5月7日
1日が24時間しかないなんて嘘じゃないか。昨日だけ、時間が3倍になる魔法でもかかっていたんじゃないか。そう感じるくらいに、昨日は、めちゃくちゃ濃い1日でした。つつじ祭りに出演したのが、1週間くらい前なんじゃないかと思ってしまいます。
つつじ祭りに出演したその後で控え室で作業発表をして、帰ってすぐに畑に行き、8枚のジャガイモ畑の土寄せを終わらせる、そんなパワフルな自分たちのことを、とても誇りに思いました。私たちは、普通の人が聞いたら驚くようなポテンシャルを持っているんだと、そのことが自信になりました。
つつじ祭りでは、短い練習期間ではあったけれど、練習も本番も、大きな学びがありました。『ビューティフル・ピープル』の出はけの練習のときに、あゆちゃんが、華が足りないことを、教えてくれました。「みんながあけみちゃんになってみて」と話してくれて、身長も見た目も全然違うとしても、自分から離れて、あけみちゃんの輝く目とスケールの大きなオーラをイメージして、出はけをしました。すると、あゆちゃんが、「前から見て全然違う」と、話してくれました。自分でも、身体の動きやすさが違いました。恥ずかしさもなくなりました。イメージの力は、こんなに大きいのだと気がつきました。
それから、気がついたのは、今まで、あけみちゃんに引っぱってもらう人、守ってもらう人になっていたということです。そのことを、悔しく思いました。それでは嫌だと、思いました。
今回、新しく『ビューティフル・ピープル』のメンバーとして踊る人もいて、その人たちを引っぱる人になるんだと、思いました。仲間を守るために、魅力的な自分を演じるんだと、思いました。ダンスのときだけでなく、普段からも、守られる側じゃなくて守る側でいたい、そのために、魅力的な自分を演じたいです。
つつじ祭りのステージは、平衡感覚をとるのが難しく、『ビューティフル・ピープル』のような大人数ダンスでの出はけは、隣の人とぶつからないか、転ばないか、という怖さも出てしまい、堂々と演じることを難しく感じました。でも、そこで、怖さを表に出すのは、子供です。感覚を研ぎ澄まし、一発で決めなくては、本番でやり直しはありません。
そこで思い出したのは、前日にやった、お父さん指揮でのサトイモの植え付けの作業です。お父さんが、何度も、「手数を少なくすること」を教えてくださいました。「手数を少なく、やり直しはしない。それでも綺麗に仕事ができるのが、ベテランだ」という言葉が心に残っています。このことと、ステージで一発であるべき位置に立つこととが、繋がっているように感じました。
普段から、仕事をするときにも、感覚を研ぎ澄ませて、手数を少なく、やり直しはせずに、一発で綺麗な仕事をする。そんな心がけが普段からできていたら、ステージなど非日常的な場面であっても、おどおどせずに堂々と演じて、一発で決めることができるんじゃないか。それが私には足りなくて、やり直しを自分に許しているから、いざというときに失敗しやすいんじゃないか。そんなことを思いました。
私はこれから、無駄な動きをなくして、一発で綺麗な仕事をする、やり直しはしない、そういう厳しさを持って生活します。その心がけを持って生活したら、トロンボーンを吹くときにも、ミスがなくなるんじゃないか、とも思いました。
本番の日は、6時に起きて、車の中で朝食を食べました。楽器のセットや音出しも、会場の方に向けての表現だと思い、緊張していました。あたたかいおにぎりを食べると、仲間の存在を感じて、心強い気持ちになりました。
『ホワイト・フラッグ』の音出しのとき、野外でトロンボーンを吹くと、室内で吹く音とは全然違い、これはかなりイメージを強く持って吹かなくてはいけませんでした。前で音出しを聞いていたゆいちゃんが、「マイクなしでもよく聞こえていたよ」と話してくれました。『ホワイト・フラッグ』のトロンボーンは、4つの音をクレッシェンドで伸ばす、シンプルな楽譜ですが、私は、それがとても好きです。何があっても絶対に白旗をあげない、という強い気持ちにピッタリで、とても好きです。バンドにより深みが出るような、ダンスの力強さが増すような、そんな深くて強い音を出したいと、イメージしました。
控え室で待つ時間は、スケジュールを見たときは長いだろうと感じていたのですが、緊張していて、踊っているときのことやトロンボーンを吹いているときのことをイメージトレーニングしていたら、本番の時間があっという間にきてしまいました。
着替えのテントの外で、みんなで並んで出番を待っていました。言葉はなくても、空気で、心がひとつなことを感じました。
いよいよ出番です。イレギュラーなことが起こっても、そんなときほど、神様に試されるんだと思いました。私たちは、良い意味で、普通には生きられない。音楽のための音楽はできない。伝えたいことがあっての音楽。たった1人にでも伝えたい、そんな気持ちで、裏からコーラスを歌い、ステージで踊り、自分の出番じゃないときも、ステージ裏からも気持ちを客席に飛ばす気持ちでいました。
最後の『ホワイト・フラッグ』のときに、強い風が吹き、それが今の気持ちにピッタリでした。どんな強い風が吹こうとも私は倒れない。かかってこい。そんな気持ちにピッタリでした。
トロンボーンを吹いていたら、ダンサーとの距離がとても近くて、ダンスと楽器というパートの違いはあるけれども表現したいものはひとつだと、思いました。より、音に力が入りました。
私はメガネを外していましたが、それでも、お客様の空気は伝わってきて、伝わる人には伝わるんだと、嬉しくなりました。片付けをしていたら、あきなちゃんが手をふってくれました。キャンプのときにも感じたけれど、あきなちゃんも、なのはなに共感してくれて、仲間なんだと、嬉しくなりました。
本番を終えた後での、お父さんのお話が、とても心に刺さったし、忘れてはいけないことだと、思いました。応援組は、第3のバンドメンバーとして、拍手をすることが、役割である。曲が終わればまっさきに大きな拍手をして、お客様を巻き込む。他の人に右へ倣えで、自分がただ受け取っているだけでは、応援組としての役割を果たせていない。
私は、お父さんのお話に、ハッとしました。私は出演組であったけれど、自分への言葉として突き刺さりました。イベントだけでなく、普段からも、まわりに右へ倣えで、自分の役割に対して無責任になっていないか、そんなことを思いました。
それぞれに、役割がある。どの役割にも意味がある。目立たない役割ならぼーっとしていてもいいということはない。どんな役割であろうと、自分の役割に対して誠実でなくてはいけない。そう、思いました。
日常でも、ずっと、自分の役割というものがあると、思いました。年長者として、空気を作る役割。作業のときに、リーダーが動きやすくて仕事が効率良く進むように動く役割。外に仕事に行くときは、なのはなの看板を背負って、なのはなの子として恥ずかしくない大人を演じる役割。
私は、普段の生活で自分の責任を果たしていただろうかと、お父さんの言葉が、心に突き刺さりました。
また、人を楽しませる側として生きる、というお話も、今までお父さんが何度も話してくださっていたことだけれど、あらためて、私は人を楽しませる側としてしか生きられないと、思いました。
楽しませてもらう人と、楽しませる人がいる。楽しませる側の方が、よりその楽しさは深いものになる。楽しませる側として生きることで、人生が充実する。楽しませてもらう人として生きていたら、人生がむなしいものになる。特に、摂食障害になった私たちは、楽しませる側としてしか生きられない。
その話を聞いて、私が精神的に調子を崩してしまうときは、お客様になっていると思いました。楽しませてもらう側、守ってもらう側になっているときだと思いました。私はいつでも、働きかける側としてしか生きられません。楽しませる側、誰かを守る側として生きること。そのことを、常に心がけていきたいです。
書きたいことが溢れていますが消灯1分前です。午後からは、お父さん、お母さん、みんなでのジャガイモの土寄せの時間が本当に嬉しかったです。このゴールデンウィーク、お父さん指揮での畑作業がたくさんできて、その度に学びがあって、とても濃くて充実したゴールデンウィークが過ごせて嬉しかったです。
畑作業の後のご飯が本当に美味しくて、幸せだな、と思いました。まこちゃんのコメントも本当に嬉しかったです。まこちゃんと仲間になれて、仲間が前に進む姿を側で感じて、私も頑張ろうと、前向きな気持ちになりました。
もっともっと書きたかったのですが、もうパソコンをとじなくてはいけません。おやすみなさい。