【質問】
好きな花について
特定の花を見ると、なんとも言えず愛しい気持ちになるのですが、その感情はどこからくるのでしょうか?
なのはなに来て、「アゼムシロ」という、田んぼに群れで咲く小さい白い野花を知り、大好きになりました。どこがどう好きだとは言えないのですが、見つけると、心臓がしーんとし、嬉しさと、物悲しさが混ざった、泣きたいような気持ちになります。この花と同じ世界に生きていられてよかった、と感じます。
私はもともと動植物や自然の景色が好きですが、そういう感情が強く起こるという意味で、この花は特別な存在です。
お父さんとお母さんは、そういうふうに感じる花などはありますか?
また、そういう気持ちが湧いてくるのはなぜですか。
【答え】
これを読んで、お父さんの場合には、すごく思い出すのが、なのはなファミリーを始めてからまだそんなに時間が経っていない頃に、みんなと一緒に岩見田で、散歩に出たときのことです。
位田のほうまで歩いていって、田んぼの中からちょっと人家のあるほうに入ったところで、ふと、使われてない畑のなかで見つけたのが、ムスカリです。
それを見たときにはね、もう、……最初はびっくりしてね、次に感動してね、なんかこう、本当はお城の中の奥深いところで一般の人が目に触れることのできない王女様が、下々のいる畑の中にいて、
「こんなところにいていいんですか、あなたは?」
って言いたくなるくらいの、高貴な感じ。
見てはいけないものを見てしまったような、ね。本当はこんなところで見つけちゃったらいけないんじゃないか、みたいな感じがしました。
とんでもない高級な花が、たまたまそこにあるのを僕が間違って見つけちゃったというような、心臓がドキドキするくらいの感じでしたね。
それでまたその色がいい。色が、鮮やかな紫色っていうかね。濃い青でしょ。
考えてみると、濃い青の花っていうのは、わりに少ないような気がするんですよね。
あの、バラなんかも、青いバラを作れたらという夢が永いことありました。青いバラは無いと言う。でも今はあるみたいです、少し青っぽいのがね。
朝顔は青いですよ。
だけど、割と少ないなかで、濃い青で、しかもスズランのような小さいベルみたいな小さな花をたくさんつけている。ムスカリって小さいベルみたいな花がいっぱいあるでしょう。その繊細な感じが素晴らしい。
スズランも北海道で有名な花だけど、ちっちゃいベルみたいなのがつらつらつらと並んでる。ムスカリの場合は山形に、ツリー状に並んでいるわけですが、こういうのを見たらね、なんて繊細で、なんて奇麗で――細工がすごいですよね。もう、なんていうか、癒やされるし、いつまで見てても飽きないし、心奪われますよね。その造形、色の鮮やかさ、佇まいがいい。
本当に恋してしまうくらいの気持ちでした。
本当に、平常心ではいられない、ワクワクするような……。
お父さんはそれからムスカリが大好きなんだもんね。1人ひとりにこんな思いがあったらすごい、いいよね。
あの、その思いがどこから来るのかっていう質問だよね。
僕は思わずいま「本当は高貴な王女様が」って言っちゃったけど、花を見て、擬人化しちゃってるんですよね。花の中に人格を見ちゃうんです、たぶんね。
それで、切なくなっちゃう。
花は花、って思ったら、なんでもない。花じゃないんだね。花のかたちをしている人、って感じちゃうんですよ。
その、花が持ってる造形が繊細で、小さくて、繊細だと、「なんて繊細なひとなんだ」ってなってしまう。なんて繊細な花なんだ、じゃない。なんて繊細な人なんだ。なんて美しい人なんだ、なんて可愛らしい人なんだ、ってね。
可愛らしくて美しくて本当にいたいけな存在を見たら胸がバクバクするでしょ。恋しちゃうんですよね。
なんかこう……素晴らしいな、素晴らしい人だな、って思ってしまう。
あの、考えてみると、僕は、小さい魚を見ても、小さい虫を見ても、やっぱり、人だと思っちゃうんですよね。感動する虫とか、感動するものを見たときにね。
全然、関係ない話ですけど、これはお母さんと一緒にカナダへ車で旅行したとき、道の途中で小熊を見つけたんです。小熊が1匹、道路脇の丘の中腹を1人で歩いてたんですけど、僕らが見てるってわかったとき、それまで普通にスタスタ歩いてたのが、
(お父さん、立ち上がり小熊の真似をする。一歩ずつ反動と揺れをつけて)
何、揺れてるんだろうと思ったら、ズシーン……ズシーン……って何か大物の熊に見せてるんですよ。大物に見せて、1歩ごとに、ゆらゆらゆら、と身体を揺らしているんです。
こいつー、大物のフリして子供のくせにって。親熊が近くにいたら殺されちゃうんですけど、「こいつー」って捕まえてやりたいような。
可愛かったな。
可愛い! 非常に可愛い。
こっちを意識して、
「どうだ! ……来るんじゃないぞ。俺はすごいぞ」
って、その一生懸命さが、可愛いじゃないですか。
それと僕まったく同じだなと思ってるのは、ナナフシという虫がいるんですね。
知ってる?
なんと言ったらいいのか、辞書で見たらすぐ出てくるけど、ちょうど稲わらみたいな太さで、大きいのは20センチくらい。小さいのは7センチくらいだけど、そこに蚊みたいな細い足があって、木にとまってるんですよ。枯れ枝みたく見えるんですよ。
その、ナナフシが熊と同じように、ふるふるって揺れるんですよ。
これは大きく立派に見せるんじゃなくて、枯れ枝に見せようと思っている。風が吹いたら枯れ枝は揺れるじゃない。歩くときも、ひゅるひゅるひゅる……ひゅるひゅるひゅる……揺れながら歩いてる。それも熊と一緒だなと思ったけど。
人間みたく思っちゃうんだよね。策略を巡らせて。見つからないように。「見つけてるよ、お前を!」って思うんだけど。
コラッて捕まえようとすると、すたすたすたって逃げるんですけどね。歩くんですけど、見つかったかどうか微妙なときはまだ、揺れてるんですよ。
そういうの見ると、こいつ――ナナフシは愛しくないですよ、あんまり愛しくないですけどね――擬人化して見ちゃって、その擬人化した虫なりなんなりが、本当に可愛い場合、美しい場合ね、やっぱりもう……心臓を射止められたくらい恋してしまうことがありますよね。
あるいは恋しなくても、ちっちゃい魚に、なんていうかこう、尊敬の念を持ってしまう。その魚のプライドが見えたときにね。
まだ言ってなかったっけかな、僕ね、高校生くらいのとき、何かしょんぼりして山の中に1人で入ったんですね。その頃、山の中によく1人で行っていたなと思うんですけど。
本当に自信をなくして寂しい感じだったんですね。
で、小さいこのくらいの(1メーター弱の)川幅の小川が流れてて。水深何センチかの。下が砂でね。
その川辺に沿って歩いて、見るともなく見たら、ハゼみたいな種類の、地面に止まっている魚がいてね。小さい、5センチ、3センチくらいの小さい魚がいてね。
で、見たら、こいつ、愚鈍な感じですぐ捕れるだろうなと思って、手を近づけても全然逃げなくてね。砂ごと、スッと捕った。
捕られたら暴れるかなと思ったら暴れない。手の中で、こっちを見てるわけ。キョロっとして。「なんなんだよ」っていう感じで僕を見るんです。
これがこう、すごいなあ、と思ってね。勇気があるなと思ってね。僕を怖がらない。
捕られても、信じてると言うか。
自分が殺されるなんて思ってない。
こっちをジロッと見てる。目と目が合うんですよ。すごいなと思ってね。
それで、しばらくそうやって見ていて、この魚プライドが高いし、勇気があるなと思ったんだけど、ただ病気なだけかもしれない。それでちょっと意地悪したくなって、ちょっと手を緩めて、ジョボジョボって指の隙間から水を出してしまいました。それでもジッとしてたらただ弱っているだけですよね。じょろじょろって水を少なくして、なくなったら途端に、「ふざけんなこの野郎!」っていう感じでバタバタ暴れだしてね。びっくりして元の川にすぐ帰してやりました。
その魚、川の中に入ったら逃げるかなと思ったらすぐ足下にいて、「酷い目に遭った」っていう感じで、まだいるんですよ。そこにね。
すごいなあと思ってね。
こうでなきゃいけないな、立派だなと思ってね。
何で自分はそんな自信なくして自尊心なくして、こんな3センチの魚からしたら何十倍、何百倍どころか、こんな大きい身体して、何を自信ないとか、何バカなこと考えてたんだろうと思ってね。
この魚の自尊心を、僕も見習わなければいけないなって、思ったんですね。
すごいなと思ってね。
あの、そういうことってやっぱりあるんですよね。
花は言葉をしゃべらないかもしれないけど、やっぱり何かこう、生命があるというかね。美しい花だったら美しい生命があって、プライドも、多分あるんじゃないかみたいに、感じちゃう。
なんかその、言葉にならない、人間の日本語にならないような、凛とした、正しさ、規律というものを持って、初めてそこに根っこを生やして、咲いて、命をたもって、花を咲かせている、っていうことを思うとね、やっぱり胸が締め付けられるくらい、すごいなっていう感情に捉えられますよね。
で、それが、たまたま咲いていれば出会うことができる。咲く時期が過ぎてしまったら、無くなっちゃう。
まあ、消えはしないんだけどね。根っこは残ってまた来年、咲かせるんですけど、この限られた時間の中を精一杯、奇麗に咲いていると思うとね、何かこう、命というのは無限じゃない、そういうなかで限られた命を精一杯に生きているということ、そういうことが思われて、胸を打たれますよね。
じゃあ全部の花がそうか、全部の魚がそうかというとそうでもないし、軽蔑したくなるような魚もいますしね。軽蔑したくなるような花は思いつきませんけど、本当に心惹かれる花があるんじゃないでしょうか。
で、それは人それぞれで、ちょっとずつ違うかもしれないなって、思いますね。
お母さん、どんな花が好き。お母さんはそういう、心ときめかせる花ってなんですかね。
いやいや、その時々によって、気持ちによって違って、それオンリーということ無いんだよね。前に話しした、やっぱりブルーの花だけど矢車草を河原で見つけたとき、やっぱり宝物を見つけたみたいだったでしょ。
で、ササユリも、山の中で、笹だと思って、ユリでしょ。奇麗な。
なんだっけ、リンドウもね、花屋さんで売ってるリンドウは太くて節々に花がついてるけど、本当に野のリンドウってね、茎が枝みたいに細くって、すっごい可愛らしいの。これもブルーで。
草むらの、ススキがいっぱいのところの中で、「私を見つけて」みたいな。
オミナエシやらキキョウやら、揃ってじゃなくて、一輪、二輪、スッて咲いてるのが、すごく、今お父さんが言ったみたいに、自分だけが見つけた宝物みたいなのが、心に残るよね。
みんなも意識して、こういう気持ちを育てていったらいいのかなと思って。
好きな花を見つけるというか、作るの、いいよね。花だけじゃなくてもね。
次回へ続きます。 (2018年9月21日掲載)
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