「まっすぐに成長していく」 えつこ

1月31日

 火曜日のハウスミーティングがとても嬉しかったです。年末年始から疑問に思っていたことの答えが、私にとってとてもタイムリーな答えでした。

 年末年始、お父さんとお母さんがお話してくださったことが、ずっと心に残っています。 17年間の教師生活の後に作家になり、『天の瞳』や『兎の眼』を書いた灰谷健次郎さんに、ある人が質問した。それは、
「私は恵まれた環境で育ち、苦労をしていません。そんな私でも良い教師になれますか」
 という質問。その質問に、灰谷健次郎さんは返答しにくく感じた、とのこと。お母さんが、そのことについてお父さんに話したら、お父さんは、「そういう質問をするような人は良い教師にはなれない」と、話した。
 そのお父さんの言葉を聞いて、お母さんは、疑問に思っていたこと全てが繋がって、人に対する評価も出来るようになった。

 そのお話がずっと心に残っています。灰谷健次郎さんに「私は良い教師になれますか」と質問をした人は、保障を求めていると思いました。保障を求める気持ちを持っていては、成長はないし、良い生き方はできないと思いました。
 そこまでは、わかりました。でも、そのお話と、人をどう評価するかということが、私の中で上手く繋がらず、保留にしていました。それを、ハウスミーティングで質問しました。

 色んなバリエーションで、保障を求める人はいる。質問の前置きが長い。仕事をする前に、「出来ないかもしれないけど」といちいち言う。それはいけない。
 保障を求めない人は、やりますと言って、言い訳をせずにスッと仕事をする。保障を求める人は、言い訳が言葉の端々に出る。

 私は、グサリ、ときました。私も、無意識に、言葉の端々で保障を求めるようなことや言い訳を言っているかもしれない、それはやめようと、思いました。グサリと耳が痛くなったけれど、とても嬉しい気持ちになりました。お母さんが言っていたことが、わかったのが、嬉しかったです。
 私がなかなか年齢に見合った社会性が身につかず悩んでいるのも、保障を求める甘えた気持ちからだと、思いました。言い訳を残しておいて、責められることを避ける。それはとても卑怯で、綺麗じゃないと、思いました。

 言い訳をして逃げて、責任を避けて通ろうとするのは、格好悪いし、何も積み上がらないです。言い訳をせずに仕事をサッと引き受けて、その仕事に全力を尽くしたなら、失敗があったとしても格好良いと思うし、言い訳のないまっすぐな心で向かっているなら、じゃあ次はこうしようと、成功に繋げることができる、そう思いました。

 不安の先取りをするのも、保障を求めているからだ。出来ないかもしれない、失敗して悪い評価を受けるかもしれない、そんな気持ちで仕事をしていたら良い仕事は出来ない。
 希望の先取りをすること。こんな良い仕事をして、人を喜ばせたい。
 車で出掛けたら、事故をするかもしれない、怪我をさせたり自分が怪我をするかもしれない。これは、不安の先取り。
 希望の先取りは、出掛けた先で楽しい体験が出来るかもしれない。

 希望の先取り、という言葉が、私にとって嬉しいニュースのある言葉でした。不安の先取りは、自分にこだわっていて利己的なことなのだと、思いました。

 ハウスミーティングの最後、お父さんが、100円均一で買ったという包丁と砥石を見せてくださいました。卒業生のために、安くてもより包丁を切りやすく研げるように、試してみるんだと、話してくださるお父さんの優しい笑顔を見て、どこまでも利他心なんだ、と思いました。

 

 火曜日のハウスミーティングで話そうと思っていたけれど、夕食の時間が来て話そびれたことがあります。それは、少し前に、お父さんが夜の集合で話してくださったことです。配膳でトンチンカンな動きをしてしまう、という質問に対して、お父さんが、怠け癖がある、と話してくださったことです。
 私は、ガーンと頭を打たれたようなショックを受けました。私にどんぴしゃな答えだったからです。しばらく、そのお父さんのお話のことを考えていました。
 表面だけ形になっていればいいやという気持ちで仕事をして、しかしそんな気持ちでやった仕事は、自分では形になっていると思っていても、ちっとも形になっていないのだと、ハッとしました。私は、理想を持てていないことが問題です。ストライクゾーンが広すぎることが問題です。
 力の出し惜しみをしてしまう。全力を出せない。こんな自分を変えたいです。自己否定に逃げるのではなくて、同じことで悩んでる誰かのために、自分を変えたいです。逃げずに向き合おうと思えたのは、私と同じことで悩んでいる人はたくさんいるはずだと思ったからです。

 今読んでいる灰谷健次郎さんの『天の瞳』に、印象に残った言葉があります。
「じいちゃんがお寺を建てたとする。それがいい仕事だと、お寺にお参りに来る人は、その普請を見て、結構なものを見せていただいて心が安らぎます、とお礼を言う。仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える。人を愛することと同じことじゃ。」

 そんな仕事が出来るような生き方をしたいです。そういう生き方じゃないと嘘だと思いました。
 『天の瞳』を読んでいると、倫太郎と一緒に、4歳から自分を促成栽培で育てている気持ちになります。甘えなく、泥臭いほどにまっすぐに成長していく倫太郎が、格好良いです。倫太郎を通して成長する、倫太郎の周りの大人たちや、倫太郎の友だちからも、勇気をもらいます。未熟なところがいけないのではなくて、未熟さから逃げるために言い訳を探して、自分を正当化しようとすることが、一番いけないのだと思います。

 消灯時間になってしまいました。明日も楽しみです。