「今週のハウスミーティング」 るりこ

3月26日

○今週のハウスミーティング

 今日は火曜日で、夕方のハウスミーティングがとても楽しく、濃い時間でした。

 印象的だったお話は3つあって、1つは、ある子の質問で「お父さんが建てるとしたら、理想の家は?」という内容のものでした。
 お父さんは、今の家はたくさんの人が集まれるような応接室がない、と話されていました。そして数年前にお父さんとお母さんが宿泊した、ある家の話をしてくださいました。
 そこには、応接間と、10人以上が一緒に食事をすることができる食堂があり、また、10人以上で料理をすることもできるスペースのあるキッチンがあったことを話してくださいました。

 横で話を聞いていたお母さんが、「あったよ!」と言って、そのときに撮影した写真をタブレットで見せてくださいました。
 そこにはお父さんが話されていたような壁が石でできたお家の風景が写されていて、大きなテーブルがあり、その隣に、大勢が一緒に調理できるように、作業台や流しがいくつも配置されたキッチンがあり、とてもきれいで、そして広々としていました。

 今、日本の多くの家は、食事を摂るテーブルがテレビに向かって設置されてあることを聞いて、わたしの実家もそうだったと思いました。
 現代の日本(だけじゃないかもしれませんが)の家は、大勢の人が集うという前提がそもそもなくて、家族の中だけで完結している。でもそれも向かう先はテレビで、人と食事の時間を共有する、という考えがない住宅設計になってしまっていることを感じました。

 またお父さんの話のなかで心に残ったことが、「家に住むのは自分かもしれないけれど、家の外観は景色やそれを見る人のためでもある」と話されていたことでした。
 最近の家は真四角で、色も真っ黒だったりして、あまりにも情緒がないと感じる家が増えていると、わたしも思います。それは家の中の機能としては有効なのかもしれないけれど、それが街の外観としてどうかと考えるとき、見る人を楽しませられる景観にはならないだろうなと思います。
 ここもやっぱり利他心で、その家に住む自分や家族のことだけを考えるのではなくて、その家を見る、まだ見ぬ人のことも考えられたら、家を建てる楽しさがもっと倍増するのだろうなと、お父さんの話を聞いていて思いました。

 わたしは、家の外観は見る人のためでもある、と考えられていなかったけれど、確かに車で街を走っていて、このお家、素敵だなと思うとき、心が弾む感じがします。
 家や建築物で人を楽しませることができるって、たくさんの知らない人に影響を与えることができるのだなと思いました。
 そういう観点で町並みを見たら、自分の視点も変わっていきそうで、お父さんのお話を聞かせていただけて、とても嬉しかったです。

 2つ目は、「親子関係に相性はあるのか」という質問のお父さんの答えでした。
 お父さんは、「子供が何人いたとしても、誰が一番可愛いとかは比べられるものじゃない」と話してくださいました。子供一人ひとりにその子の良さがあって、それは比べられるものじゃないと話してくださいました。また、子供の可愛さや愛情は、一緒に過ごした時間と相関関係にある、ということも教えてくださいました。(それはあくまで生まれて数週間とかの場合の話)

 お父さんの話を聞いていると、自分が癒されていくような気持ちになりました。
 誰が優秀だから好きとか、この子は顔が整っているから好き、とか、愛情はそんなものじゃなくて、一人ひとりが持つその人の良さは誰かと比べられるものじゃない、というふうに考えて、いつも絶対評価のお父さんお母さんという存在がいることに、自分は救われるような気持ちになりました。
 わたしもいつか親という立場になるとき、お父さんお母さんのように子供の良さを知って、人と比べたり、差をつけない、そのままの愛情を向けられる親になりたいです。

 3つ目は、「自己肯定を高めるには」というお話でした。
 お父さんは、「自己肯定感は実績で高められるものじゃないよね」と言いました。
 自己肯定感を考えるとき、他者からの肯定はどうだろうか。例えば、廊下で誰かとすれ違ったり、少し言葉を交わすというだけでも、その時に相手から好意を感じる表情や言葉をもらっただけで、肯定感は増すよね、とお父さんが言いました。
 同じように作業をしていても、自分が何かが必要だと思ったときに、それを察知して、「○○持ってきましょうか?」と声をかけてくれる人がいたり、自分が頼んだことに対して、すぐに動いてくれる人がいたら、自己肯定が高まります。
 そんなふうに例え、自分が自分を悲観していたときでも、誰かが褒め言葉を言ってくれただけで、「そうかな」と嬉しくなるように、自己肯定は他者から向けてもらった肯定感でも強くすることはできるのだと、お父さんが話してくれました。
 それを聞いて、やっぱりどこまでも一人になってはいけないと思いました。
 仲間がいて、仲間に自分を映すことで自分を知ったり、肯定感も増すことができます。
 みんながいて初めて、自分を保つことができるのだと思いました。
 だから自分もみんなにとって、そういう存在、仲間でありたいです。

「でも、僕は自分のことを考えているときと人のことを考えているときでは、98:2くらいの割合だね」
 とお父さんは最後に言いました。
 つまり、人のことを考えているときは、自分のことは考えていなくて、自分のことを考えていないときは自己否定も自己肯定も特に意識していないのだと思いました。
 それくらい、自分の頭や心が他者に向いているときは、自分から離れられているということで、それが最近のミーティングでも教えていただいた、「保護する側の人になる」ということなのだと思いました。

 お父さんの答えを聞いていて、今の自分は自己否定もしていないし、かといって自己肯定をしているわけでもなく、毎日の生活とか今目の前にあるやるべきことに頭が向かっている状態だと思いました。だから、上がりすぎること下がりすぎることもなく、中庸を保っていられるのかなと思いました。
 依存や病気を断ち切る、ということは、自信満々で自立することでも、自分を高みにおくことでもなく、どこまでも自分を離れて、「まだ見ぬ誰かのため」に心と身体を100%向けられる状態になることなのだと、改めてお父さんの話を聞いていて思いました。
 わたしもみんなのなかで自己肯定を高めつつ、常に人のために自分の頭と身体を使える人になっていきたいです。

 1時間という時間のなかだけど、みんなの質問を共有させてもらいながら、お父さんのお話をたくさん聞かせていただけて、それを自分の体験やコンディションと照らし合わせて、深く考え直させてもらえる時間が毎回嬉しいです。
 ロング・ミーティングは一区切りしたけれど、こうした日々の集合やハウスミーティングの時間でも、自分の回復と成長に直結しているんだと思って、お父さんお母さんが教えてくださることを、たくさん自分のなかに落とし込んでいきたいです。

***

○ストレッチ

 4日連続の雨で、昨夜は雷鳴がすさまじかったです。雨音もかなり強くて、一体どうなってしまうのだろうと、少し恐怖を感じる怖さでした。
 雨は午前まで降り続いて、今日もランニングには行くことができず。
 でも室内でできるメニューをあゆちゃんと実行委員のみんなが考えてくれて、体操とインターバルウォーキングのあとから、重点的にストレッチを行うことになりました。
 ペアになって行うストレッチで、頭から下半身にかけて、身体をほぐしていくのだと、あゆちゃんが説明をしてくれました。
 まずは首の筋を伸ばすストレッチからです。ストレッチをする人が座り、補助をする人は、片方の手は相手の肩に置いて、もう一方の手で耳の横を軽く押さえて、左右に押してやります。
 他にも肩回りのストレッチ、肩胛骨などをペアになって、ほぐしていきました。

 1つ面白かったのは、肩回りのストレッチをしているときで、わたしはペアのほしちゃんがサポートしてくれていたのですが、それが結構痛くて、自分はこれはかなり痛いストレッチなのだと思って耐えていました。でもそれを見たあゆちゃんが、「るりこちゃん、すごい腕が上がっていて、大丈夫?」と聞いてきて、ほしちゃんが、「あっ、ごめん」となって、上げすぎていたことが判明しました。
 こんなに上がっていたから痛かったんだと思って、ほしちゃんも、「ごめんごめん」と言ってくれて、2人で大笑いしました。
 その後もほしちゃんがサポートしてくれましたが、ほしちゃんが1つひとつのストレッチに対して、わたしの身体にちゃんと効果があるように大事にやってくれているのを感じて、ほしちゃんの心遣いや優しさを感じて嬉しかったです。

 ほしちゃんは本当に身体が柔らかくて、肩回りの関節は特にぐにゃぐにゃなくらい柔らかくてびっくりしました。
 それに比べて、わたしは肩回りが本当に固くて、大体どのストレッチもかなり効いて、最後は身体に力が入らないくらい、もう脱力、という感じでした。
 それでもやっているときは痛くても、時間が経つと、身体が楽になっているのを感じて、効果があったんだなと思いました。
 気がつけば1時間くらいみっちりやっていたけれど、これを回数を重ねていったら、自分の可動域も広がりそうだと思いました。(特に肩回りが固いことが、ダンスで困ることがあります)

 あゆちゃんが、「筋トレも良いけれど、こうやってストレッチをして身体を伸ばすことも大事。またやろうね」と言ってくれました。
 42.195キロを走るのに、とにかく筋力、脚力だ! と思ってしまいがちだけど、時にはこうして身体や筋肉をほぐして、自分の身体を大事にすることが、怪我のない身体づくりになるのだと思いました。
 雨でランニングに行けないのが残念だと思っていたけれど、雨だからこそ、こうして1時間もみっちりをストレッチをすることができたんだなと思うと、雨も時には必要だと思えました。

 そうこうしているうちに、少しずつ雨脚が弱くなり、昼前には数日ぶりに見る、青空が垣間見えました。
 そして午後には空に大きな大きな虹が架かって、桃畑でみんなと見ることができました。
 雷、雨、虹、と空も忙しそうだなと思うけれど、ようやく天候が落ち着いてきて、少し安心です。摘蕾も進んでよかったです。

 今日も充実した1日でした。明日からはまた数日、マックに行ってきます。
わたしもみんなのなかで頑張ります。