お父さんから、大きな目標を持つということを教えていただいたんですけど、それは持ちたいと思っているのですが、ずっとわからなくて持っていません。持ちたいと思っていたら、いつか自然に持てるものなのか、今、持つものなのか、教えていただけたら嬉しいです。
【お父さんの答え】
北大の創立者のクラーク博士が「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と言ったのは有名な話しですね。よく「少年よ、大志を抱け」と訳されています。
それが僕がいう大きな目標であり、夢を持つということですね。
クラーク博士は北海道大学の前身の学校の初代学長ということで有名ですが、現実には確か8か月くらいたったところでアメリカの大学の学長に就くために帰っていきました。
創立時の学生は、不真面目でいい加減な人が多く、授業にも何人も遅刻してきていたようです。雪が深いときなど、課外授業に出るのは面倒だったのだろうとは思います。全寮制で、学内に寝泊まりしてはいたのですが、まあ真面目ではなかったということでしょう。
外で学生が揃うのを待っていたクラーク博士は、こんな学生たちでちゃんと大人になって立派な農業をやれるのかな、というような心配をしていたのではないでしょうか。
北大を去る時に、見送りに来た学生に「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と言ったといわれています。僕からすると、次のように翻訳できると思います。
「おいおい、君たち、雪が降ったので遅刻しました、寒かったので寝坊しましたとか言って、サボり続けていたら、まだまだ未開の地が残る北海道で農業を成功させることはできない。目の前の嫌なことや大変な力作業、越えなければならない課題の大きさに気持ちを奪われていたら、それこそやる気もなくなって遅刻もするだろう、無断で休んだりもするだろう。そうではなくて、これまで本土で誰も成し遂げることができなかった新しい牧畜の形、新しい農業の形をゼロから自分たちの手で創り上げていくんだという夢を持ったならば、目の前の困難に腰砕けになることなく、意欲をもって取り組むことができるはずだよ。だから、大きな志、大きな夢というものを、絶対に心の中心におかなければならないよ」
そういうことなんだと思います。
しかしこれは、何も北大の創立時の学生にだけ言えることではなくて、大きな夢を持つことはこれから自分の人生を伐り拓いていく若い人には、とても大切なことだと思っています。
当時の北海道というのはまだ未開の地が多く残っていて、寒くて、原野や山林ばっかりで、農業をするには条件が悪かったと思います。
その条件の悪さを克服するためには、相当の創意工夫が必要だったはずです。ただ、農業をやってみようかな、というだけでは乗り越えられない壁があった。
それを乗り越えさせるものが、自分は何としてでもやり遂げるぞという「大志」、つまり夢なんですね。
夢を持たないと、目の前のことに翻弄されて、ただ流されるように生きていくだけになってしまうのではないかな、と思います。
よく、「私は○○になりたいという夢があります」とか言う人もいますが、それは夢ではなくて、「進路希望があります」というべきでしょうね。すでに確立された仕事には少しも夢はないですからね。それはただの職業選択であって、夢でもなければ、志でもない。
大谷選手は大リーガーの中でも普通の選手では有り得ない「投手」と「打者」の両方とも同時に成し遂げる選手になっているわけで、これはまさに「夢」を実現したのだと思います。
そんなふうに、これまでにない新しい分野を伐り拓くとか、新しい価値を創造するということが夢であり、「大志」とか「大きな目標」です。
それをいつ持つか、ということですが、今でしょ、としか言いようがない。
でも、いまふと思ったのですが、大きな目標を持つには、才能が必要なのかもしれません。
自分はどんな目標を持とうかな、と考えているうちに、30歳になり、40歳になり、80歳になり、ということは、あることでしょうね。
目標が実現するかどうか、それが難しいというより、目標を見つけることが難しいとなってしまうことも、ままあることなのかもしれません。
でも、僕だったら夢がなかったら、1日も生きられないです。
大きな夢はどんどん変化してしまってもいい。今日の目標と1か月後の目標が違ってしまってもいい。ただ目標をいつ決めたらいいですか、というのは情けない気がする。
ちょっと考えてください。「私はどんな目標を持ったらいいか教えてください」とか「私はいつごろ目標を持つのがいいと思いますか」というのは、誰かに教えてもらうことでしょうか。
人生は旅にたとえられることがあります。同じ場所にいたとしても、流れる時間の中で未来へと移っていく旅人です。
旅行に出るとき、目的地がわからないまま旅行を続けますか? そういうことはしないでしょう。大きな目標を持たずに生きていくというのは、自分がどこに向かって旅をしているのかわからないまま旅行をしている人のようなものです。それを考えたら、1日も目標がないまま生きるということは考えられない、ということがわかります。
大きな目標、大きな夢を掲げることで、目の前の大変さや、目の前の困難に囚われることなく、また小さなことで一喜一憂することなく、着実に意欲をもって進んでいけるのだと思います。
(2023年7月19日 掲載)
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