「褒められること」 のん

2月17日

〇ハウスミーティング
 今日のハウスミーティングでのお話が嬉しかったです。私は、褒められることに抵抗を感じるのは、学校では褒められることは、クラスメイトに疎まれたり、ねたまれたりしたことが原因なのではないか、学校で自尊心を折られたのではないか、ということを質問させていただきました。

 お父さんは、褒められることに抵抗を感じる、というのは、褒められてこなかったからだ、と教えてくださいました。逆に学校では、テストの順位などが出て、順位によって先生にもいい扱いをされたりして、歪んだ自尊心が身に着いたと思う、とも教えてくださいました。

 その答えを受けて、私はその歪んだ自尊心がすごく入ってしまった自覚があって、それが間違っていることも痛感していて、今回のMTで褒められたときに、それを受け取ったらまた間違ってしまうんじゃないか、という気がしてしまい、どこまで受け取ったらいいのか、ということも質問させていただきました。

 それに対して、今、みんながほめてくれていることが本当だと思って受け止めることを教えてくださいました。ほめてもらって、そこって私のいいところなの、とびっくりした、と何人か言っていたけれど、それはたぶんみんな能力とかじゃなくて、心の部分を褒められてびっくりしたんじゃないかと思う。でも、それが本当なんだよ、と。

 それを聞いて、確かに私も褒めてもらって、そんなことないよ、と言いたくなるのは、精神的な部分で、自分が自分のいいところとして言いやすいのは能力的な部分だ、と思いました。でも、言ってもらって、恥ずかしいけれど嬉しいのは、圧倒的に心の部分で、能力的なことは褒められてもつらい気持ちになってしまうとも思いました。

 明日から意識的に「そうでしょう、そうでしょう」と言った後は、みんなに褒めてもらった自分の精神的な部分を褒めてみよう、と思いました。また、みんなを褒めるときにも、そういう部分を意識的に見つけて褒めよう、と思いました。本当に持つべき自尊心、本当に褒められるべきことを、もう一度ゼロから入れ直します。

 ずっと自分には何ができるできない以外の価値がないのだと思ってきて、それを取ったらいいところなんて何もない、と当たり前のように思ってきたけれど、チームのみんなの力を借りて、それを変えていきたいし、人を見るときにも、できるできないじゃなくて、優しさとか誠実さとか、そういう部分を見て好きになりたい、と思いました。

 読んでくださってありがとうございます。おやすみなさい。