この間、ウクライナの話がありました。私は小さな頃から、どんなに遠くの話でも、戦争のような怖い話を聞くと、その場にいないことが申し訳ない気持ちになります。
とても幼いときは、猛烈な絶望感を感じるくらいなんで自分はそこに居られないんだ、と申し訳なさが強かったです。
今も同じように思うのと同時に、自分がそう思うのはおこがましいことなのではないか、とも思ったりします。
お父さんはこういう大きな問題をどう捉えて、どういうふうに消化しているのか教えてください。
【お父さんの答え】
ウクライナで起きてることが正義なのか、それとも正義ではないのか。なぜ、こういう戦争が起きているのかは、きちんと自分なりに知っておきたい、という気持ちは強いですね。この戦争では、世界的に様々な影響が及んでいて、日本もかなり影響を受けています。
昨年以来、建築資材や日用品、食品までたくさんの物の値段が上がったり、日本の防衛の考え方もかなり変わりました。
自分はそれをどう考えるか、スタンスをはっきりしておかなければならないと思っています。実際に、日本が武器を供与するとか、参戦するとかはないだろうけれども、この国としてどう関わっていくべきかは、きちんと考えておいて、いざ国民の判断を仰ぐとなったときに私はこう思います、という1人の人間としてのスタンスは、はっきりさせておいたほうがいいということです。
去年の2月24日に、ロシアが攻めてウクライナ領内に入ったとき、すぐにもロシアに占領されてしまうだろうという大方の予想を裏切って、ウクライナが効果的な防御態勢を敷いて侵攻を食い止めた。ゼレンスキー大統領は世界の各国に呼びかけて、西側の国の気持ちを一つにして応援してもらって、反撃するところまで持ってきたわけです。
そういう国のリーダーとしてのあり方に見習うべきところがあると思います。言ってみたら、本能寺の変みたいな絶体絶命を、攻守をひっくり返して、攻めてきた側をやっつけてしまう、というような戦争が現実に、いま起きてるわけですね。
それに対して同じこの地球の上に住んでいる人間としてね、正義はどこにあるだろうかと考えておくべきだろうし、あと他の国がどういうスタンスでそれに対応しているのか、自分の国はどう対応しているのか、知っておくべきだとは思います。
日本もそれに対して、いくつかの支援をしているわけですが、それが賛成なのか、そうでないのか、どうしたらいいと思っているのか、国が間違った判断を下さないように、1人の国民としてスタンスをハッキリさせておいたほうがいいと思います。
また今回のことで、ウクライナの歴史も世界に知れ渡ることになったことや、ウクライナの人たちの気概も全世界に知られるようになりました。
国を守る気持ち、自分たちの正義を通す勇気と智慧、それぞれ見習うべきところが多いと感じました。
ただ、いくら大変な事態が起きているからといって、いますぐ自分が現地に飛んで行って助けてやろう、というのは行き過ぎた気持ちです。
心が傷ついた人は、正義の味方じゃなくて、常に弱い者の味方になりがちです。弱い人を見たらどこにでも行って、助けたくなってしまう。弱ければ弱いほど、ものすごく行きたくなってしまうのです。だからそういう行き過ぎた気持ちが出てきたときは、ちょっと立ち止まって、よく考えなければいけないところですね。
その場にいないことを申し訳なく思うというのも、行き過ぎた弱者救済の願望から出てくる気持ちで、自分の傷が癒えれば、申し訳ないとまで思う気持ちはなくなります。
大変なことになっている火事場に飛び込んで行きたい気持ちというのは、自分の心の傷が癒えてないからこそ過剰に出てくるわけです。いつもいつも本当に助けるべき方法は、その場に飛んでいくこととは限りません。
だからバタバタした気持ちにならないで、ちゃんと自立した人として、今の自分に何ができるのか、できないのか。あるいは自分が今やるべきことは何なのか、そこを冷静に考える姿勢が、まずは大事なことだと思います。
(2023年5月23日 掲載)
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