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12月24日のなのはな
2023年ウィンターコンサート【前半】
私は全てを忘れてでも、変わる必要がある
あなたが忘却の力になってくれるなら
私たちは勇気をもって踏み出せる
私たちにとって大切な曲となった『オブリビオン』で幕を開けるウィンターコンサート。
オブリビオンを訳すと、忘却。
この曲をコンサートで演奏することが決まったのは、まだ脚本が生まれていない8月です。
私たちが求めていた答えは、そのときからずっと待っていてくれたように感じます。
忘却。私たちが回復していくための、キーワード。
摂食障害を「治してもらう人」ではなく、同じ苦しみを持つ人たちのために自らが「道を切り拓く人」になること。
それが、私たちが治ることであり、救われる道。
自尊心を守り、打ち解け合える仲間を作ること。
なのはなファミリーの日々の生活で教えてもらい大切にしていることが、この物語の中でひとつの道筋としてつながったと感じました。
そして、その道に進むためには、私たちは抱えてきた辛さを手放すことが必要なのです。
手放し、忘れる。それは決して、辛さをなかったことにすることではありません。
「私の辛さは理解され、癒された。解決した。もう自分を脅かすものではない」
と前に進む力へと昇華していくことが、手放すこと(忘却の力)だと私は思います。
その「忘却の力」となるのは、私たちの体験を受け止め、覚えていてくれる人の存在です。
なのはなファミリーに来て間もないころ、
お父さんとお母さんがこう言ってくれたことを私は覚えています。
「辛かったことは、僕たちがずっとずっと覚えているから」
そのとき、自分の辛さを、自分にしかわからない辛さとして後生大事に抱えて生きていかなくてもいいのだと感じました。そこまでなんとか死なずに生きてきた自分が、冷たい海から引き上げられ、あたたかい毛布にくるまれ、もう辛い人生ではない違う人生を生きていいのだと思えました。
ああ、あれはまさに忘却の力だったのだ。
そして、このコンサートを通して、私たちを応援してくれる忘却の力を、さらに広げていくことができる。
そう思いました。この物語が、私たちの人生を後押ししてくれるのです。
なのはなファミリーのウィンターコンサートのために勝央文化ホールに集まってくださった方々に伝えることで、私たちは、未来に向かって、前向きに生きていけるのです。
たどりついたその答えが、1曲目の『オブリビオン』につながります。
一人ひとりが、過去への決別と新たな自分としての出発を誓った、なのはなファミリーのウィンターコンサートの1日。
「今までのコンサートで一番良かった!」
という声をお客様からたくさんいただき、コンサートは大成功となりました。
私たちも、3か月間の練習と本番を通して、回復と自立へ向けて確かな手ごたえを感じ、見に来てくださったみなさんと一緒にその大成功を実感することができました。
ウィンターコンサート当日の12月24日。
ホールロビーでは、サンタの帽子をかぶった、巨大なブロントサウルスがお出迎え。
“恐竜”はコンサートのテーマのひとつです。
ブロントサウルスはまたがって乗ることもでき、子供たちに大人気でした。
子供だけではなく、大人たちも、大きなブロントサウルスを見上げながら、魔女と魔法使いと魔術師、そこに恐竜も加わって、いったいどんな物語になるのか、とわくわくした気持ちで開演を待っていてくれたことと思います。
コンサート会場のいたるところで、なのはなファミリーの仲間が強力なチームとなって動いていました。
ロビーや受付、照明、撮影班、駐車場係。
全国から仲間が集結して、このコンサートは作り上げられました。
ダンスの振付を考案し指導してくれた卒業生の、のんちゃん。本番では、2曲をみんなと一緒に踊りました。
照明チームには、大竹さん、河上りかちゃん、白井さん。
大竹さんは、小道具制作や、なのはな史上初となるラップの振りの考案にも力を貸してくださいました。
初ラップ、どころかコンサートでボーカルマイクを握って歌うこと自体が初めての私(魔術師)を、数日の間にラッパーに変身させてくれました。
撮影チームには、相川さん、大野さん、卒業生のさきちゃんとまゆみちゃん。
なのはなに帰ってきてから、毎晩遅くまで映像と台本をチェックして、ベストな映像が撮れるように尽力してくれました。
そして金時太鼓の指導をしてくださる文化ホールの竹内さん。
多忙な年末にかかわらず、東京から駆けつけてくださった、ステージカメラマンの中嶌さんと岡さん。
簿記部でお世話になっている村田先生も、会場に足を運んでくださいました。
新しい仲間との出会いもありました。
東京からハートピーの亜希子さんがご家族そろってが帰ってきてくださり、娘さんのかりんちゃんの友人あきと君が、はじめてなのはなに来てくれて、カメラマンとしてコンサートに参加してくれました。
あきと君は、客席や舞台袖からたくさんの写真を撮ってくれました。
制作側として、一緒に作ってきたたくさんの人たちとも、この物語を共有しています。
照明や撮影をしながら、役者のセリフに聞き入り、ときには涙を流しながら、一緒に作ってきました。
再び、物語のキーワードとなる「忘却の力」を思います。
観客はもちろんのこと、一緒に作っているたくさんの仲間も、私たちの生きる力となります。
お互いに、生きる力にしています。
ボランティアで手伝ってくれる人、手伝ってもらう人ではなく、どこまでいってもお互い様です。
最高の仲間と作りあげた、最高のコンサート。
13時、魔女と魔法使いと魔術師の物語がはじまります。
物語の前半は、魔術師(なお)が、ご案内いたします。
幕が開き、1曲目から私たちの鼓動はピークに達します。
全員で踊る、『オブリビオン』。
緻密に構成されたフォーメーション。美しく決まるか、破綻してしまうか。
綱渡りのようなこのダンスを、幾度となく練習してきました。
ここまで練習をしてきたのだから、本番はどうなっても後悔はない。
絶対に成功する、と自分と仲間を信じ切り、祈る。
私たちが新しい人生を歩みだすときと同じ覚悟で、踊ります。
3か月間踊ってきた中で、最高のパフォーマンスでした。
自分たちで最高と評するのははばかられるけれど、それでも「最高だった」と言いたい。
ほんの少しの立ち位置のずれも許されない難易度の高いフォーメーションの部分も、こんなにものびのびと踊れるのか、と思うほど、美しく決まりました。
袖にはけてきたダンサーは、何曲も踊った後のように息が上がっています。
それだけ、みんなが賭けていた1曲でした。
最高の幕開けとなります。
魔術師の私も、『オブリビオン』の冒頭で、魔女の物語へようこそ! という気持ちで踊りました。
妖しくも力強く微笑み、観客を誘います。
「ねえ、ねえ、近頃、私たちの島に行く女の子、増えていない?」
いたずら好きな魔女の使い猫たち4匹が、噂をしています。
猫たちの住む島は、傷ついた女の子を魔女に作り変えてしまう島、らしい。
その島で悪魔に女の子を案内している張本人が、わたくし、魔術師です。
私が女の子を魔女にしてしまう背景には、妹の存在や、やむにやまれぬ理由があるのですが……
それがわかるのは、もう少し後のこと。
なぜ、傷ついた子が、魔女のならないといけないのか。魔女になるとどうなるのか――
ここから、3時間の魔女たちの物語が、はじまります。
魔女の使い猫たちのダンス、『セニョリータ』。
卒業生のりかちゃんが振付けをしてくれた曲です。
しなやかな動きは、島の猫たちがそのまま踊りだしたように、このシーンにぴったりと合っています。
かわいらしくこちらに近づいてきたと思ったら、するりと身をひるがえしてしまう。
魅惑的な猫たちのダンスです。
聞こえる都会の雑踏の音。人のざわめき、車の警笛、あわただしく行きかう人の足音。
ここは、東京新宿歌舞伎町。女の子が3人、酩酊している。
そこに現れたのが、都会の雑踏でひときわ目立つ、カラフルな2人。
「ここは、利己心のかおりが、ぷんぷんするねぇ」
しかし、行きかう人は彼女たちに目もくれない。人間には2人の姿が見えていないようだ。
どうやら、現世の人間ではない様子。
そう、彼女たちは、先ほどの猫たちと同様、島に住む魔女なのです。
物語のいたるところの登場する、なんとも不思議な魔女2人。
彼女たちは、時空も空間も超えて、様々な時代の人間たちの様子を観察し、見守り、時には人間たちの様子を楽しみます。
この物語には、たくさんの魅力的なキャラクターが登場します。
その中でもひときわ個性際立つのが、この魔女2人組です。
魔女2人組は、魔法を使って酩酊する女の子3人の素性を調べます。
家族の関係が悪く、居場所がない女の子。
家族に差別されて、自尊心がすかすか。もう死んでもいいと思っている女の子。
家庭環境がばらばらで、心の土台を作り損ねてしまった女の子。
魔女2人組は、言います。
「この子たちも、魔女になるしか、ないわねえ、おーっほっほっほっほ……」
3曲目。『バッド・ハビッツ』。
主人公の女の子、洋子がローラースケートで空を飛ぶように滑ります。
ダンサーたちも、洋子と一緒に風を切って踊ります。
歌舞伎町の路上で行き倒れになっていた女の子3人。
目覚めると、見知らぬ場所にいます。
ここは、どこかって?
ここは、この世とあの世の4分の3のところに浮かんでいる、ブリンゲン島です。
「ようこそ、この島へ!」
女の子たちを迎えたのは、魔術師。
魔術師の私は、現世で生きることが苦しくなった女の子を、案内しています。
島への新しい来訪者、洋子、ライス、カオルの3人。
さあ、私の腕の見せ所。魔女になるように、案内してみせましょう。
魔術師の手には、禍々しさと神聖さの両方を併せ持つ白い杖。
この杖は、大竹さんが木を彫って作ってくださいました。
私の背丈を超える長さがあり、遠くから見ても威厳と風格のある杖です。
杖の先の部分は、龍の頭が彫られています。
魔術師の二面性や、この物語の黒魔術と白魔術の世界を表現した、とても美しい杖です。
魔術師の私は、切実な思いで島の案内人をしています。
女の子は、生きるか死ぬか、その瀬戸際にいる。
魔術師も、女の子たちを生かすためのやむにやまれぬ手段として、魔女にしている。
魔女や魔法使いのうようよする世界。
しかし、そこで語られる物語は、私たちのリアルな体験です。
魔女の世界の中で、摂食障害とはどういう病気か、そこから回復する道について、とてもストレートに語っています。
魔術師を演じながら、私は自分が依存から抜けられなかったときのことを思いました。
魔術師が、魔女になることは「君が生きるため」、と強く言います。
それは、自分の中にいたもう一人の自分の声のようでした。
摂食障害は、死がすぐそばにある病気。死なないために、依存になる以外の選択肢はない。
「とにかく、いま、この瞬間ここ(依存)に逃げるしかない」
いっときでも辛さから解放されて、命をつなげる道、それが依存。
もちろん、魔術師は、病気を抱えてまったく未来が見えなかった自分とは違い、もっと俯瞰して人間の世界を見つめ、依存に逃げる以外の道があると信じて、それを求めています。
女の子を悪魔に会わせて魔女にしてしまおうとする魔術師に、邪魔が入ります。
恐竜に乗って登場したのは、島の青年、ヤマト。
「魔術師についていってはいけない、君たちの魂を悪魔に売り渡そうって魂胆だ」
ヤマトは、女の子3人を、自分の恐竜牧場に一緒に行こう、と誘います。
不思議な青年とともに、3人は島の世界を見て回ります。
フラダンスの『ハウ・ファー・アイル・ゴー』が見せるのは、さざ波が打ち寄せる、島の風景。
青年ヤマトに案内されて、女の子3人は、美しい島の風景に心をよせます。
水平線を双眼鏡で見つめるヤマト。
そこには、美しい渡り鳥、メリケンキアシシギが見えます。
アラスカから南太平洋まで1万キロ以上を渡る、メリケンキアシシギ。
海と空の青、鳥の黄色い脚のコントラスト。
その景色は、島で生まれ育ったヤマトが大切にしてきた景色です。
洋子の心に、その美しい小さな鳥の姿は、深く刻まれます。
恐竜たち、メリケンキアシシギ。
ヤマトは、洋子たちが現世では知らなかった美しい世界をたくさん見せてくれます。
タヒチアンフラの『ウリリ』は、メリケンキアシシギのダンスです。
光があたるときらめく羽の衣装にバックの黄色い布が、鳥たちをより引き立てます。
ヤマトが案内する島の風景と、フラダンスの持つ生命力と美しさが、重なります。
人間を含めた生き物が本来持つ生きる美しさや、儚さ、厳しさ。
その厳しさや美しさは、ヤマトの心そのものなのだと思います。
会ったばかりの、洋子たちとヤマト。不思議と、心が通います。
ニンゲンをやっていると、普通に生活するのが難しい、だから魔女になってもいいかな。
そういう女の子に対して、ヤマトは「魔女になってはダメだ」といいます。
傷ついた女の子を魔女にする島、ブリンゲン島の住人であるヤマトですが、彼は魂を売って魔女になることはダメだと、言うのです。
ヤマトの案内で、洋子たち一行は、自分たちの5年後を見に行きます。
勝央金時太鼓の演奏『金太郎ばやし』。
5種類の太鼓に、鹿の角のバチで叩くチャンチキ、篠笛が加わった、総勢11名での演奏です。
毎週水曜日、勝央金時太鼓保存会会長の竹内さんに教えていただき、新しいお囃子の世界に挑戦した1曲。
なのはなのどの演奏とも違う、金時太鼓というひとつの世界を表現するメンバーが、魔女のいる島の世界から5年後へと一足飛びに連れて行ってくれます。
にぎわう屋台。そこには「恐竜から揚げ」の看板が。恐竜のから揚げ?
5年後に、洋子、ライス、カオル、の3人は恐竜肉を使ったから揚げ店を開いていました。
トリケラ、イグアノ、ステゴ。並ぶ客はブタ。え、ブタ??
あの肉は、ヤマトの恐竜牧場の肉でしょうか……うーん、混乱する。
さらに悪徳食肉業者の“なんでもよこせ”の横瀬社長まで登場します。
洋子を金儲けに誘う横瀬を退治したのは、ヤマトの魔法。
「お前は、恐竜だ!」ヤマトの力で、恐竜に変えられた横瀬は、すごすごと去っていきます。
『ダンスモンキー』
この曲は、サルサや、ワックの動きが入ったダンスで、卒業生のりかちゃんの振付けです。
10月末、お仕事の合間をぬってなのはなに帰ってきてくれた、りかちゃんが、振付を考えてくれました。
1曲を通して、一つとして同じ振付けがなく、りかちゃんがみんなと踊れる喜びを込めて考えてくれた、1曲です。
ワックやサルサが初めてのメンバーも、伝えてくれたりかちゃんを思い、みんなと猛特訓をしながら、踊れるようになっていくことを楽しみながら作っていきました。
また、この曲のボーカルは島の魔女2人組のまなかちゃんで、そのまなかちゃんの相方魔女のひろちゃんが、ボーカルの横で踊ります。
そのダンスがあることで、5年後の世界の不思議さをより濃くします。
さて、5年後から帰ってきたヤマトと洋子たち。
洋子は、ヤマトに問います。
「私が魔女になって、何か不都合なことってあるの?」
ヤマトは、魔女になるということは、人間の持っている一番いいものを失うことなんだ、と3人に告げます。悪魔と契約することは何を意味するのか、話そうとするヤマト。
「ハイホ~ハイホ~魔女になろう~~♪」
魔術師、参上。女の子たちを魔女にさせないつもりかい? いやいや、私がそうはさせないよ。
魔女になる契約をとるべく、魔術師がヤマトの話をさえぎります。
洋子たち3人が、現世でどれだけ追い詰められ、死の淵に立っていたか、魔術師は知っています。
だからこそ、ヤマトが魔女になってはダメだと思うのと同じくらい強く、魔女になる道を進めます。
洋子たちの選べる道は、2つに1つ。
魔女になって生き延びるか、魔女にならずに死んでしまうか。
それを提示し、洋子たちに選択を迫ります。
ヤマトと魔術師は、光と影、コインの表と裏のようです。
同じブリンゲン島の住人である2人は、邪魔をしあっているようですが、切り口を変えてどちらも女の子たちを助けたい、死なせたくないという思いをもっています。
ヤマト役のまえちゃんと、ブリンゲン島のこと、ヤマトと魔術師のこと、2人が何を求めているのか、お互いがどんな存在なのかを、たくさん語り合いました。
演技の練習時間と同じくらい、脚本に書かれていないヤマトと魔術師の思いについて話をしていました。
2人で話すことで、より魔術師のキャラクターを深めていくことができました。
私にとって、その時間がとても大切なものでした。
魔女になるか迷う3人に、魔術師は仮契約をセールスします。
仮契約をしたら、特別に変身の魔法をプレゼントしますよ、と。
魔術師の巧みな話術に、客席から笑いも起きます。
女の子3人との掛け合いや、魔術師に引き込まれる動きの演技も楽しく、私の好きなシーンのひとつです。
客席から笑いが起きると、私のトークはますます絶好調に。
それにつられて、女の子3人は仮契約をしてしまいます。
ついに、魔女になる扉に手をかけてしまった、3人。
扉の向こうには、どんな世界が待っているのか――。
怪しげなメロディーが、3人が足を踏み入れた魔女の世界を予感させます。
『ホーンテッド・ハウス』。トランペット、アルトサックス、テナーサックスのアンサンブルです。
シーンは変わって、病院。ベッドに横たわっているのは、洋子です。
どうやら、意識はないようです。
洋子の母は、意識が戻らない娘を本気で心配している様子はない。
「このまま娘が亡くなったら、なんとなくばつが悪いような……」
娘への愛情は皆無で、発達障害があるとわかった娘を持った自分自身をかわいそうと思う母親。
悲劇のヒロインとなり演技がかった様子で語ります。
がばっと起き上がる洋子。
「ヒエエエエエエエ!!!」のけぞる母親。思わず「死体が起き上がった」と口走ります。
目の前の洋子に向き合うことをせず、取り繕う相変わらずの母親にうんざりする洋子は、 ふと魔術師の言葉を思い出します。
「変身の魔法を、プレゼントいたします」
よーし、この母親に、魔法をかけてみようか。
ムムムム、「ルエガキ!」
洋子の呪文で、母親は一瞬にして変身します。
この変身シーンは、照明チームと役者が息を合わせて驚かせる、見所のシーンのひとつです。
一瞬で洋服が入れ替わる仕掛けと、照明の効果が相まって、客席から拍手が起きます。
『オ・ヴァイ』謎めいた神秘的なタヒチアンダンス。
変身の魔法を使えるようになっていた、洋子。どうやら仮契約の話は、本当だったようだ。
魔女としての生活を体験する、洋子たち。
それは、洋子たちの救いになったのか、あるいはならなかったのか。
3人のもとに、魔術師がやってきます。
「いかがですか、魔女を体験してみて?」
洋子は、言います。
「心の痛みを忘れることができた。
でも、これって、魔法の力を使って、辛いことを見て見ぬふりをしているだけよね」
魔術師はもちろん、そんなことは百も承知です。
魔女になるということは、一時的な逃げ場なのです。
根本的な解決ではなく、辛さから目を背けるための、逃げ場。
私には、そのことが痛いほどわかります。
魔女になること、それは摂食障害になること。
魔法を使うということは、依存に気持ちを逃がすということ。
私たちは、魔女になることで、生きる辛さから逃れてきました。
「見て見ぬふりをするだけ? それでいいんです、死なないこと、それがなにより大事だ」
魔術師は、とにかく死の淵から女の子を救うために、魔女にしています。
死んでしまったら、解決の道を見つけることもできない。
悪魔の手先と言われようと、魔術師は目の前の女の子に一時的にでも救うしかなかった。
摂食障害の症状のさなかにいたときはわからなかったけれど、今思うと、私も本当に死ぬか、魔女になる(摂食障害になる)しか道はなかったのだと思います。
けれど、依存で一時は救われても、その依存の道は結局はその先でまた「死」という道につながっていたんじゃないか、と思うのです。
魔女でいることで、先延ばしにしているけれど、魔女として平気で生きていけることは、私にはなかったと思います。
魔術師も、魔女たちがあふれて限界を超えて、もう救うことができなくなる、という危機感を持っていました。だから、魔術師は魔術師で、どうしたら魔女にならずに生きられるのか、という道をずっと考え、求め続けていました。
洋子、ライス、カオル、そしてヤマト、魔術師。
それぞれが、魔女にならず生きられる道を求めていました。
まだこの段階では、その道は見つかっていません。
だから、魔術師は、洋子たちに、魔女になる本契約を迫ります。
魔術師は、悪魔がなぜ悪魔になったのかを語ります。
悪魔は、もともとは天使だった。
しかし、人間がこの世界に生まれてから、神様は未熟な人間を一番可愛がるようになった。
欲にまみれ、人を妬んだり、競争ばかりしている、未熟な人間を。
そのことにがっかりした天使は、天使をやめて、悪魔になる、と。
人間の世界はいまもなお、戦争が続いている。ひとつの国の中でも生きにくさがある。
地球規模でみても、ひとつの家庭という小さな単位でみても、生きにくさばかり。
そんな世界で、優しさを持っていたら、正気ではいられない。
よく生きたいという願いが強いほど、正気を保つために、悪魔に魂を売り渡し、人間の未熟さである欲を肯定し、人も自分も貶めて生きる生き方をするしかないんだ――。
正気ではいられなかった世界にいた洋子たちだからこそ、もう魔女になるしかないんだ、それが生き延びる唯一の道なのだと思います。
そして、ついに「私は、魔女になります」と心を決めるのです。
『ブエノスアイレスのマリア』がドラマチックに、前半のラストシーンへと導きます。
悪魔との契約式です。
ここから前半ラストの曲までは、自分にとってひとつの山場でした。
契約条文を読み上げ、『クリーピン』で前半を締めくくります。
契約式では、条文に合わせて、ライスとカオルがジェスチャーをします。
視界の端に2人の動きが見えます。
セリフのタイミングを細かく打ち合わせをしたわけではないけれど、
練習の中で二人が魔術師の呼吸を感じて動いているのがわかりました。
セリフを言うよりも、セリフを聞いてジェスチャーをするほうがずっと難しいです。
だからこそ、ジェスチャーをする2人の練習の密度を感じて、
私も条文は絶対に間違えないぞ、と気合が入りました。
そして、悪魔役は、ひでゆきさんです。ティラノサウルスに身を変えた、悪魔。
低く太い、ひでゆきさんの声が、ホールに響きます。
ひでゆきさんは、仕事が休みの日には古吉野での練習に来てくださり、家ではあゆみちゃんと2人で悪魔の声色や、セリフの間を研究して、ひでゆきさんしかできない、魔女の世界の悪魔が誕生しました。
恐竜の中に入った悪魔の迫力は、ひでゆきさんの声でなければ実現しえなかったと思います。
役者として、ひでゆきさんと共演できたことがとても嬉しかったです。
魔女になる契約は、全部で10箇条。
1、 神様への忠誠を撤回すること
2、 悪魔に忠誠を誓い、損得勘定だけで物事を考えること
3、 困っている人がいたら喜んで近づき、自分の方が幸せでよかったと確かめ、高く評価されている人がいたら必ず足を引っ張ること
4、 大きくて新しい家、大きくて立派な外車に乗っている人がいたら、羨望の眼差しで見守ること
5、 医師、弁護士、公認会計士など、「し」がつく職業の人を見たら、必ず深い嫉妬と妬みと悔しさをもって、すれ違いざまに臭いをかぐこと
6、 不動産収入で一生、楽に遊んで暮らす、これこそが最高の人生であると、信じること
7、 夫婦というものは、基本的に無視し合う関係であり、口を開けば、必ずお互いを非難し合うのをやめないこと
8、 魔女は、生きる辛さを逃がす術として、「依存の術」を使えるが、代わりに人としての幸せは放棄すること
9、 魔女となる者は、悪魔より魔法を使う術を授ける
10、 魔女を降りるときは、命をもって購う
そんな人、いそう。あるある。
ひょっとして、私、魔女になってる……? 私のお母さんも、魔女になってる?
条文で示される人間の様子を思い浮かべて笑いながらも、己をかえりみて思わずドキッとしてしまう魔女の条文。
一番大事な条文は、第8条だ、と魔術師は言います。
生きる辛さを逃がす術として、依存の術を使えるが、人としての幸せは放棄すること。
私たちは、辛さに耐えきれず摂食障害という依存の術を手にしました。
そして、生きる喜び、幸せを放棄しました。
洋子たちと同じように、私は魔女の契約をしたのでした。
人として幸せになることはできない、それでも、魔女になるしかなかった。
それ以外にどうすればよかったのだろうか。
「命は、救われた」
魔術師は、決して女の子は死なせない、命をつなぐという使命を果たします。
この魔女の契約で洋子たちの命が、なんとか救えたのだ。
前半のラストは、『クリーピン』。
人間の世界で救いが必要となると現れる島。役割を終えて沈んでいく島。
女の子たちが救いを求める様子と、そんな女の子の命をつなぎ、守る島。
その様子を、この曲で表現します。
原曲にもあるラップ部分に、日本語の歌詞を当てはめて歌います。
ラップを魔術師が歌うということは早い段階から決まっていましたが、歌詞がなかなか思いつかず難儀し、最後はお父さんが物語に合った単語で韻を踏んだ面白い歌詞を考えてくれました。それが決まったのがホール入りしてから。
さらに、ラップに合った振付にアレンジが加わったのが、ゲネプロの前日。
ラップ部分はそれほど長くないのだけれど、最後の1週間、私はほとんどラップのことばかり考えていました。
通勤の車内では、ずっと『クリーピン』をかけてラップを歌い、毎晩のようにラップにまつわる夢を見るほどでした。
役者としての経験はあるけれど、ラップは初。
大竹さんの指導(振付や、ポーズ、マイクの持ち方)、島の男の子役のダンサー4人が、短い時間で作り上げたクールでかっこいい振付。
それらに助けられて、私はラッパーになることができました。
堂々と、ラッパーになり切って歌うこと。最後はそれだけでした。
らしい動きができたかどうかはわからないけれど、本番では気持ちよく思い切り歌えました。
緊張していてわからなかったのですが、客席ではラップに合わせて乗ったり、手拍子が起きていたよ、と調光室から見ていた大竹さんが教えてくれました。
ラッパーデビュー。なのはなでまたひとつ、新たな経験ができたのでした。
魔女になった洋子、ライス、カオル。
女の子を助ける役割の島の住人、ヤマトと魔術師。
女の子たちと、島の運命は、後半大きく動きます。
(なお)