「いつも役割がある」 ゆきな

5月5日

 *ツツジ祭り

 ツツジ祭りは個人的には痛い部分はあるのですが、出演させていただけて嬉しかったです。
 出演前は、演奏する曲やあゆちゃんたちから教えてもらったことを頭の中でもう一度確認しました。みんなも、気持ちを作って集中して向かっていることを感じました。いつもそうだけれども本当に気持ちを作らないと、向かえないように思えました。
 演奏が始まって、『バッド・ハビット』が始まりました。舞台裏のみんなでコーラスをしました。幕開けの曲で、赤と青の衣装と仮面で、非日常の世界が作られて、華やかにお客さんが引き込まれるように、みんなのことを思いました。『バッド・ハビット』は非日常で面白いダンスに思えるけど、普通や世間一般に流されなくていい、そういう世界があるんだ、ということをこの曲を聞いていて思いました。

 私は、『ビューティフル・ピープル』を踊りました。踊っていたときに平衡感覚がとれなくて、最初は身体のバランスが取りにくかったです。こういうのも、イメージしながら練習したらよかったんだなと思いました。すぐ後ろにはバンドメンバーがいて、すぐ近くでバンドメンバーのエネルギーを感じました。華やかであたたかい世界、高級なものやステータスがなくても華やかに心豊かに生きていけること、そういう場所があることを思いました。

 最後の『ホワイト・フラッグ』では,着替えのときに、りのちゃんが周りを見てヘルプに入っていました。ほのかちゃんが出はけの撮影をしていて、私たちは今の曲に気持ちを向けて、みんなと気持ちを繋げていました。なのはなの空気を切らさないように、一人ひとりが気持ちを遣っているように感じました。

『ホワイト・フラッグ』は、祈るような気持ちがありました。必死さもありました。隊列移動や、平行に真っ直ぐ立てるように、ここだというところに立つこと、前の人にぴったり合わせる意識、前の人を1人にしないこと、みんなで1つのものを作る思い、目の前のお客さんに気持ちを飛ばすこと。私は、いろいろ意識しながらする分、お客さんに気持ちを向けられなかったり、必死になってしまったり、いつもと違う動きになると頭がそっちに気を取られてしまったりして、そういうところに日々の生活がそのまま表れているように感じました。

 ダンスで上を向いたとき、目の前が爽やかに青く、太陽の光が目に入りました。最後の『ホワイト・フラッグ』にふさわしいような迷いのない天気に思いました。きっと、踊るみんなや、バンドのみんなが、ツツジの中で映えていただろうなと思います。

 最後、お客さんに手を振ったとき、視線の先に嬉しそうに笑っている女性の方がいらっしゃいました。ステージを喜んでくださっていることがその人の姿から分かりました。
 応援組のみんなも演奏中に見えて、心強かったです。
 
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 お父さんが演奏後、話してくださいました。
 楽しませる側と楽しむ側だったら、自分たちは楽しませる側でないといけないこと。楽しむ側でいたら、中身のない人生しか私たちは送れないこと。だからこうして演奏をしている、演じている。
 応援組の応援のことも話してくださいました。応援もなのはなの第3のバンドメンバーだと。

 自分が苦しくなるとき、何もない空虚に感じるとき、それはそうやって受け身になるときではないかと思います。そうなると曲を演奏していても伝えるものは少なくなってしまうだろうし、今やこの先の未来を作る力には繋がらないのだと思いました。

 あゆちゃんが、どこへ行ってもそうであること、それがもし招待された側であっても自分たちには役割があって受け身ではいられないこと(例えば、演奏を聞いたら拍手をするのは当たり前だけれども、その場の空気を作ったり、会場を盛り上げたりする役割があること)を話してくれました。いつも考えて、外にアンテナを張らないと、使命感を持った動きはできない、少しでもゆとりや休みがほしい、恥ずかしいと思ったらできないことにも思えました。

 話は少し変わるけど、山小屋キャンプのときに、ほぼ全てのゲームがあゆちゃんと同じチームでした。そのとき、あゆちゃんはいつもその場を盛りあげたり、こうしたいというものを持って発信していたり、いつでもプレゼンテーションできる・空気を作る気持ちでいることを近くにいて強く感じたことを覚えています。それがそのままなんだな、と思いました。

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 演奏が終わってから、ジャガイモの芽かき、土寄せ、芽が出てないところの植え付けも大人数で終わらせることができて、安心しました。
 最後の最後、他の作業のみんなも合流して、一緒にいられることが嬉しかったです。