3月20日
●栗の木を見上げて
午後、栗の剪定の作業に入りました。
栗林に入ると、昨年の秋頃には考えられないくらいに、すっきりしている畑の光景を見て、驚きました。お父さんが掘り起こしてくださった、大きな根があちこちに転がっていて、それは、「また、コンサートの舞台背景で使えるかも……」と考えてしまうくらい、立派な根でした。
間伐のあと残った栗の木が、太陽に当たってまぶしそうにしていました。
須原さんが、チェーンソーを使って、木の枝を切ってくださっていました。
チェーンソーの威力はすごくって、細めの枝ならば、スパンスパンと枝が切れていく様子は、見ていて気持ちが良かったです。
でもやっぱり、太い枝のときは、本当に圧巻だったなあと思います。
切り倒す枝にロープを引っかけて、須原さんが裏側からチェーンソーで切り出した瞬間、のんちゃんといっしょに「せーの!」で引っ張りました。ぐぐぐぐ、と枝がこちらに傾いてきて、そこから、ザーーー! と勢いよく落ちてきました。わたしたちは、一目散に退散! 少し危険も伴うけれど、そのスリリングさも、楽しかったです。
しかし、他の枝に引っかかってしまい、うんともすんとも動かなくなってしまったときは、「わたしたちVS栗の木」での、綱引き対決の開催です。思いきり力を込めて引っ張りました。枝を取り出すことができると、栗の木が整然としたのが、はっきり分かりました。
脚立を使っても良かったけれど、届きそうなところは、木登りをして、ロープを引っかけました。
つるんとした幹で、背も高く、スマートに見える栗の木。登るには、少し難しいかな? と思えたのですが、意外にも、するする登っていくことができました。
のんちゃんと「木登りなんていつぶりだろう!」と話をしていました。ちょっとした枝や、枝の切り口が足の踏み場になってくれたし、ちょうどいい枝が無くても、足で踏ん張って登ることができて、ボルタリングの選手になったみたいで、わくわくしました。
わたしも、のこぎりを使って栗の剪定を実際にしました。
のこぎりを使って、ギコギコと枝を地道に切っていくのも、また別の楽しさがあるなあと感じました。
家をつくったり火を起こしたり、そうやって自然の中で生活をしていた、昔のひとに戻ったような気持ちになりました。
木のずっしりとした重さや堅さ、さわさわと風に揺れる音を感じると、木も生きているし、わたしも生きている、「みんなが生きている」ということを実感しました。
木を見上げていると、自分も木の一部になって、木のように大きくなったようで、自分の心の中のあれこれも、ちっぽけなものになったような気がしました。
木の枝を切るのも、登るのも、運ぶのも、引っ張るのも、こんな面白さがあったんだなあ、と教えてもらえました。
自然の中にいられる時間が、わたしにとってかけがえのないものになっていることが、うれしいです。
おやすみなさい。