「保障を求めずに」 ふみ

1月14日

 夜の集合で、フルマラソンを走るときの心持ちについて、お父さん、お母さんが話してくださいました。

 自分がどのくらいのスピードなのか、己を知ることができる。ペースを上げすぎると後で息切れをしてしまったり、遅すぎても周りのみんなとペースが違い過ぎてしまったりする。そして、それは、なのはなでの作業でも仕事をするときにも出ることを話してくださいました。
 自分のペースが解って、作業や仕事をすると、1人ひとりのペースはそれぞれ違うかもしれないけれど、みんなが自分のペースを解っていると、作業がすごくスムーズに進む。

 あゆちゃんも教えてくれたことで、気持ちの粘りができて、それは、コンサートに向かう過程の3か月間と一緒で、フルマラソンを走った年と、走らなかった年では、みんながコンサートに向かうときの気持ちの粘りが違うことを話してくれました。

 フルマラソンでは、最初はこのくらいで走って、次はこのくらい、というふうにプランがあって、そのプランに沿って自分のペースを確立させていく。そういう過程が、コンサートの練習をするとき、自主練習をするのにも活かすことができる。何をするのかわからないではなくて、自分のなかで段階を経て練習することができる。
 それは、ミーティングに向かうときも一緒で、今自分のなかでわからないことも、それを投げ出すのではなくて、次の段階に進んだときに、ぱっと開けてくるかもしれない。その気持ちを持続させたりするのに、フルマラソンの練習から得ることができるのだと話してくれました。

 驕ったり、逆に引っ込み過ぎたりせずに、自分のスピードを知り、淡々と走る。どこまでいけるかわからないけれど、保障を求めずに全力で走る姿が美しくて、その空気がお父さん、お母さんは好きなのだと教えてくださいました。

 目の前のことに向かって、淡々と走り続けて、自分を驕ったり、誰かと較べたりするのではなくて、謙虚に、(次は、あの家の曲がり角まで、次は、あの木まで)と走り続けるのは、普段の生活のなかでもそういう気持ちで生きていきたいと思いました。

 そうできる身体と気持ちを作るために、これから始まるフルマラソンの練習を、みんなとできることが嬉しいし、身体と気持ちを鍛えていきたいです。

 保障を求めずに、走れるか走れないか解らないけれど、精一杯でやってみる。
 生きていくなかでも、保障を求めずに、謙虚な気持ちで生きていきたいです。

 お父さん、お母さんのお話が嬉しかったです。
 心持ちを正して、姿勢を正して、これからフルマラソンに向かっていきます。

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 昨日の夜の集合のお父さん、お母さんのお話のなかで、お父さんは何をするのも楽しいという言葉を聞いて、私は、最近になって、やっと、少しずつですが、色々なことをするのが楽しいと思えるようになってきました。

 なのはなに来る前も、何をするのにも楽しいと思ったことはなかったし、なのはなに来てからも、何をするのにも、失敗する恐怖、恐怖が自分のなかを大きく占めていて、何をしても楽しいよりも先に恐怖が勝ってしまって、目の前のことを楽しめないし、失敗する恐怖、怒られる恐怖、失敗したら人からどう思われるかという恐怖が自分のなかを大きく占めていて、それが原因で楽しめないし、そういう気持ちがあると、目の前のことに集中できないし、自分のなかに何も入ってこなかったです。

 お父さんの言葉を聞いて、何をするにも本当は楽しくて、楽しいというのも浅い楽しさではなくて、色々なことを知り、学ぶ楽しさや、追求したり、それを発信したり、自分から離れたところの楽しさなのだと感じました。

 自分から離れられていないと、自分の評価とか、失敗する怖さとかに囚われてしまって、楽しめるものも楽しめないし、もっともっと本当は自由な心で、色々なことを吸収して、学んで、知る楽しさ、学べる楽しさ、だれかと共に協力する楽しさ、だれかに発信する楽しさ、そういうだれかのために学ぼうとか、知ろうとか、吸収して自分が次はだれかに発信する、役に立てるようにという気持ちがベースにあったり、自分から離れたときに、楽しいと思えるように思いました。

 お父さんは、いつも自分のために料理をするのではなくて、お母さんのために、お母さんに美味しい料理を食べさせたいから、料理を学んで作っていることを話してくださいます。
 私たちにも、お父さんは美味しい料理を食べさせたいからと、たくさん調べて作ってくださいます。
 お父さんは、いつもだれかのため、人のために、学ぶ楽しさや吸収する、そして、発信する楽しさがあるのだと、お父さんを見ていて感じています。

 私も、ちゃんと人のために力を尽くせるように、フルマラソンを走る気持ちで、謙虚に、自分を驕らずに、引っ込み過ぎずに、一歩一歩前に進んでいきたいです。