【4月号①】「ロング・ミーティング ―― まだ見ぬ人を守る、使命感を胸に ――」

 

 摂食障害から回復するためのミーティングの総まとめがありました。
 2月から、約1か月半続いた、今回のロング・ミーティングでは、5人の作文を読んで、それを参考に、自分たちの心の傷についてより客観的に見てきました。また、回復する際に課題となることや、自分たちが回復していく将来の目標について話し合ったりしました。

 3月23日、ミーティングを締めくくる講義で、はじめにお父さんは、摂食障害の本当の怖さは、病識のないことだと言いました。病識なく、人生の大部分の時間を摂食障害に取られてしまい、自分の人生をスタートすることができないのです。

 

■誰かを守る人に

 摂食障害から回復するとは、どういうことでしょうか。私もなのはなに来る前は、摂食障害の症状が酷すぎて、このままでは生きていくことが出来ないと思った半面、なぜか治ってしまうことが怖かったです。摂食障害を発症する前から虐められやすくて、学校に行くと浮いていて、楽しくなくて、何かに追い立てられて義務をこなすように苦しくて苦しくて、症状を手放したらどうやって生きていくんだろう。

 お父さんは摂食障害の状態を「井の中の蛙」に例えました。幼い頃から心の傷を持ち、本当に伸び伸びと心を使えることを知らないということです。
 なのはなの日々の生活の中で、私の心は暗く冷たい井の中から解放されていきました。自分が理解され心から安心できる環境の中で、規則正しく食事や睡眠をとり、みんなと畑作業をする中で、身体を健全にし、心が耕されていきました。

 そんな中で感じた変化は、摂食障害の食の症状や自傷の症状が治まるだけではありませんでした。感情の起伏が安定し穏やかな気持ちで過ごせること、本当に安心するということ、人と怖がらないで関係がとれること、どんどん、心の幅が広がっていきました。

 そして、今回のミーティングでは、私の心を暗く冷たい井の中に閉じ込めてしまった心の傷についてじっくり考えることが出来ました。

 今回、大きな発見がありました。私はずっと、私は自分のことを変わり者で浮いていて、社会に受け入れられない程の出来損ないだと思っていて、自分に自信がなく、早く普通の人になりたいと思っていました。でも、それは、心の傷から社会に出るのが怖くて、作り出した虚像でした。心の傷が作り出すフィルター越しに見える虚像。

 もう、回復した人としてフィルターを捨てて、私もちゃんと社会に役割を持った人として関係を取れるようになろうと思いました。人に受け入れられるかどうかではなくて、自分が誰かを守れるような大人になりたいと、前向きな気持ちになりました。

 

■使命感

 摂食障害から回復するということはどういうことなのでしょうか。症状から解放されること、心が解放され自分の人生を楽しめるようになること、これだけではないとお父さんは言います。治った状態を維持するためには、使命感が必要だと言います。命を懸けて生き方に苦しんだ病気から回復した、それに見合った使命感が必要なのです。

 私はなのはなファミリーに出会えて、本当に恵まれているなと思います。昼なく夜なく症状を出し本当に苦しかった状態から、今は夜、「明日は楽しみだな」と思って安心してぐっすり寝て、朝希望とともに起きる、そんなことが日常になる日が来るとは想像出来ませんでした。

 今も心を暗く冷たい井の中に閉じ込め、症状に翻弄されている人たちがたくさんいる、そう思ったら、もっと多くの人に癒されて欲しいと思います。この、どんな苦しかった人でも安心できるなのはなファミリーを守ること、そしてもっと多くの人にこの安心を伝えられるようにすること。自分が帰る場所を守り、仲間を守り、まだ見ぬ誰かを守る存在になる。そう志を立てた時から、自分自身が救われます。

 摂食障害から回復するということ、回復して生きていく答えを仲間とともにつかむことが出来ました。明日からこのことを胸に、前向きに生きていきます。