なのはなに来る前にすごく感じていたのですが、急なスケジュール変更があったりとか、急にどこどこへ行くよって言われると、なんというか焦りのようなものが出て、とても不安定な気持ちになってしまっていました。
でも最近、ふと気付いたのですが、そういうスケジュール変更があっても、前みたいな焦りを感じたり、気持ちが揺れるということがなくなったなと思います。
それで、以前にそういう状態になっていた理由はなぜだったのかということと、気持ちがどう変わって、スケジュール変更などを受け入れられるようになったのか、それを教えてもらえたら嬉しいです。
【お父さんの答え】
なのはなに来る前、まだ摂食障害の症状に苦しめられていたときは、この世に存在してるだけで苦しかったと思います。
だから、スケジュールを立てるといっても、その苦しさから逃げるためのスケジュールということで、なんとか苦しいのを凌いで生きている、という状態だったのです。
その苦しさも、自分でもよく正体がわからない。よくわからないけど、苦しさから逃げたいということだけは確かです。あるときはストレスを受ける人から逃げるため、あるときは自己否定から逃げるため、必死に自分で苦しさをまぎらわすための、ノルマのようなスケジュールを決めるわけです。それは自分を守るためのスケジュールといってもいいでしょう。
これなら自分を守れるというスケジュールだから、そこから外れると守れなくなってしまう怖さがあるので、急な予定変更はなかなか受け入れられません。
それが運動のスケジュールなら、自分は太らないことで自分を守れると無意識に思い込んでいるところがあるので、そこに手を抜いたら守れなくなるという怖さがあります。
すべてが、これに気持ちを逃がしたら自分を守れる、という予定の連続なので、それができなくなるというのは、自分を守れなくなるかもしれないという切実な不安が伴います。
どこまで意識しているのか、無意識なのかは別にして、予定はすべて守るためのもの、逃げるためのものになっていることがほとんどです。生きることが難しいくらい苦しいので、なんとか生きられるように作り出した逃げ道でもあるので、そこに逃げ込めないというのは有り得ないわけです。
だから急に予定を変更されたら対処できなくなるっていうか、世の中に存在してるだけで精一杯なのに、これ以上何かをやれというのは無理です、という気分になるのです。
実際、苦しさから逃げることで精一杯で、ギリギリで存在しているのが摂食障害の症状の真っ只中にいる人の全てですね。
苦しい中で、新しいことをするには、心の準備をする時間がかなり永く必要だったり、気持ちの助走が必要です。苦しいときには、混沌とした苦しみを感じているだけで脳の能力の大半を使っています。脳の空き容量は極端に少なくなっているので、新しい予定に対応することが難しく、それも急な予定変更を受け入れにくい大きな要素になっていると思います。
それが最近、質問者はスケジュール変更があっても焦りを感じなくなったというのは、気持ちに余裕がでてきたからでしょうね。スケジュールそのものが苦しさから逃げるためのものではないし、苦しい気持ちに頭を占領されていないので、頭を使って変更した予定に対応できる余力が充分にあるということです。
摂食障害の症状や苦しさがなくなると、以前の自分のコンディションとは比較にならないくらい、頭、心、そして身体も自在に使えるようになっているので、焦りを感じることもないでしょうし、気持ちが揺れるということもなくなります。
それにしても、苦しさがあるときと、なくなった状態の違いは、ものすごく大きなものがあると思います。
おかしなもので、摂食障害の女性はずっと苦しいまま何年もすごしているので、苦しいのが日常となってしまっていて、苦しくない状態をイメージしにくくなっていることが普通です。だから、回復するとか、苦しさがなくなる、ということが想像できません。苦しい自分が普通の自分なのだと思ってしまっています。
それで本当に苦しさがなくなって、スケジュール変更も簡単に受け入れられるようになって、しばらくしてから、
「あれ? 自分は苦しくなくなっている。予定変更があっても受け入れられているのはなぜなのかな」
と思ってしまう、ということでしょうね。
日々の苦しさがなく、頭と身体にいつでも余力がある。特に自分を守らなくても、すぐに壊れそうな感じもしない。そう思えるようになっているというのは、まさに摂食障害からもう回復していますよ、という状態なのだと思います。
(2023年6月16日 掲載)
Copyright © なのはなファミリー 2023 | WordPress Theme by MH Themes