「桃の花をみて」 ふみ

4月2日

 最近は、通勤途中の河川敷にある桜が咲いてきていて、桜並木を見るのが、通勤のときに嬉しい光景です。
 今朝、食堂から古畑をみたら、桃の花が何輪がぽつぽつと咲いていて、雛あられのようで可愛いなと思いながら、古畑を見ていました。

 桃の花粉採りの作業をした話を聞かせてもらったり、霜対策の準備もした話を聞いて、自分もできることをしていきたいです。

 長い話をするのではないけれど、帰ってきたときに、お父さんやお母さんに「おかえり」とか、ちょっとした話をするだけだけれど、その瞬間で、元気がいっぱいになって、頑張ろうと思ったり、みんなの笑顔を見たり、みんなとちょっと話したりするなかで、自分の心が耕されて、満たされていく感じがします。

 なのはなに来て、お父さん、お母さんに守ってもらって、救ってもらって、自分が未熟すぎるあまり、多大な迷惑をかけたこともたくさんあるけれど、お父さん、お母さんはいつも守ってくださって、どの選択を思っても、お父さん、お母さんがいつも守ってくださったのだと感じています。今もです。

 だから、私は、まだ見ぬだれかを守るために、自分の力を最大限に使って、守る人になっていきます。

 

 今回のミーティングで、お父さん、お母さんのお話を聞かせていただいて、私が一番自分のなかで大きかったなと思うのが、まだ見ぬだれかを守る人になること、そうでないと、私は生きていけないのだと実感したし、それは、今だけではなく、この先、ずっとずっと自分の人生をかけての使命なのだと思いました。

 お母さんが話してくださった「摂食障害ありきの目標」
 摂食障害ありきの目標でなければ、自分が摂食障害になったことをなしにした目標では、私は、すぐに道を見失って、それでは、生きていけなくなるのだと、その崖っぷちさがいつも隣にあるのだと感じました。

 今朝、古畑の何輪か咲いている桃の花をみて、そう、思いました。
 桃の花も、今年実をつけるために、花を咲かせて、そして、実をつけて、成長していくのだと思うと、私も、昨年と同じではなく、さらに進化したものを作り上げていかなきゃいけないなと思いました。