「なのはなで成長していくこと」 ななほ

8月30日

 急に吹く風も、虫の音も秋らしくなり、少し切ない気持ちもするけれど、まだまだ日中は暑いです。

 明後日から9月だと思うと時間が過ぎるのがあまりにも早く、大好きな夏が終わってしまうのが寂しいけれど、これからコンサートに向けてダンスや楽器練習が始まると思うと、とても楽しみです。

 特に最近はダンスを踊りたくて踊りたくて、廊下を歩いていてもお父さんが鼻歌を歌うように、自分で作った即席ダンスを踊りだしたくなったり、もうすでにお父さんのお誕生日会やコンサートでやってみたい曲、ダンス、着てみたい衣装やお母さんが言われていたアーティスティックメイク(特殊メイク)がどういうものがあるのか、どんな風に使えるかを考えては、ワクワクしています。

 日常生活に音楽やダンスなど少し、非現実的なものがあるだけですごく気持ちが前向きになり、お父さんは脚本書きなど忙しくて、大変になってしまうかとは思うのですが、とても楽しみです。

 特に、このテーマだったらこんな飾りが使えるなとか、このテーマになったらブルーベリーやスモモジャムなどを物語にちなんだ名前にしたら面白いなとか、ふとした時に面白い衣装も頭に浮かんできたりして、これからの季節も畑や勉強と同時並行で頑張りたいです。

・山小屋だより

 昨日、今日で山小屋だより9月号の編集も大方終わり、個人的には達成感を感じています。

 というのも、今月号は縁日から始まり、海や川遊び、盆踊り大会に花火、畑となのはなの夏がいっぱい詰まっていて、40ページほどの大作になってしまいました。(大作になった原因は2つの意味で、私にあります。1つは、私が縁日とダイナノー・パークの記事を書いたことで、記事のボリュームが多いこと。2つは、私が編集すると、ついつい綺麗な写真や、第3者の方に見てほしい写真がたくさんあり、写真が多めになってしまうこと。でも、きっと読んでいても楽しい山小屋だよりになっていると思います)

 私は主に山小屋だよりのレイアウトを進めていたのですが、同じ部屋ではかにちゃんが山小屋だよりの記事校正をしてくれていたり、タイトル付けをしてくれていたりと、やっていることは違うけれど、お互いに助け合いながら編集ができたり、かにちゃんと記事を通して繋がっているのを感じると、嬉しくなりました。

 明日からは試験勉強を始める予定なのですが、かにちゃんがバトンタッチで、目次やダイジェスト写真館を作ってくれると言ってくれていて、無事に9月1日には発送できそうです。

 

・なのはなで成長していくこと

 夕方の時間にハウスミーティングがあり、お父さんのお話をたくさん聞かせていただけて嬉しかったです。
 今日は印象に残った話がたくさんあったのですが、まずは自分がした質問について書きます。
 今朝、なっちゃんと少し歴史について話した時、ふと私は歴史は大の苦手分野だったけれど、縄文時代だけは好きだったことを思い出しました。

 中学1年生から2年生にかけて、私にとっては一番生きるのが苦しかった時、なぜか図書館へ行き本を読んでいる時間と、縄文博物館(名前は違いますが、縄文土器や縄文弥生時代の道具、生活などについて展示されている博物館)にいる時間だけは、自分から離れて、目の前のことに集中していられました。

 その当時は、ただ居心地がよかったり、勉強のために歴史を学んでいるという意識しかなかったのですが、今思えば、私は縄文時代に憧れていたというか、逃げていたというか、どこか縄文時代に引き込まれるところがあったのだと思います。

 縄文時代は、今の世の中よりも単純で、衣食住を満たすために人々が動き、それを生きがいにしていたこと。
 ただ、自分が生きていくために、狩りをしたり、植物採集や新しい道具を作って暮らし、衣食住を満たされた生活に満足して、どこにも競争がないような感じがして、中学生のころ、(今、この世界が縄文時代に戻ったら、私は生きられるのにな)と思っていました。

 でも、お父さんが言っていたように、縄文時代には縄文時代なりの生きる大変さや過酷さ、競争はあっただろうし、それらを経て人々が知恵を出して進化させてきたから、弥生時代になり、今の世の中があるのも事実です。

 そのため、当時の私はどこでもいいから、今いる場所から離れたい、私が生きられる場所に行きたいという風に、幸せを感じられていなかっただけだとは思うのですが、改めて、お父さんの話を聞かせていただけて嬉しかったです。

 それと同時に、私はずっと全て、自分の人生が決められていてほしかったのですが、今、そう思う気持ちがなくなっていることをお父さんに話しました。

 すると、お父さんが、
「生きるのが苦しくなると、そんな風に全部決められていてほしいと思うようになるんだよ。僕も、子どもの頃、男女の性別なんてなかったらいいのにと思っていた」
 と話してくださりました。

 なのはなに来るまで、私がこれから行く先、学校も、働く職業も、結婚する相手も、生まれてくる子供も、住む家も食べるものも、私が死ぬまで全部、決められていてほしい、そしてそれ以上なくていいとずっと思っていたけれど、それは私があまりにも競争につかれて、生きることにつかれて苦しかったからなんだなと思いました。

 中学生のころ、頑張れって言われても、これ以上どう頑張ったらいいか分からなかったし、もう頑張らなくていいよと言われても、どうすれば頑張らないようにできるか分かりませんでした。

 勉強すればするだけ、誰かに認められるような気がして、勉強していい高校、大学に出て高いステータスを得たら、幸せが来ると思ったいたけれど、そんな競争にはもう乗ることもできないし、乗りたくなくて、全部決められていてほしかったです。

 もし、全部決められていたら、苦しい思いをしてまで競争しなくていいし、誰にも馬鹿にされない、落とされないと思っていました。

 そして今、私は気が付けばそう思う自分がいなくなっていて、自分の未来にもなのはなファミリーの未来にも希望を持つことができています。

 それは、なのはなファミリーで本当の幸せを教えてもらって、見るべき方向を教えてもらって、中学生の頃に見ていたあの、狭くて苦しいだけの競争の世界とは、無縁の利他心の方向で生きていくと決めたからだと思います。

 お父さんが最後に、「適度に希望を持つことは案外、難しいものなんだよ」と教えてくださって、私はなのはなファミリーで教えてもらった利他心を基盤に希望を持ち、それを高望みしたり、胡坐をかかずに、謙虚に希望を持ち続けようと思いました。

 それともう1つ、私はインプットしたらすぐにアウトプットしたくなり、常に覚えたことは発信したい、嬉しかったことを伝えたい、誰かと共有したいという気持ちがあるけれど、それは普通のことなのかを質問しました。

 お父さんが、「それは普通のことだと思っていいよ。今考えていたんだけれど、ななほには利己心がどのくらいあるだろうかと思った時、あまり利己心がないんだよね」と話してくださりました。

 もちろん、私は常に謙虚な気持ちでいないと利己心を持ってしまうし、利己心になったらすぐに気持ちが落ちて、自分で自分の首を絞めると思っているのですが、お父さんが、「ななほは、ものすごく苦しんできて、傷ついてはきたけれど、あまり毒されてこなかったんじゃないかな」と話してくださり、嬉しかったです。

 お父さんも話していたように、なのはなで生まれ変わって、なのはなで成長していけることがとても嬉しいです。

 気が付けば18歳になってしまったけれど、なのはなで子どもから大人へと成長させてもらい、なのはなで優しいみんな、利他心の環境で過ごす中でも、それなりに年齢に応じて、お父さんが言うようになのはな内反抗期(当時は、みんなに迷惑かけてすみません!)があったり、落ち着く時期があったり、気持ちがしっかりはっきりする時期、反対に不安定になる時期、そしてその不安定な状態を乗り越えて、また新たに進化する時期と色々な時期があったけれど、こうして年齢に応じた発達をしながら、健全に、きっと世間一般の人よりも健康で健全に成長させてもらってきて、そのことがとてもありがたいなと思います。

 スクーリングに行っても、「え、摂食障害だったの? 前は苦しかったんだろうけれど、全然そんな風に見えなくて、むしろとても元気そうで」と言われたり、「うちの子どももななほちゃんみたいに育ってほしい」「なのはなファミリーという場所で育ったから、こんな風に人前に出ることも慣れていて、社会性があるんだね」と言われたりするくらい、私はなのはながあったから今、元気に前向きに過ごせるし、スクーリングなど外に出ても、なのはなを好きになってくれる人、なのはなの考えに賛同してくれる人に出会えます。

 まだ私にはたくさんの課題があるし、直していかないといけない部分、時に出すぎて、時に迷って、時に失敗して誰かを悲しませたり、怒らせてしまうこともあるけれど、その全部を楽しんで、味わい尽くしながら1つひとつ、成長していきたいし、良いことも悪いことも経験してきたことを全部、まだ見ぬ誰かの回復や生きる道しるべにできるよう、これからも粘り強く、わかるまであきらめないという気持ちで生きていきます。

 ハウスミーティングのことを他にも書きたかったけれど、今日はここまでにします。