リーダーの向き不向きについて
1.なのはなに来て1年もたたなくてもリーダーシップがとれる人と、私のように、とてもリーダーをすることが苦手な人がいます。
このままではいけないと、せめて得意分野だけでもリーダーにならなくてはと、自分から企画を出してみたりした時期もあったのですが、空回りして、やはり私にはリーダーは向いていないと思いました。
心掛けの問題もあるけれど、生まれつきの性格によるものも大きいと思いました。私は、尊敬している人を立てて、その人のために、チームでやりたい仕事を成功させるために、1つのピースとして働くことを心地よく感じます。
リーダーになることは苦手でも、良い部下になりたいと思いました。
できないのに無理にリーダーをしようとするよりも、リーダーができる人にそれは任せて、私は部下として最高のパフォーマンスをすることに、頭も体も使った方がみんなのためだと思いました。私は、良い部下に徹します。そしたら、リーダーシップもとれるようになると思います。
この考え方は合っていますか。
【お父さんの答え】
良い部下に徹したら、リーダーシップもとれるようになる、というのは、合っていないです。良い部下でいることと、リーダーシップをとれる資質は全く別です。
少し前にハウスミーティングで出た質問があります。
それがわかりやすいかと思うので、もう一度、ここで言います。
「何日か前に、私はリーダーを任されてみんなを動かそうとしたけど、うまく動かすことができませんでした。畑チームのリーダーであるやよいちゃん、れいこちゃん、まゆちゃんは、良いリーダーシップを発揮できていますが、何が違うのでしょうか。経験の違いでしょうか」
という質問でした。それは、経験の多い、少ないじゃないんですね。
そこに挙げられた3人は、なのはなファミリーに来て半年くらいたったところで3人とも畑チームのリーダーをやっています。
つまり、ひと通り、なのはなで作っている野菜の栽培を経験していない段階でリーダーになっています。
では、それは何でリーダーができるようになったのか。
ひとことで言うなら、「野菜を育てるという作業の中から、普遍性をつかみとってそれを使うことができるから」ということです。それも資質かもしれません。
1つの野菜を育てている中から、他の野菜栽培にも通じる普遍性を摑み取る力です。
普遍性というのは、一般的には時代や相手が変わったとしても、変わらない本質のことをいいます。
リーダーをしている人は、栽培する作物が変わっても、畑が変わっても、チームメンバーが変わっても、どの栽培にも通じる本質的な作業を短期間で見抜く力があったということです。
種まきの本質は何か。定植の本質は何か。栽培の本質は何か。その本質をつかみ取る力があるから、全く新しい野菜でも、肝心なことはこれに違いない、とやって実際に失敗することがないわけです。
良い部下というのは、極端に言えば、ただ良い手元でいればいいだけで、リーダーの言うことに「はい、はい」と素直に返事をして、たーっと、走って、帰ってくればいいようなところがあります。それだけをいくらやっても本質はつかみ取れないから、本質を見て動くリーダーシップはとれるようになれません。
本質を掴んでない人がリーダーシップを取ると、作業全体がすぐに、ぐちゃぐちゃの交通渋滞になってしまう。あるいは、とてもつまらない作業になったり、全体の作業効率が悪くなる。作業そのものの質が悪く、作業の量も稼げない。そればかりか、担当した野菜をダメにすることになってしまう。
リーダーになりたいのなら、本質をつかむような経験の仕方が大事なんじゃないか、と思います。
わかりました、では本質を掴みます、と言って掴めるものでもない。良い部下に徹したらリーダーシップ取れるようになりますか、と質問に書いてある。それでは、できないんです。自分が仕事の本質を掴んでいない、という認識もないでしょうね。
良い部下になろうとするのではなくて、リーダーになるのなら、どんな作業をやるときでも、1つひとつ、本質をつかんでいこうと思ってください。そして、本質をつかんだ末の行動をし、良い作業に結びつけ、どんな立場であろうとも責任を持った行動をしようと思って下さい。
それでも本質を掴める人とつかめない人がいます。つまり、リーダーシップを取れる人と、取れない人がいる。誰でもリーダーになれる、というものではないです。
ただ1つ、安心材料があります。
少なくとも僕はリーダーシップが取れない人です。リーダーシップが取れない人でも、お父さんくらいのことはできる、ということで安心して下さい。
(2020年5月15日掲載)
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