「未来はどうなるかわからない」 のん

2月3日

〇ハウスミーティング
 夕方のハウスミーティングの時間が嬉しかったです。お父さんの新しい本に、信じる、ということは、相手との関係がいい形で発展してくことを想像できること、ということが書いてあって、それが目から鱗だったことを話して、私は相手との関係がいい方に向かっていく想像ができなくて、いつか自分が相手の気に障ることをして、関係が壊れてしまうんじゃないか、と思ってしまうけれど、それをどうしたらいいのか、ということを相談させていただきました。

 誰かすごく好きな人、大切な人ができたとき、考えられることは2つある。例えば結婚したいと思う相手だとしたら、1つは、自分よりもっといい人と出会えるかもしれないから、自分は身を引こう、という考え。もう1つは、自分よりいい相手がいるかもしれないけれど、全力で幸せにするから結婚してほしい、死ぬ気で努力して、それでもだめだったらごめんなさい、という考え。

 前者は悲観的で、後者は楽観的。未来はどうなるか分からない。だからいい方に考えて、そうなるように全力を尽くしたらいい、と。

 『未来はどうなるかわからない』その言葉が、お父さんが言ったときに、ものすごく希望のある響きに聞こえました。私はずっと悪い未来ばかりイメージして、それが決まってしまったかのように思っていたけれど、そうか、わからないんだ、と思いました。分からないから、今とは全く違っていても最高の想像をしていいし、それを信じてもいいんだ、その想像を現実にするだけの努力を全力でしたらいいんだ、と思いました。どうなるかわからない、っていうのは、可能性が無限大ってことなんだ、と思いました。だったら思いっきりいい未来を信じて、良い人間になれることを信じて、努力をしたい、と思いました。

〇昨日のこと
 昨日のことになるのですが、すごく印象に残ったことがありました。朝の配膳で、ちさとちゃんの代わりにあゆちゃんがリーダーで入ってくれていました。私はあゆちゃんとご飯をよそっていました。あゆちゃんがご飯を見て、研ぎが甘いのか糠が残り気味なのを見て、誰が研いだのかな、クロネコヤマトのドライバーさんみたいに、今日の米研ぎは誰々です、って書いておいたらいいのにな、と言っていて、私はそれを聞いて、それはすごく緊張しそう、と思って、少し笑いながら「ひぇー」と返しました。

 そうしたら、あゆちゃんが、「吊し上げたいわけじゃないんだよ」って言ってくれました。そのあゆちゃんの言い方に、(あ、本当に心からそう思ってるんだ)って感じた瞬間、憑き物が落ちたみたいな感じがしました。

「吊し上げ」っていう表現が、自分の積み重ねてきた負の心象風景とぴったり一致したのと、あゆちゃんのほんの少し焦ったような、でも優しい言い方に、本気で思ってるんだ、ということが本能的に感じられたことで、小さい時からずっと、いつどんなことで責められる、いじめられる、それこそ「吊し上げ」られてしまうのだろうか、と怯えてきた気持ちが、そうじゃない考え方がある、できる、とおなかの底で感じたことで、癒された気がしました。

 実際に米がおいしく研げるようになるかどうかだけが大事なんだ、と当たり前と言えば当たり前のことを、当たり前に感じられることは、私にとってはずっと当たり前じゃなくて、でももうそれを当たり前に思ってもいい、と思えました。

 そのことがあってからずっと穏やかな気持ちが続いていて、勉強にも集中できて、ありがたいな、と思います。ずっとこの気持ちをキープしたいと思います。

 今日は久しぶりに石生の坂を上りました。ものすごく覚悟していたけれど、フルマラソン実行委員のみんなが坂で回すお題を2つ用意してくれていたりして、それを回したり考えたりしている間に、苦しむ暇なく終わった、という感じがして、自分でも少しびっくりしています。多分1人ではこうはいかなかっただろうな、と思って、本当にみんなで一緒に走って鍛えられることがありがたいなと思います。

 フルメニューで鍛えているおかげで、ほのかちゃんのアセスメントぶりに踊った『バッド・ハビッツ』が衝撃的に踊りやすくなっていました。4エイトの空気椅子状態の姿勢が全然つらくなくて、鍛えるって大事、と改めて思いました。

 明日、また衣装を着て踊れることが楽しみです。読んでくださってありがとうございます。おやすみなさい。