「コンサートが教えてくれたこと」 のん


◆幸せを先送りしないこと

 幸せを先送りしないこと。いつも幸せであること。小腸さんの台詞に出てくる言葉。それを実行したい、感じたい、と願いながらやったコンサートでした。

 卒業生やボランティアの方が帰って来て、日に日に食堂の席がいっぱいになっていったゲネプロの日。夜にお米研ぎを頼まれて家庭科室に行くと、喫茶の商品をラッピングしたりしているあきこさんやかりんちゃん、卒業生のみんな、あゆちゃん、喫茶の係のみんなで溢れていました。

 本番前日の夜の喫茶の準備。大変だと愚痴を言うこともできてしまうはずなのに、そこは賑やかで、楽しくてしょうがない、それをできることが嬉しい、という気持ちで溢れていて、自分は米を研いでいるだけなのですが、そこにいるだけで嬉しくなりました。

 私はともすると、なにかやらなければならないこと(勉強とか)がある気がしてしまって、余計なやることを増やしたくない、と逃げてしまうことがあります。
 でも、米研ぎが終わって、お風呂も入った歯磨きもした、となってまだ消灯まで時間がある、となったとき、なにかできることが欲しいな、と思いました。寝るのは楽だけれど、せっかく卒業生がたくさんいてくれる楽しい時間なのに、このまま寝るのがもったいないような、そんな気がしました。

 家庭科室に行くともうほとんど終わりで、ちょこっとまゆみちゃんたちとしゃべっただけで、できることはありませんでした。
 勉強をしているときは勉強をしなくちゃいけない気が、コンサートをやるときは何か練習をしていなくちゃいけない気がしたり、私はなにか大事なやらなくちゃならないことがある気がして、他のことをするのが損のように感じてしまっていたけれど、感じてしまっているだけで、別にやらなくちゃいけないことなんてなくて、できることがあるのは嬉しいことで、そういう気持ちでやることはどんなことでも楽しいことなんだ、とその卒業生たちの姿を見て感じました。それが幸せを先送りしない、いつも幸せってことなのかもしれない、と思いました。


◆「ここだ!」という間

 コンサート当日もそれを感じる機会がたくさんありました。たくさんのボランティアさんや家族とレッスンルームで食べる美味しいお弁当。同じひとつのものを創り上げようとする仲間が勢揃いした空間。
 自分も間違いなくその仲間の1人だと思ってもらっていると思えるし、自分でもそう思える、と思いました。そんな人たちと、話を回しながら美味しい唐揚げやパウンドケーキを食べられる。一生この時間が続けばいいな、と思いました。

 コンサート中も本当に楽しかったです。あとから詳しく書きますが、役になりきって舞台に立つことができた気がしました。ホールでの通し稽古で、1度、感動しないと怒られた日がありました。あの日は立ち位置や動きを正確にやろうとしただけで、怒られないための演技だったと思います。やっていても楽しくなかった。

 でもその日から演じることを楽しもう、と思ってやってきて、本番当日がやっぱり一番楽しくできました。お客さんの反応が返ってくると、よし、ここで笑わせてやるぞ、伝えてやるぞ、と思えて、面白く感じられるだろう「ここだ!」という間を自然と感じられた気がしました。評価されるされないから外れて、目の前の人に自分の思った通りの反応で楽しませたり、すごいなと思わせたり、伝えたりする。それがすごく楽しかったです。

 片付けのときも嬉しかったです。私はコンサートやイベントの後の片付けに苦手意識があったけれど、それがなんで苦手なのかと考えてみたら、何をして良いかが分からなくなるのが、分からなくなっておろおろして、駄目なやつだと思われるのが怖くて苦手なんだと気がつきました。

 それに気がついてしまえば、意識的に変えようと思うことができました。でも、意識的に変えるまでもなく、竹内さんや、大竹さん、正田さんとかがみんなにユーモアのある言葉をかけてくださるなかで、大きいパネルを運んでいるだけで楽しかったです。

 帰って来て、片付けが一段落して、食堂でみんなでのご飯。ヘルプの人が何にも来てくれての洗い、12人も肩寄せ合って入ったお風呂、寝ようと思って3年生教室に入ったときの暗い部屋に灯るあったかそうなストーブの火。もう全部なんだか馬鹿みたいに嬉しくて、これがずっと続けばいいなと思いました。本当に幸せなコンサートでした。


◆私の使命は

 「いつも幸せであること」と並んでもうひとつコンサートの脚本でこころに留めておきたいのが、「あなたの使命」。

 今回の脚本で、利己的な考えと利他的な考え、愛の世界を創る生き方、いい生き方ができるのかどうかで揺れたり、希望をもったりするおさらば3人組の姿は、私たちの姿、私の姿そのものでした。

 悪い人間に生まれついているんじゃないか、利他心を持とうとしても無駄なんじゃないか。いつも邪な気持ちが出たり消えたりしている。愛の世界なんてできっこない。

 でも絶対に損得勘定で生きるギブソンの仲間にはなりたくない。いつも良くありたい、利他心を持ち続けたいと願うことはできる。希望を持って、生きて行くとしたら、そこにしか生きる道はない。

 3人の言葉は全部心に覚えがあることばかりでした。ハウスミーティングのときにお父さんが、そういう自分には汚い心があるとか、利他心が持てていないとか、そういう問題が「使命」で飛び越えられるんだ、と話してくださいました。そのときはそうなのかと思った段階で、全部は理解できなくて、保留にしていました。

 それから私の使命ってなんだろうと改めて考えたとき、学歴やエリートになるための競争に歯止めをかけること、その競争で苦しんでいる人、苦しんだ人に、そうでない生き方を伝えることなんじゃないか、と思いました。

 そう思ったとき、すっと自分が溶けていくような感覚、自分と他の人との境目がなくなるような感覚になりました。
 その使命が自分のためでないから、その使命が心を大きく占めたとき、目の前の小さな行動1つひとつに利他心が持てているかどうかとか、自分の心がきれいかどうかとか、そんなことは問題にならないのだ、と思いました。お父さんが話してくださったのは、そういうことだったのだ、と思いました。

 コンサートから1日経った昼の集合で、使命の内容は誰にも明かされてないし、量子力学じゃないけど、ないと思ったらないし、あると思ったらあるんだよとお父さんが話してくださいました。
 自分がそれを使命と思い込んだらそれで良いのだと思いました。それが私の使命だなんてどこにも書いてないし、誰も言ってはくれないし、保障もないけれど、だからこそ、それを私が使命だと思い込めたらそれで良いのだと思いました。

 それが私なりの、私の苦しみ方なりの、愛の世界を創る力のなり方なんじゃないかと思いました。日々の生活でも、その先に自分の使命を見て1つひとつの物事に取り組みたいと思いました。

 また、お父さんやお母さんが、利他心を持てない、心が汚いんじゃないか、と私たちが悩んだり、今は持てていないことを知っていて、そこまで理解していて、それでもどうにかしてよくなって欲しいと思ってくださっていることも感じて、本当にお父さんとお母さんは大きいな、と思いました。


◆大切な脚本

 その他にも、脚本にはたくさんの答えがありました。摂食障害をはじめとする依存症になるメカニズム。医者に行っても、図書館に行っても、ネットで調べても、誰も持ってない、どこにも載ってない、答え。

 4〜6歳の記憶が、思い出ファイルとして、人間になるためのプログラムとして、愛情の形として、自分の中にインプットされる。そこで一番大事なことは、家族から大事にされている、認めてもらっている、大好きになってもらっているそう信じられる体験をいくつも重ねること。家族が、それぞれお互いを大切にして、協力しあっている、という体験を4歳、5歳、6歳の間、積み重ねて、愛情の思い出ファイルを暖かな体験でいっぱいにできたら、愛情のプログラムは成功。

 失敗してスカスカのプログラムの人は、親離れをする時期になったとき、親の否定、自己否定がセーブできなくて止められなくなって、精神に異常をきたす。それが依存症の始まり。

 4〜6歳のときに利他心がインプットされていないと、巣立ちのプログラムが失敗して、親離れの時期に親離れができなくなってしまう。ギブソンに打ち克って、利他心で生きるには、幸せを先送りせずに、いつも幸せであること。

 今回たかおとして、演劇の練習をさせてもらうなかで、何度もその答えを視床下部さんや小腸さんから教えてもらいました。毎回の通しのなかで、ひとつずつもっと深く腑に落ちていく台詞がありました。
 この脚本は、もちろん人に見せるための物ではあるけれど、お父さんお母さんが、自分たちのために書いてくれたんだ、と感じました。いままでのどの脚本よりも、大切な脚本になりました。

 その脚本を、みんなと一緒にお客さんに伝えられたことが嬉しかったです。本番に近づくにつれて楽しくなっていったけれど、本番は、本当に格別に楽しかったです。


◆見せたいところ

 ボランティアの方や卒業生と一緒にお弁当を食べて、「えいえいおー!」をして、準備。あゆちゃんの祝電を読む声が響く。予ベルが鳴る。客席の電気が消えて、下りた幕の内側がブルー暗転になる。
 そのブルー暗転の空間にみんなとスタンバイしている時間が、たまらなくわくわくするし、同時に静かな気持ちにさせられる、本番でしか味わえない時間だな、と思います。

 幕が開いてからは、あっという間でした。いくつか印象に残った曲やシーンがありました。3曲目のインビジブルマン。
 自分が踊るダンス曲のなかでは一番ハードで、きつくて、でもここはこう見せたい、ここが面白い、という見せ場がたくさんあって、好きな振りがたくさんあって、踊っていて一番楽しい曲でもあります。

 そのインビジブルマンの最後のポーズをして曲が終わった瞬間、「フーッ!」という声と、歓声と大きな拍手が聞こえて、ものすごく誇らしい気持ちになりました。こう見せたい、というものが全部そのままかそれ以上に伝わった感じがしました。

 それから太鼓。時々ふっと打つ手が右か左か分からなくなったり、小節を数え間違ってしまって迷子になる太鼓。毎回結構緊張していました。でも失敗は練習でやりつくしていて、気を付けるポイントが全部わかっていたので、思いっきり演奏することができました。
 最後の1打まで打ち終わったとき、おおーっといううなるような歓声と、地元の金時太鼓までよくやってくれた!と言わんばかりの拍手が聞こえて、すごくうれしくなりました。

 曲ごとに拍手や歓声の違いがあって、その曲ごとに見せたいこと、伝えたいことが伝わっている気がしました。

 そして前半の山場はやっぱりいちご白書をもう一度。サンバテンペラードのときに一度ウォークマンで原曲を聴いて、幕に捌けたりしたときにはシードの前奏でさえ口ずさんでいたいちご白書をもう一度。
 私のパソコンのyoutubeのトップ画面の一番左上に出てくるまでになったいちご白書をもう一度。ブラックとうこ初登場シーンでも頭の中を占めてやまないいちご白書をもう一度(おかげで動きを間違えました)。歌う直前、袖にいるみんなが祈るような気持ちでこちらを見ているのを感じました。

 結果、見事に外しました。でも、やらせてもらえてうれしかったなと思います。失敗しても、かっこ悪くても、その瞬間みんなが応援してくれて、私と一緒に歌ってくれているんだろうなと思えたことが嬉しかったです。できないところを見せるのが恥ずかしい、嫌だ、という思いが今までものすごく強かったけれど、このシーンのおかげで、途中経過でも、できなくても、もういいや!!と吹っ切ることができたなと思います。


◆初めての感覚

 後半で印象に残っているのがビューティフルピーポー。本番だけでなくホールでの通しをしているときからなのですが、この曲をコーラスを歌いながら踊っていると、ピンマイクのスイッチを入れたまま歌っているのかと錯覚するくらい、自分の声がみんなやマイクコーラスの人の声と一体になっているのを感じます。振りも、視界に入る人と一体になっている、同じ神経で動いているように感じる瞬間がありました。

 あとこの曲の前には、前奏の間にカツラをつける、というミッションがありました。ヘルプをふみちゃんにお願いしたら快く引き受けてくれて、毎回の通しで、曲の前のシーンで捌ける度にふみちゃんが、「さあ来い!」という感じでスタンバイしてくれていて、手早くヘアピンをつけて送り出してくれました。私の着替え(?)のなかでは一番時間的には綱渡りのものだったのですが、ふみちゃんがいてくれると思うとすごく心強かったです。

 後半でほかに印象に残ったのが、アライブ。私は舞台袖でコーラスを役者のみんなと歌っていました。そのとき、袖のからは幕の間に胸を張って笑顔でコーラスを歌っているみんなが見えました。今ステージにいるみんなが舞台を繋いでくれている。
 今、自分はたまたま役者の格好だからみんなの列には並んでいないだけで、今ステージにいるみんなと何も変わらない。みんなが自分の代わりにステージを繋いでくれている。

 上手く表現するのが難しいのですが、ステージでみんなで伝えたいことを伝えるために、たまたま私が役者で、たまたまみんながコーラスなだけで、私がそこに並んでいてもおかしくないし、そこにいる誰かが私でもおかしくないというか、そんな感じがしました。

 今幕にいるこの時間は、休憩時間ではなくて、誰かが自分の代わりに伝えたいことを伝えてステージを繋いでくれている時間なんだなと。あなたが私でもいいし、私があなたでもいい、という感覚はこういう感覚に近いのかもしれない、とも思いました。

 今回のコンサートでは本当に大切な気持ちや感覚をたくさん体験させてもらったと思います。幸せを先送りにしないこと。今幸せであること。勉強を1年休むことにしてこのコンサートに向かえたことが本当によかったな、と思います。


◆これを「幸せ」と呼ぶ生き方を

 私はずっと今を我慢して、あれができたら幸せになる、これができるようになったら幸せになれる、と保証を求めて、保証が手に入ったような気になったとき、つかの間の幸せを感じて、すぐに渇いてしまうことを繰り返していました。
 
 大脳新皮質的な喜びや幸せが幸せの全てだと信じて、耐えて生きてきました。大学受験はその一番の象徴みたいなものでした。受かって嬉しくて、でもすぐに次の保証を求めて不安になって、まだそれが続くのかと思うとどうしようもなく虚しくなって、壊れました。

 でも、ゲネプロの日、家庭科室で見た光景、感じた幸せは、それとは全く違う幸せでした。大脳辺縁系で感じる幸せでした。ずっと心をあたたかくしてくれる、決して渇くことのない幸せでした。これが「幸せ」っていうものかと思いました。これを「幸せ」と呼ぶ生き方をしたい、これを「幸せ」と呼ぶ生き方ならしたい、と思いました。

 この「幸せ」を日々、感じられる生き方をし続けて、それを私と同じように新皮質的な幸せしかないと思って苦しんでいる人に広げることが私の使命なんだと思いました。それをしっかりと胸において生活したいと思います。