということですから、楽観主義なんですよね。野菜は、失敗するだろうと思って作っていると失敗します。ということでこの人は、楽観主義者です。
あのね、今度のウィンターコンサートに出てきますが、“神様ポスト”を作ってもいいなと思ってるんですけど、神様ポストに願いを書いて入れると、本当に叶うんですよ。本当に。
で、それが、最初のほうの原稿では確か、「独りよがりな、自分だけが得をする願いは駄目です」ということを書いていたんですよね。独りよがりじゃない願い。みんなのことを考えての願いだったら叶いますよ、と。
だから、「私が◯◯大学に受かりますように」とか、「◯◯高校に受かりますように」というのは個人的な独りよがりの願いなんです。それは叶わない。だけどそうじゃない願いだったら叶いますよ、ということ。
独りよがりじゃない願いなんて、そんなの無いわい、って普通の人はなりがちなんですよ。
そんなの書きようがないじゃないかってね。
「良い野菜を作りたい」というのは独りよがりじゃないんですよね。
だって、野菜を200も300も、いや1000も2000も作っても、自分だけが食べるわけじゃないんですから。独りよがりな人は、良い野菜を作りたいと思えないですよ。
「だって私が食べるのじゃないでしょ。作業するのも、なんで働かなきゃいけないの。他の人が得をしても、私の得にならないじゃない」
みたいになってしまうんですよ。
少し前に真面目と不真面目の違いで質問を受けましたが、それにも通じますけど、真面目な人というのは、自分が得するかとか、他の人が得するとか、それは関係ないんですね。
とにかく、「良いことをやりたい」という願いですよ。みんなが得するだけで、自分の得とは違っても、みんなが損するより良いだろうっていう思いですね。
虫だらけのキャベツになるより、誰だって虫のないキャベツ食べたいだろう、穫りたいだろう、そういう思いで突き進む人は真面目ですよ。そういう思いを本気で持てない人は、あまり真面目じゃないですよね。
楽観主義者というのは、あまり自分に拘りませんね。
ということで、話が途中かもしれませんけど、今日は急ぐので次の質問に行きましょう。
(2018年11月13日掲載)
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