「生産する側に」 ふみ

6月5日

 仕事から帰ってくるときに、駐車場に行く坂道を車で上がっていくと、ナスの支柱が梅見畑に立っている光景が見えました。
 整然と、美しく立っている支柱が美しく、ナスのお家が出来ていて、支柱立てをしたみんなの話しを聞かせてもらって、みんなが格好いいなと思ったし、私もできることを精一杯頑張ろうと思いました。

 あと、先日の夜の集合のお話が嬉しかったです。
 お父さんは、田んぼで一日作業をしてと言われたら、一日でも作業をしていられる。それは、お父さんの美意識で、この田んぼを鏡のように奇麗にしたいと思って楽しんですると教えてくださいました。
 仕事でも何でもそうで、心が囚われていないと、楽しいものなのだと教えてくださいました。

 夜の集合のお父さんのお話を聞かせてもらって、自分の美意識に叶うようにする心は、囚われていない心なのだと感じました。
 お父さんが、以前、ミーティングのときに、
「これからは、これまでの枠組みから見た『出来る人』になるのではなくて、自分の美意識にかなう『できる人』になるんだよ」
 と教えてくださって、今回のお話と繋がるように思いました。

 失敗したらどうしようとか、怒られたらどうしようという怖さがあると、自分のことしか考えられていなくて、そこに生産されるものは何もないけれど、お父さんのように、自分のなかの美意識にかなう仕事をするために、この田んぼを鏡のように綺麗にしたいと思ったり、そう思うと、怖さからの受け身の体勢から、自分からなにか生産する側に変わっていくように感じます。
 お父さんに教えていただいたことを心に置いて、みんなと協力して作業をしていきたいです。
 まだ見ぬだれかのことを思って、心の舵を切っていきたいです。