「生かされている気持ち」 なつみ

9月18日

 すにちゃんと一緒に、Oblivionの歌詞と和訳を貼ったあと、一番に和訳を読みました。

 すべて忘れて、全く違う自分に変わる必要がある、それを自分自身も望んでいて、何かきっかけを求めて、求めて、求め続けている。
 わたしもそうで、あゆちゃんがこれを書いたのだから、この歌のような気持ちになるのは、自分だけでないのだと思いました。
 わたしが求めて、諦められないのは、みんながわたしの強い希望であるからなのだと、今、気が付きました。
 わたしの良くなりたいという気持ちは、わたしの物ではなくて、みんなとまだ見ぬ誰かによって生かされている気持ちなのだと思います。
 その気持ちを捨ててはならないと思いました。

 コンサートの係の集まりで、今日は顔合わせで、コンサートの係を通して成長したいことや、信念、目標などを考えた時、なっちゃんやゆずちゃんが、
「受付、看板係は舞台には乗らない、陽の目を見ることはない。だけど、コンサート終わったときに、みんなが、受付看板係がいて良かったと、思ってもらえる係にしたい」
 と話してくれました。
 もちろん、自分たちの与えられた、受付看板係の仕事を全うすることは勿論だけれど、係の垣根を超えて、受付看板係が、みんな、いろんなところで、いろんな係のスーパーマンになれたら、それはとても喜ばれることだろうと思って、なっちゃんが「自分の仕事より、みんなの仕事を優先する」と言ってくれた時、それでいいんだなと安心しました。
 そして、もし本当に、自分の仕事で困ったことがあったら、みんなが助けてくれるのだとゆずちゃんが話してくれて、係を通して、視野も気持ちも、幅を広くして行けたらいいなと思いました。

 頭はまとまらないですが、みんなとコンサートを、今年もまた出来ることが、不安も心配も緊張もあるけれど、とても、嬉しいです。

「誰もが、一人ひとりのスーパーマン」
 というなっちゃんの言葉を、大事に、自分よりみんなを優先して、過ごしたいです。