「こうありたいという意志」 ふみ

3月28日

 やよいちゃんのお誕生日で、みんなとお祝いができて嬉しかったです。

 最近の印象に残っていることで、イベントや演奏のときに、やよいちゃんの衣装のヘルプに入らせてもらうときのことがあります。
 『バッド・ハビット』から『ホワイト・フラッグ』の着替えは、時間も短いなかで、早く着替えることが求められている部分でもあり、ヘルプに入らせてもらうときは、すごく緊張もするし、やよいちゃん自身も、次の曲に向けて、気持ちをしっかり作ってステージに出られるように、着替えのヘルプに入るときは、私のなかで相当な気持ちを作って向かわないと、相手にもきっと影響があってしまうと思い、すごく緊張もしています。

 自分が引き過ぎても、スマートに着替えられないし、出過ぎても、相手の気持ちを崩してしまうことがあると感じていて、なので、相手のことを考えつつも、ある程度、時間も限られているので、テンポよく着替えることが必要で、相手との段取りや打ち合わせ、最終的には、そのときになにかトラブルがあっても、すぐに対応できる対応力と決断力、そして、その決断力の要となるのが、なのはなのステージが守られること、そして、その人も守られる決断が必要だと思っています。

 やよいちゃんのヘルプに入らせてもらうとき、『バッド・ハビット』でやよいちゃんはローラースケートで踊っていて、曲が終わるときに、はけてきます。
 着替えのときに、やよいちゃんのちょっとした手つきとかから、やよいちゃんがステージに懸ける強い思いが伝わっていたり、こうありたいという意志を、やよいちゃんの空気感から強く感じています。
 やよいちゃんの私に対する思いやりも感じていて、着替えが終わって、お互いに全体をみて、頷き合って、さっとステージに向かう。その一瞬、一瞬から、やよいちゃんのなのはなのステージに対する気持ちを、着替えのなかからも感じていて、やよいちゃんのまっすぐな気持ちや、やよいちゃんのステージに立つときの華にもきっと繋がっているのだと思いました。

 

 今朝、あゆちゃんが和訳してくれた『ナチュラル』の和訳を読んでいたら、今回のミーティングのことに繋がっていることを感じました。

 自分たちは苦しかったから、その過去の痛みを振り払って、まだ見ぬだれかのために、変えていく、その選ばれし者。
 それは、摂食障害になって、まだ見ぬだれかのために、使命を託された者。石のように強い心を持ち、力がある。
 自分の過去を振り返らずに、その過去を振り払って、守る人として生きる。

 朝、あゆちゃんの和訳をみて、感じたことで、なのはなファミリーのステージは、自分たちにしかできない表現なのだと、改めて思いました。
 プロではないけれど、私たちは、伝えたいことがあって、自分たちしかできない表現がある。
 その気持ちが、なのはなのステージの魅力であり、私たちしかできない表現なのだと思いました。

 そういう、なのはなのステージで伝えたい気持ちを、やよいちゃんから、強く感じていて、やよいちゃんがいつもよくありたいという気持ちや、みんなのことを考えて、みんなにとって一番優しい答えを思いながら、前に進んでいく勇敢なやよいちゃんのことが大好きです。

 昼食の席で、やよいちゃんのお誕生日コメントを伝えているときに、私の前がたけちゃんで、たけちゃんが、「畑に行くときのやよいちゃんが大好きです」と、やよいちゃんに伝えていて、私も、たけちゃんがやよいちゃんのことが大好きな気持ちを感じて、嬉しくなりました。

 

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 昨日のことなのですが、桃の枝吊りをしました。
 山桃畑のなつごごころや清水白桃、勘助白桃などの枝吊りをして、私は、あんなちゃんが枝吊りをするときに、ポールを支えたりする補助をさせてもらいました。

 ポールには、6本から10本のワイヤーロープがついていて、どの枝を吊るかをあんなちゃんが木の表情などをみて選び、ワイヤーロープを一本ずつ吊っていきました。

 私が支えているセンターポールは、最初は、自立しないので支えていましたが、あんなちゃんが3本くらい枝をつると、手を離してもポールが自立して立ちました。センターポールは意外と重いのですが、3本だけ枝を吊っただけで自立するのか、と思って驚いたのと、それは、あんなちゃんが最初にどの枝を吊るかとか、バランスをとって、少ない本数でも自立させて、私が他の補助に行けたりしたので、そういう作業効率とか、桃にとっても負担が一番少ない方法を、あんなちゃんは考えて仕事をしているのだと感じました。

 どの枝から吊るか、次はその場所を吊るか、そういう順番でも、ポールが自立するタイミングというのは変わってくるのだと思うけれど、どの木をやっても、いつも3本くらいでポールが自立して、そして、桃の木も、枝を吊られることで、負担が少なくもなっていて、どっしりと安定感が増しているように感じました。

 枝のどの部分が負担になっていて、支えたら、桃の木の負担が減るかとか、枝を吊るところでも、枝を吊っている場所により、枝を吊っている意味がなくなってしまうところもきっとあるのだと思いました。
 枝のどの場所を支点として吊るかということや、全体を見ているあんなちゃんがすごいなと思いました。

 枝吊りをしている枝の支点となっているところの引っ張り具合も、その引っ張り具合により、センターポールが斜めに傾いでしまったりすることもあるけれど、その引っ張り具合も、絶妙なところがあるのだと思うし、吊っていく場所によって、うまくまっすぐ立たないということもあるのではないかと思います。けれど、あんなちゃんは、いつもまっすぐに引っ張る力も見ながら吊っていきます。桃作業をしているとき、その作業のやり方というのもあるけれど、きっと、感覚とか、勘とか、心で見る作業なのだと、あんなちゃんを見ていたり、自分も作業に入らせてもらっていて感じます。

 摘蕾のときもそうで、蕾と蕾の基本の間隔は決まっているけれど、それだけを考えてやっていると、きっといい実はつけられないと思いました。

 いつも未来をイメージして、勘を働かせたり、心で目の前の植物や木や作物をみて、作業をしていきたいです。

 すごく難しいけれど、五感以外に、六感の部分がすごく重要になってくるように感じまいした。いい実が収獲できるように、これからも頑張りたいです。