「小さくてもいいから理想やプランを持つこと」 ふみ

1月22日

 お父さんの新しい本を読ませていただいています。

 お父さんの本のなかにも、摂食障害から立ち直るためには、「利他心」が不可欠だと言うことが書かれてあり、なのはなでミーティングをするときも、「利他心を自分のなかに入れないと治れないよ」お母さんも教えてくださいます。

 昨年の夏の桃の収穫期が終わり、桃チームとお父さん、お母さんでミーティングをしたとき、お父さん、お母さんが教えてくださいました。
 以前も、何回か日記に書かせていただいたのですが、『自分事として何事にも向かうことが利他的』と、お父さん、お母さんが話してくださって、私は自分の心に問いました。

 お父さん、お母さんのお話を聞かせていただいて、私は、そのときまで、利他心は、自分の利益よりも、相手の利益を優先させることで、特定の人がいて、その人のために動くこと。という方向がずれた考え方をしてしまっていたことに気がつきました。
 だれかに尽くすこと。それは目の前の人に、もしかしたら、私は迎合する感じになっていたかもしれません。

 そういう形は利他心とは言わないのだと解りました。

 何事にも自分事として向かう。
 リーダーであっても、リーダーでなくても、いつも小さくてもいいから自分の理想やプランを持つこと。自分はどうしたいのか。リーダーの言う答えは自分の考えと違ったとしても、それはそれで良くて、もし自分がリーダーとなって引っ張るときに、今、この瞬間に持った自分の理想やプランがこの先に繋がるのではないかと思いました。
 自分のこととして向かうことで、その場に一緒にいる人にも、そして、作物にも自分の気持ちが届いて、作物を見るときに、お父さんが心の目で見てと教えてくださるのですが、その自分事として向かう気持ちが、心の目で見ることに繋がるのではないかと思いました。

 自分事として向かう=自分から離れる。
 自分事として向かっているときに、自分の評価を気にしていたら、それは、目の前の作物に対して、心の目でちゃんと見られていないし、自分事として向かう気持ちは、自分から離れたところにあるのだと思いました。

 お母さんがハートピーのボランティアをしていたときに、ボランティアさんを募集したときに、仕事が一番忙しい人が一番来てくれて、助けてくれたことを話してくださいました。
 それは、自分事として考えているからで、自分事として一緒に走ってくれる人がいることはどれだけ心強く、自分事として何事にも向かうことで、周りの人も自分自身も助かり、そして、お互いに自分事として向かったならば、お互いに助け合える関係になるように感じました。

 人ごとにしないで、自分事として向かう。
 摂食障害から立ち直るときに、不可欠な利他心だと教えていただいて、それは、ミーティングのときも同じで、自分に対しても人事な気持ちだったら直せないし、自分の気持ちから、そして、自分の課題から、自分自身から目をそらさないで、自分事として真っ正面から向かっていきたいです。