「欠落とは痛み」 なつみ

3月4日

 時間が限られてしまっているので単刀直入の日記になります。(いつもそうなっている気もしますが……)

○欠落とは痛み
 わたしは、プライドが高く、また、おごりやすく、回復したふりをしやすいと自覚しています。
 そういう自分にとって、耳の痛い言葉を素直に聞いて、欠落を埋める努力をし続けること、そのことがとても大事です。

 今日、出張個人面談の時間に、お父さんが、「欠落とは痛みと言い換えることが出来ると思うのね」と言って、欠落と痛みについて話してくださいました。

 究極、欠落が埋まり切って無かったことになることはないのだと、欠落とは、「痛み」と言い換えることが出来て、欠落を埋めきること、痛みを無くすことはできないのだとお父さんが教えてくださいました。
 埋めきらない欠落を埋めきったことにして、摂食障害になるほどに傷ついた痛みをなかったことにしてしまったら、それはすぐにまた症状がぶり返す。
 埋めきったこと、無かったことにするのではなくて、埋め切れない欠落があるから、無かったことになんてできない痛みがあったから、出来る生き方がある。
 そういうことをお父さんが話してくださって、自分がどこで道を踏み外してきたか、良く解りました。

 あぁ、これしか書けないのが非常に残念極まりないのですが、ハウスミーティングの時間もとても充実していて、わたしの席の周りには、なっちゃん、まなかちゃん、せいこちゃん、ほのかちゃんが居て、なるほどだから自分は目線を上げて話しやすくなったのだと思いました。もちろん、前の席では、まえちゃんやまちちゃんが居て、それも話しやすかったけど、何より大事なのは、自分が目線を上げることでした。
 少しでもニュースのある話を、アンテナを張ってみんなに伝えたいです。