「まえちゃん」 ふみ

1月19日(金) 

 

○前に進む

 以前、お父さんとお母さんが『何をするにも自分事として向かう』ということは、究極のところ、利他心なんだよと教えてくださいました。
 自分事として、当事者として向かうということを思ったときに、私は、まえちゃんの姿が頭に浮かびました。
 いつもまえちゃんは何をするにも、当事者であって、だれかに押しつけることもしないし、畑に行ったり、田んぼに行ったり、その他もたくさん、誰も見ていないところでも、いつもなのはなのみんなのために、なのはなファミリーのために、そして、未来のまだ見ぬだれかのために全力な姿が、かっこいいという言葉ではもったいないくらい、まえちゃんが強くて、逞しくて、私もまえちゃんのようになりたいです。

 まえちゃんのようになりたいというには、私はまだまだだけれど、強く、逞しくなっていきたいです。

 誰かに迎合するのではなく、評価を求めるのでもなく、いつも目の前のことに向かって全力であり続けて、まえちゃんを見ていると、突き抜けた自由さがあるように感じます。 囚われていなくて、考えが自由で、まえちゃんと話しているだけで元気が出てきます。

 まえちゃんと一緒にした田んぼ作業で、まえちゃんの粘り強さや何にも囚われていない心を感じて、私は、今まで作業をするなかで、判断に迷うとき、その場でどうしたらいいか迷うときに、これをしたら失敗してしまうかもしれない、失敗して怒られるかもしれない。

 失敗による自分の評価、怒られることへの怖さが気になって、その囚われている心だから、目の前の作業に向かう気持ちが、どこか違う方向をむいてしまったいたのを、まえちゃんが失敗とか、怒られるとか、一切考えずに、思わずに、囚われずに、前に突き進んでいく姿をみて、囚われていないというのは、まえちゃんみたいな姿なんだと、まえちゃんの姿から教えてもらいました。

 失敗とか、怒られるとか、そういうことの前に、まず、目の前の作業に向かって、今どどうするのがベストか考えて、後ろにある怖さを捨てて、後ろではなく、前を見続けて、前進していきたいです。
 まえちゃんとの田んぼの作業が楽しかったし、まえちゃんとの作業は何をしても、どんなことがあっても、楽しさや達成感に変わって、まえちゃんのことが大好きです。

 好きな人や憧れる人が近くにいて、そして、一緒にいられることが本当に有り難いし、毎日、少しずつでも成長していけるように、自分の課題を真っ向から向き合っていきたいです。

 お父さん、お母さん、おやすみなさい。