4月9日
○新たな気づき、収穫
今日は火曜日で、夕方にハウスミーティングがありました。メンバーも揃って、お父さんのお話をたくさん聞かせていただけて、今日も嬉しかったです。
わたしがさせていただいた質問に対する、お父さんの答えが心に残りました。
物心ついたときから(6歳前後から)、なのはなに来るまで、生活に支障をきたすくらいの先端恐怖症を抱えていました。
小学校、中学校では黒板の角、教卓の角、棚の角など、教室のありとあらゆるところに先端(尖ったもの)を見てしまい、顔を上げていることが困難になることがありました。だからといって顔を伏せると、今度は自分が持っている鉛筆の先端が目に入って、顔も上げられない、下も向けないという状況に追い込まれて、目をぎゅっとつぶって何も見ないようにして、その恐怖が収まるのをこらえていました。
他にも音楽発表会では、教師が振り回す指揮棒が1番といっていいくらいに尖っていて怖くて、その場から走って逃げ出したい衝動に駆られました。歌を歌うどころか、その場に立っていることさえ苦しくて、音楽集会の時間は苦行のようでした。
本屋さんに行けば、作者が書かれた区切りのプレートが本棚から飛び出していて、四方八方から自分に突き刺さってくる恐怖に襲われました。本を選ぶよりも、いかにプレートを見ないようにするかで頭と心がいっぱいになって、気持ち悪くなりました。
また、手の平に指を突き刺す行為、足の裏に何かが触れることも怖くて、そのまま指が貫通してしまうような気がして怖かったです。
そしてそれをイメージしたくないのに、何度もイメージしてしまって、そうすると全身の力が抜けて、気が遠くなる感じがしました。
先端が怖い、と思うようになった瞬間をはっきりと覚えていました。
6歳前後でした。出かけた先で、商品がかかっているL字のフックが目に刺さってくる、と突然思い、その瞬間から先端を見ると、目に刺さる怖さを感じるようになりました。
このことについて話をしたら、お父さんが、自分が本当に感じていた恐怖を置き換えた先が、先端恐怖症だったんだよと教えてくださいました。わたしが本当に怖かったもの、それを実際に「怖い」と口に出してしまうことができなかった。だからその恐怖を「先端(尖ったもの)」に置き換えた。「先端が怖い」というのは、周りの人にも言うことができるし、自分にもそう言い聞かせたら、本当の恐怖と向き合わなくて済む。
恐怖の置き換え先だった。
そうお父さんに教えていただいて、今になって初めて、自分がずっと苦しんでいた症状の謎が解けた気がしました。
これまでは周囲の人に「先端が怖い」と言ってもあまり理解してもらえなくて、むしろ友達からはからかわれて、わざと先端を向けられたりすることもあり、自分でもどうしてこんなにも先端が怖いのかわからず、自分がおかしいのかと思うこともありました。
それなのに時折、襲ってくるようにすべての尖ったものが自分に向かってくるような恐怖に襲われることがあって、1日のなかでも強く恐怖を感じるときと、気にせずに過ごせるときで波がありました。
気にしないようにしようと思えば思うほど、先端を自ら探してしまって恐怖に襲われて、自分でも止めたいのに怖いイメージをしてしまって、どうして自分はこんなにも先端が怖いのか、自分で自分が理解できない不安をずっと感じてきました。
でもお父さんは自分の質問1つですべてをわかってくれて、自分のずっとわからなかった怖さの答えを教えてくださいました。
自分がなのはなに来て先端恐怖症の症状が治まったのも、ただ癒されたからじゃなくて、物理的にも精神的にもストレスから離れたことで、恐怖を置き換える先が必要なくなったからだという答えにも納得がいきました。
ということは、この先も、ストレスから離れた状況、環境に心身を置くことで、摂食障害の症状と同時に、先端恐怖症の症状からも抜けることができるのだと思いました。
先端恐怖症は自分の弱さとか、自分が勝手に生み出した怖さじゃなくて、自分を守るために身につけた逃がし先の1つだったと知れたことは、大きな収穫だと思います。
そして今の自分にはもうその逃げ道は必要ないものだから、完全に手放していいんだと思えたことが嬉しかったです。
自分の傷にまた1つ、理解と整理ができました。
今週のハウスミーティングも自分なりに良い時間にすることができて、とても嬉しかったです。また来週も楽しみです。