第75回「大きな希望を持つとき①」


【質問】

【質問】
マラソンのことについて 

 今回、お父さんに何度も相談を聞いていただいて、お父さん、お母さんから、何度も何度も、答えを教えていただいたのに、本番のフルマラソンで折り返しを前にして、リタイアするという結果になってしまったのは、本当に私がまだ未熟だからだったと思います。本当にすみませんでした。
 

 今回、足の痛みはまったく問題ありませんでした。それよりも何よりも、やっぱりあの腰の鈍痛と気持ち悪さが酷くて、座り込まなければいけないくらいになってしまいました。
 去年のフルマラソンのときも、同じような状況にはなったのですが、それは折り返しを過ぎた時点でした。でも、今回はもっと早い時点から襲ってきて、私は走れなくなり、座り込んでしまう状態でした。自分には、あの時、あれが限界でした。これ以上「諦めない!」と言い続けても、それは自分の欲でしかなく、みんなの迷惑になるだけだと思いました。
 

 質問①
 これまでのみんなとの練習で、ピークまで走ることができたのに、どうしてこういう結果になってしまったのでしょうか。どうして私はいつも、異質な人間になってしまうのでしょうか。
 去年といい、今年といい、私がフルマラソンで誰かの希望になることができないのは、私の心の何かが間違っているからですか?
 

 質問②
 このフルマラソンのときに襲ってくる、腰の鈍痛と、それと共にくる気持ち悪さが、一体何なのか恐いです。
 もしかしたら、内蔵のどこかが悪くて、腎臓とか肝臓とか膵臓とか、そのあたりの病気なのではないかと思うと不安になってしまいます。どう思いますか?
 

 質問③
 最後に、私はリタイアということを選んでしまいましたが、それは間違った選択ではありませんでしたか。
お父さん:

 という質問1,2,3とあります。
 これね、答えはだいたいわかったなって思いました? じゃあね、みんなにきいてみましょう。質問1で、「去年といい、今年といい、私がフルマラソンで誰かの希望になることができないのは、私の心の何かが間違っているからですか?」ということ。
 間違っている。間違っていない。どっちでしょうか、ということだね。
 じゃあみんなにきいてみましょう。間違っているんじゃないかなと思う人と、間違ってはいないだろうという人ね。
 アンケートです。目を閉じて頭の上に手を乗せて、全員どちらかに人差し指を挙げてください。心のなにかが間違っていると思う人。間違っているんだという人、指を挙げてください。で、下ろしてください。間違ってないと思う人、挙げてください。
 はい、顔を上げてください。
 ええと、間違っているという人が、8割。かな。間違ってないという人が2割弱ですね。
 答え。間違っています。
 ということなんですね。
 間違っているから走れないんです。
 

 じゃあどこが間違っているのかということなんですよね。
 こういうことなんですよ。
 この人の、反対の人を考えてみましょう。練習のピーク(14km)まで走れてない。しかも、練習がちょっとグダグダっぽい。ちゃんとはできていない。練習のスタートのときから遅れ気味。それでピークも一番走ったので8キロとかね、3,4キロしか走っていない人もいます、ピークで。それなのに完走できているんですよ。そういう人が何人も居るんです。
 そんなふうに完走できている人と、ピークまで走れていたのに、この人みたいにね――――この人はピークまで練習したのに走れていない。足が痛いわけじゃない。これはなんなのかということなんですよ。

 この人はある意味で、頭が良すぎるんです。
 パパパパっとね、1を聞いて10を答えるような人ですよ。
 イメージするんです、すぐに。カッと聞いてパッと答える。考えが早いんですね。もっと言うと決め付けがひどいんです。ぱぱっと、これはこう! それはこう! って何でも答えを出しちゃう。
 じゃあ、マラソンの42キロを走るといったときに、この人はどう思うかということなんです。
「42キロ、あなた走れますか?」
 そう考えたとき、この人の中ではこう答えが出てしまうんです。
「走れないと思います」
 まして21キロのハーフマラソンでさえ、練習したことさえない。だから自分はきっと完走できない、と思ってしまうんです。
 で、みんなはどうだろうか。
 そうだね、例えばそこのももちゃん、フルマラソンに出るときに、私は完走できると思った?

 

もも:
 完走できると思わなかったし、完走したいとも、そんなに思わなかった。
 ただ、なおちゃんを親ザメにしてついていったら完走できました。

 

お父さん:
 そうだよね。完走できると、思わなかったでしょ。
 それでも、走りきれた。完走した。時間内にね。
 それは何かというと、ももが、
「絶対に私は無理、走れない」
 って思っていなかったからなんです。
 走れるか、走れないか、そのあたりは、かなり曖昧にしか思っていなかったんです。
「走れないんじゃないかな……」
 そうは思う。でも、決めつけてはいない。

 なんとなく、走れるとも、走れないとも、「わからないぞ、もしかしたら走れるかもしれない」みたいなね。
 で、みんなの中で一番、練習してない人は誰かというと、なおちゃんだな、みたいなことを思う。それとなく、なおに狙いをつけて、なおちゃんが走れなければ私も走れなくていいや、みたいなね。なおちゃんが走れるんだったら、私も走れるんじゃないか。
 

 フルマラソンを完走したいという願いはあるけれども、プランとしては非常に曖昧な、どっちでもいいや、なおちゃん任せっていうね。
 走れたら走れる。走れなかったら走れない。どっちでもいい、っていう非常に曖昧な、でたらめな、不確定の、大きな保留というかね。結論をくださない状態で走り始めてるんですよ。
 それって普通は良いことですか、悪いことですかっていうことですね。
イメージしないんですから。走り切るイメージゼロですから。
出たとこ勝負でいいやと。こういうことは、普通はあまり良くないんですよ。普通はね。イメージしっかり持って頑張ろうって。

 

 頑張ろうという気はあんまりないんですから。足が痛くなったり、息が切れたらやめよう。でも行けるところまで行こうかな。行けるところまで。くらいです。
 結果的にどうだったかと言うと、なんとなく限界が来ないので、なんとなく走っていたら、完走しちゃったという感じです。ゴールしたあとも、あと5キロ走ってこいと言われたら走れるかも、という感じですよ。

 この質問の人は、正反対なんですよ。
 人はね、2種類の人間に分けられる。1種類はオプチミスト。もう1つはペシミスト。
 楽観主義者か悲観主義者か。
 でね、その楽観主義者と悲観主義者の中でも、実は、強烈な楽観主義者と、ゆるーい楽観主義者があるんです。
 悲観主義者の中でも、強烈な悲観主義者と、ゆるーい悲観主義者が、ある。

この人はどうかというと、強烈な悲観主義者なんだね。

 なんていうか、枠を常に、はっきり持ってしまう。
 枠を。
「これはこうだろう、ここまでだろう! これはここまでだろう!」
 っていうね。“曖昧な希望”とか、“曖昧な枠組み”というのを持たなくて、極めて確定的な枠組みを持ってしまう。

 で、それを中々崩せない。いい方に、いい方にイメージしたらすごくいい方に行きますよ。いい方にイメージしたら。いい方にイメージして、いい方に努力するときには、「ここまで行けるだろう」と思ったらそこまでピューッと行く。必ずね。そういう意味で結果も出せる。
 だから、何ていうかな、手の届かない範囲の仕事、手の届く範囲の仕事があるとして、こういう人は手が届く範囲の目標だったら、ピシッとそこまで目標を決めて、シュッとそこまで行って、パンと答えを出す。右、左、すぐ結論を出すように、手の届く範囲のことはすぐやれる。
 ところが、今まで経験したこともないような、ちょっと想像を絶するような大きな目標だと、「それは無理だろ」って結論をパンと出しちゃう。
 

 今ね、
「42キロのマラソンで私が途中リタイアした理由は何でしょうか」
という質問で、この人は、
「私の心の何かが間違っているからですか」
というから、間違っているんですよという話をしています。


間違っているところは、人が大きな目標に向かうときの心構え、なんです。

 42キロというのは、走ったことのない、行ったことのない――過去に走った人は別ですよ、去年、完走しました、みたいな人は――今年初めての人や、完走したことのない人にとっては、未知の世界なんですよ。未知の世界を、「お前はできるよ」と言われたらその言葉を信じて、「できるのかな」っていうふうに信じられるかどうか、なんです。
 もしくは、お前できるよって言われなくても、自分はできないって決めつけないで、できるかどうか曖昧にしたまま、目的に向かってスタートして、曖昧なまま走り続けて、曖昧なまま、行けるところまで行っちゃって結果的に目標達成っていうね。そういうことなんですよ。
 

 で、例えば、話が全然違いますけどね。
 あの、なおが今回、税理士になりました。なおは、「税理士にきっとなれるだろう、私、なります」と言って勉強してたかと言うと、そうやってスタートしたわけじゃないんです。
 42キロを走るマラソンと、税理士受験は、一緒なんです。
 スタートしたときには、まずは、受験資格がないので1級取るしか無いんですよね。

 そうそう、昨日、卒業生のあきこっていう、徳島にいるあきこからメールが来ました。
「お父さん、私、気がついたら、全経の上級試験に合格していました」
 っていうね。
 全経というのは全国経理教育協会主催の簿記能力試験で初級、中級、上級とあります。日商簿記1級と全経の上級というのが一緒です。
 だから上級に受かると、学歴に関係なく、税理士の受験資格ができます。もし今年の夏か来年の夏、税理士試験の簿記論と財務諸表論を受けたら、あきこは受かるでしょうね。この調子で勉強したら。(税理士資格は試験の中の5科目合格で得られます)
 何で、「私、受かっていました」みたいな間の抜けたことになっているかと言うと、たぶん上級の試験を受けて帰ってきて、どうせ受からないだろうと思って、合格発表を確かめないでいて、そういえば発表あったなと思い出して調べてみたら受かっていた、それでびっくりしてメールくれたという感じですね。あきこらしいな、と思います。
 まあちょっとそれは横に置いておいて。
 

 マラソンと一緒で、どこまで行けるんだろうか、とりあえず1級受けてみよう、受かっちゃった。受かっちゃった以上、試しに税理士試験も受けてみようかな――。
 こんな考え方だったんですよ。最初から「私、税理士になります!」じゃなかったんです。

「お父さん、私、試しに税理士試験受けていいですか。勉強していいですか。無駄じゃないですか」
とか、
「それ、ちょっと間違ってないですか?」
っていうね。

 税理士になるという野望も欲望もないのに、ちょっと勉強して受けてみる、なんて言うのはどうですかね、という感じだったんです。

「いいんじゃないの」
「じゃあ受けてみます」
 それで、受けた2科目とも同時に受かっちゃいました、みたいなところです。
「もうちょっと受けていいですか。5科目の最後まで受験して行けたら、最後(税理士合格)まで行っちゃっていいですか」
「ああいいよ」
 っていう感じなんですよ。
 

 もしも、次のような展開だったとしたらどうでしょうか。
「私、1級受けていいでしょうか」
 って簿記2級受かった時点で、仮になおが僕に言ったとして、僕が、
「お前な、1級受けたって結局何もならんぞ。別に普通の会社に就職するんだったら簿記2級で十分だし。
税理士になろうとかなんとか言うんだったら、まあ1級受ける必要はあるんだけど、それだけ勉強して受かるか受からないかわからないのに苦労して勉強して、まして税理士なんてちょっとやそっとじゃなれないのに、高校中退のお前がなれると思う?
それで何年もかけて勉強して、結局、なれなかったらその時間の無駄はどうするの」

 って言ったら、
「あ、それはそうですね」
 ってなっちゃうよね。
 税理士になれるとか、なれないとか、そういうことは横において、目の前の1級合格だけを見て勉強を始めたからやれたんです。
 

 つまりマラソンでリタイアした質問の人は、42キロのマラソン出場ということを前にして、今のようなやり取りを心の中でやってるわけですよ。
「私は、マラソン、駄目なんじゃないかしらね。
私は、とても走りきれるとは思わないけど、みんなも出るし、出なきゃいけないんだけど、無理だと思うのよね。絶対、42キロ走りきるなんて無理だと思うし、途中で涎流して、鼻水をたらして、涙と汗とでぐちゃぐちゃになって、へたをしたら身体を大きく故障して、あと後遺症でも残るようになったら困るし。
参ったな、私、絶対無理なのに。でもここまで来たから一応出なきゃいけないだろうけど、私絶対無理だと思うな」

 って、思ってるんですよ。
走り出す前に、無理だ、と決めてるんですよ。

 身体は正直だから、絶対無理と思ってるところに近づけば近づくほど、痛みをひねり出してでも途中でやめる。実際にはどこも故障していないんだけど、ある意味、自分のイメージ通りに、座り込むほどの、腰の鈍痛が来るんですよ。鈍痛と、気持ち悪さがひどい。腰が気持ち悪い。
 つまりどこも悪くないんです。
 自分がただ、走れないって思ってるだけで。
 自分で自分に催眠術かけちゃってるようなものでね。壊れてはいない。だけど、
「あなたは走れない、走れない、何か故障が起きて走れない」
 っていう催眠術にかかって、理由のない痛みだから、どこかからかわからない鈍痛を、痛みがないのに脳が感じてるだけです。気持ち悪さがある、これは駄目。気持ち悪い、座り込むしか無いって言ってるだけなので。
 

 2番の質問にある、「腎臓とか肝臓とか膵臓が悪い」そういうことは無いですということですね。絶対にないです。特に肝臓なんか、無言の、サイレントの臓器。痛みがないんです。痛みが。肝臓がんになってもね。
 だからうんと悪くなるまでわからないんです。
 痛みがない、って言いますけど、針でプスッて刺すと、刺した、っていうことはわかりますよ。僕は刺されたことあるんですね。肝生検受けたことがあるのですが、肝臓に刺さってもわからないと聞いていたけど、ツーンという金属臭を臓器が感じる感覚ですね。その前に横隔膜を間違って採られて、これは強烈に痛いですね。顔が青ざめるくらい痛い。
 横隔膜、採られないように気をつけましょう。
 この人、内蔵の病気はないですね。
 これで「その辺りの病気があるのではないかと不安になってしまいます」という、この不安を強烈に持つと、ほんとに病気になりますよ。自分で自分の病気作ることできますよ。これは気をつけなきゃいけないですね。
 
 質問2でいうと、この、「腰の鈍痛と、それと共に来る気持ち悪さが恐いです」これは、ただの自分の呪いです。お前は42キロ走れないぞっていう呪いです、それが鈍痛と、気持ち悪さ。

 質問3。「最後に、私はリタイアということを選んでしまいましたが、それは間違った選択ではありませんでしたか」
 それ以外の選択はないでしょうね、そうやって自分に呪いをかけちゃってね。走りきれないですよ。絶対にね。
 

 このひとの質問で、希望を持つことのスタンスというのがわかります。
 大きな希望を持つときには、かなり緩い希望じゃないと駄目だということです。
 かなり曖昧な、「行けるところまで行ってみよう」くらいの気持ちじゃないと、大きな希望というのは持ち得ないということですよ。
 自分の能力。自分の力、ね。精神的なもの、肉体的なもの、あるいは、頭脳的なもの、知的なもの、全部含めて、あんまり考えて計画を詳しく練って、行けるかどうかと言ったときに、本当に大きな目標というのはね、「行けるかどうかわからない」という答えしか出ないんですよ。
 もしわかってたら簡単にできちゃうんですよ。
大きければ大きいほど、「わからない」という答えしか出ないんです。

 わからないけれども、できるかもしれないと信じて、やってみようって、緩く思いながら、進んでいく。
 それが成功の秘訣なんですね。

【次回に続きます】

 

(2018年4月24日掲載)






 

 

 

第1回~第100回(クリックすると一覧を表示します) 第1回「縦軸と横軸について」
第2回「神様は何をしようとしているのか」
第3回「本で涙を流すことについて」
第4回「本を読んでも内容を忘れてしまうことについて」
第5回「時間をうまく使えるようになるには」
第6回「太宰治について」
第7回「摂食障害の人が片付けが苦手だったり、約束の時間に遅れてしまうのは何故ですか?」
第8回「自分のことを『僕』『おいら』と言うのをやめられなかったのは、なぜか」
第9回「おいしいカレーと、おいしくないカレーの違い」
第10回「楽しんで走る」
第11回「死ぬことへの考え」
第12回「『聞く』と『教えてもらう』」
第13回「頑張るフルマラソン」
第14回「他人の成功」
第15回「『今』という時間」
第16回「不安の先取り」
第17回「良い協力関係」
第18回「急に悲しくなる」
第19回「夢の持ち方について」
第20回「心の許容範囲」
第21回「疲れるのが怖い」
第22回「スポーツの勝ち負け」
第23回「人といること」
第24回「“好き”という気持ち」
第25回「何でも知っている」
第26回「舞台鑑賞が怖かったこと」
第27回「生まれ変わるとしたら」
第28回「一番感動した景色、美しい国はどこですか?」
第29回「好きな時代はいつですか」
第30回「体型について」
第31回「行きたいところ」
第32回「悲しくなったら、動く」
第33回「意志を持てないこと」
第34回「心を動かす」
第35回「恋愛できますか」
第36回「日記の重要性」
第37回「心配されたい」
第38回「ONとOFF」
第39回「いつも同じ態度で」
第40回「涙腺が弱い」
第41回「子供が苦手」
第42回「正しいことを通そうとして」
第43回「流されて生きる」
第44回「才能について」
第45回「身長は伸びますか」
第46回「否定感が強い」
第47回「ぐっすり眠れない」
第48回「見え方、感じ方」
第49回「強さについて」
第50回「自分の出し方」
第51回「身体の調子と気持ち」
第52回「何のために変わるか」
第53回「痛みを知る」
第54回「投げやりな気持ち」
第55回「未完成」
第56回「相手を許す」
第57回「書けないとき」
第58回「甘いと甘え」
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第60回「落ち込んだ時」
第61回「生きているなら」
第62回「わからない問題は」
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第64回「子育てについて」
第65回「夫婦で大切なこと」
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第67回「友達が欲しい人、そうでない人」
第68回「未来を信じる」
第69回「山を登ると」
第70回「リーダーをすると苦しくさせる」
第71回「自分から人を好きになる」
第72回「小さいころからの恐怖心」
第73回「お姉さんのような存在を」
第74回「作業に対して気持ちの落差が激しい」
第75回「大きな希望を持つとき①」
第76回「大きな希望を持つとき②」
第77回「夢について・集中力について」
第78回「やるべきことをできていなくて苦しい」
第79回「やるべきことをできていなくて苦しい②」
第80回「真面目さは何のために」
第81回「高いプライドをつくるには」
第82回「番外編:そうだ、お母さんにきいてみよう!」
第83回「相談、確認が多いことについて」
第84回「自信を持つ」
第85回「間の良さ、間の悪さ」
第86回「過去を美化してしまう」
第87回「統合力を高めるには」
第88回「見張られているような不安」
第89回「どうして人間だけに気持ちが必要なのか」
第90回「休日になるとやる気がなくなってしまう」
第91回「低気圧」
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第111回「外見について」
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第125回「自分を楽しませること、幸せに過ごさせることが難しい」
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第129回「個人プレイからチームプレイへ」
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第131回「なぜ、痩せているほうが良いと思われるのですか?」
第132回「予定が変わると、気持ちがもやもやする」
第133回「楽観主義者と悲観主義者の境界線」
第134回「上品に、笑顔で、美しく」
第135回「続『上品に、笑顔で、美しく』」
第136回「嘘をつけない」
第137回「お父さんが怖い 前編」
第138回「お父さんが怖い 後編」
第139回「見事やで」
第140回「頼まれごとが不安・時間に遅れる①」
第141回「頼まれごとが不安・時間に遅れる②」
第142回「頼まれごとが不安・時間に遅れる③」
第143回「大きな声を出すこと」
第144回「時間の使い方」
第145回「お腹がすく」
第146回「本を読む時、第三者の視点になってしまう」
第147回「罰ゲームの答えとユーモア」
第148回「アイデアが出ないこと」
第149回「気持ちと身体の助走」
第150回「花や動物を可愛いと思えない」
 
第151回~第200回(クリックすると一覧を表示します)
第151回「美味しいセロリ」
第152回「尊敬している人といると、あがってしまう」
第153回「考え事がやめられない」
第154回「認めてもらいたい気持ち」
第155回「寝汗をかかなくなった」
第156回「時間の不安について」
第157回「楽器を練習したい、本を読みたい」
第158回「疲れを認めたくない」
第159回「アトピーと蕁麻疹」
第160回「はっきりした人になりたい」
第161回「会話と、興味の深さについて」
第162回「思春期の不安定」
第163回「潔癖症について」
第164回「自尊心」
第165回「自分の身体のサイズ感をとらえるのが苦手」
第166回「兄弟を心配する気持ち」
第167回「自分の声への違和感」
第168回「野菜の調子が悪いと、自己否定してしまう」
第169回「好きな気持ちと、誤解をされることへの不安について」
第170回「トイレが近いことについて」
第171回「競争意識について①」
第172回「競争意識について②」
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第174回「恐がりなことについて」
第175回「テンション」
第176回「目を見ること、見られること」
第177回「よいお母さんになる10か条」
第178回「音楽と我欲①」
第179回「音楽と我欲②」
第180回「時間の使い方と焦りの気持ち」
第181回「自分に疑心暗鬼になって、不安に陥ってしまうのはなぜ」
第182回「有志の募集に手を挙げづらい」
第183回「緻密に」
第184回「いつも怖い」
第185回「体型に対するこだわり」
第186回「気持ちの切り替えが、うまくできない」
第187回「米ぬかぼかし作り」
第188回「評価すること」
第189回「堂々とした人に怯えてしまう ①」
第190回「堂々とした人に怯えてしまう ②」
第191回「耳が良くないこと」
第192回「限界」
第193回「物を簡単に捨てることができてしまう」
第194回「整理整頓、片付けができない」
第195回「次のミーティングは、いつですか?」
第196回「整理が過ぎるのは症状ですか」
第197回「人をもっと理解したいということについて」
第198回「体育の授業が怖くて、さぼっていたことについて」
第199回「完璧が怖い」
第200回「やるべきことに追われてしまいがちな気持ちについて」
 
第201回~第250回(クリックすると一覧を表示します)
第201回「正面から受け取りすぎることについて」
第202回「手持ち無沙汰にさせることが怖い」
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第204回「魚の食べ方について」
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第278回「深い信頼関係は、どう築いていったらいいのか」
第279回「ダークマターの存在に守られていること」
第280回「利他心の球技について」
第281回「小さな楽しみ、食器洗いについて」
第282回「どんなリーダーを目指したらいいか」
第283回「小さい子どもの遊ばせ方について」
第284回「大人と子どもの境界線について」
第285回「経済観念について」
第286回「自分に変に自信があること」
第287回「泣けるようになったこと」
第288回「味覚が変わったこと」
第289回「ここぞというときに失敗してしまうこと」
第290回「親を否定できなかった理由」
第291回「自分が何に傷ついたのかわかりにくい」
第292回「聞いたことを言葉でまとめるのが苦手」
第293回「リーダーをすることへの罪悪感」
第294回「子供の頃に虐められやすかったこと」
第295回「新たな価値観を作ること」
第296回「捕食するのを見るのが好き」
第297回「身体の調子を安定させるにはどうすればいいのか」
第298回「みんなと達成感を味わえるリーダーになるには?」
第299回「『老人と海』を読んでどう感じたらよいのか」
第300回「毎日同じものを食べても飽きないのはどうしてか」
 
第301回~第350回(クリックすると一覧を表示します)
第301回「国民年金について」
第302回「サプリメントの必要」
第303回「自動車の運転について(車の運転で大事なこと)」
第304回「具体的に考えること」
第305回「関係の取り方」
第306回「自分の行動でおかしいと思うこと3つ」
第307回「イライラしてきつい空気を出してしまう」
第308回「やらなければいけないと感じて苦しくなるのはなぜか」
第309回「年齢と自覚が噛み合わないこと」
第310回「歌声のピッチが合うこと」
第311回「眠気がなくなったこと」
第312回「湯舟でおしっこをしていたのはなぜ?」
第313回「カッコイイ男性に対して引いてしまうのはどうしてか」
第314回「上手な緊張感の持ち方」
第315回「リーダーをするときに不安があったり優柔不断になること」
第316回「目立つことを避けてしまうのはどうしてですか」
第317回「2人で作業リーダーをするのが苦手」
第318回「ウクライナの戦争など大変な状況が起きているとき、その場に自分がいないことを申し訳なく思うこと」
第319回「講演会で話す時の秘訣」
第320回「吹き矢がうまくいく時とうまくいかない時があること」
第321回「ハングリー精神と、幸せのその日暮らしの両立について」
第322回「小学生みたいな日記になってしまう」
第323回「誰のために能動的か」
第324回「頭を使う人、使わない人」
第325回「セブンブリッジの楽しみ方」
第326回「罰ゲームをするときに恥ずかしくて困ってしまう」
第327回「これから社会人になるにあたって気を付けるべきこと」
第328回「親が子供に対する本当の優しさとは」
第329回「頭を使えば作業のスピードは上がりますか」
第330回「人前でうまく話すことができない」
第331回「報告や相談が苦手」
第332回「プレゼンテーションで緊張することについて」
第333回「作業でうまく空気を作れない」
第334回「急なスケジュール変更を受け入れられること」
第335回「本の内容が入ってこない」
第336回「あるべきイメージをどうしたら持てるのか」
第337回「表現しなければならないという気持ちが強かったこと」
第338回「養護施設で人の生き方を教えることについて」
第339回「自分の評価をぶらさずに肯定感を保つには」
第340回「いいサブリーダーとは」
第341回「自分のマイナスを捉えることが苦手」
第342回「すぐに涙が出るのは自分が薄っぺらいからですか」
第343回「摂食障害から回復した状態とは」
第344回「楽なほうに逃げてしまう自分は、まず何を変えればいいか」
第345回「体重が増えると大きな気持ちでいられるようになった」
第346回「気持ちに強弱をつけるということ」
第347回「自分を縛りがち」
第348回「相談するのが苦手」
第349回「敬語でなく横並びの関係を取りたい」
第350回「内向的に育った自分の欠落をどう捉えたらいいか」
 
第351回~第400回(クリックすると一覧を表示します)
第351回「『なんで』という言葉が多い子供とそうでない子供の違い」
第352回「コンタクトレンズを入れていると頭が痛くなる」
第353回「怒られないための人生を変えるために、まずどうすればよいか」
第354回「啓発本に逃げるような読み方にならないためには」
第355回「どうすればいいリーダーとしての話し方ができるのか」
第356回「自分が薄っぺらいのを直していくにはどうしたらいいか」
第357回「自信を常に安定して持つにはどうすればいいか」
第358回「話すことで気持ちがチャージされる」
第359回「ナルシストと自信がない人」
第360回「朗読をするようになってからビクビクするのが減った」
第361回「大きな目標は、いつ持つものなのですか」
第362回「踏み込まれる怖さ」
第363回「人と人との間に境界線を持つこと」
第364回「怒られやすいタイプ」
第365回「宗教心とモラルについて」
第366回「生育環境が自分より豊かな人に対して壁を作ってしまったり、豊かでなかったことの寂しさや負の気持ちはどうしたらとれるのか」
第367回「桃の味が古い樹と若い木で違うのは」
第368回「自傷について」
第369回「適切な兄妹関係とは」
第370回「野菜を上手に育てられていない心持を具体的にどう直したらよいか」
第371回「甘えをなくし続けることが自分にとって回復し続けることですか」
第372回「AIについて」
第373回「話を要約するのが苦手」
第374回「要領がいい人と、要領が悪い人の差」
第375回「自信の具体的なつけかた」
第376回「物を壊す頻度が多く、どうしたらなくせるか」
第377回「0か100思考をどうしたら克服できるか」
第378回「本を読むとき、作者が伝えたいことが読み取れない」
第379回「シスターの人とどう作業をするか」
第380回「朗読をするとき、面白い場面でも笑わずに読むにはどうすればよいか」
第381回「いつもと違う真剣な空気を怖いと感じてしまう」
第382回「人や野菜の気持ちが汲めないことが多い」
第383回「人をどう評価するか」
第384回「自閉症や発達障害が増えているのはなぜなのか」
第385回「いじられキャラになってしまうのはなぜか」
第386回「小説から現実の世界に戻れないのはおかしいことか」
第387回「ミスをするのが怖い気持ち」
第388回「人と話をするようにどれくらい努めるべきか」
第389回「人との距離感について」
第390回「普通の人になりたいと思うほど、苦しくなったのはなぜ?」
第391回「運転中、後ろから 車に追突されそうなときは」
第392回「窓口で会う、素敵な人のようになりたい」
第393回「人と話すときに遠慮したり、混乱したりして、何も言えなくなってしまう」
第394回「日本の縫製業のこれからについて」
第395回「地で生きていることについて」
第396回「人に言葉を伝えるのが下手だと思う」
第397回「自分に合う服」
第398回「人と目を合わせるのが怖い」
第399回「謙虚な気持ちとは」
第400回「気遣いができるようになるには」
 
第401回~(クリックすると一覧を表示します)
第401回「写真と自分のイメージがかけ離れている」
第402回「地で生きていると苦しくなること」
第403回「急かされている感じがして焦ってしまう」
第404回「相手の本質がわかるようになるにはどうしたらいいか」
第405回「怒りについて」
第406回「神様を信じる気持ちについて」
第407回「未熟な自分を受け入れることについて」