「OMTを通して」 るりこ

7月13日

○OMTを通して

 ここ数日新しく来た子たちとOMT をさせてもらい、話をさせていただきました。
 ミーティング以外の期間で、自分がなのはなに来るまでの摂食障害の症状について、深く思い返して、言葉にすることは久しぶりでしたが、OMTの回数が増えるごとにより鮮明に思い出すことができました。
 今となっては遠い過去のように感じてしまうけれど、はっきりと、自分が症状から抜け出したくても抜け出せない苦しさや、食べ物に対する不安、どんどん自分が自分じゃなくなっていくような恐怖感、そして先の見えない絶望感にぶち当たって、自力ではどうしようもできないくらいに症状が進行していたことを、嘘でも過去の出来事でもなく、真実として、つい最近のことのように思い出せる感情もありました。

 そしてもし自分がなのはなに来ていなかったら、どうなっていたのかを考えました。その答えはすぐに想像することができ、誰も行き着く先は同じだったということが共通していました。
 言葉にするのも怖いくらいだけれど、自分は本当にそうなっていただろうと思うのは、一生、症状に振り回されて、働くことも社会に出ることもままならなくて、40歳になっても、50歳になっても、親元から離れることができないまま、8050問題のようなことになっているか、人として大きく道を踏み外してしまうか、それか早い内に自らの命を絶っていたということです。
 本当に本当にこれは人事じゃなくて、あと一歩間違えていたら、自分の人生はそうなっていたと思うし、今でも、なのはなでしっかり回復しないと、その人生に陥る可能性は大いにあると思います。今ここで、しっかり依存を断ち切らないといけないと、このテーマを考えることで強く思わせてもらう機会にもなりました。

 最後になのはなで変わったことを話させてもらいました。
 そこで思ったのは、1、2周目で自分の摂食障害の症状を鮮明に思い返したばかりだったこともありますが、今、毎日、三食の食事を普通に食べることができて、日中は身体を思い切り使って、人並みの動きをすることができて、夜はよく眠って、また朝に目覚めよく起きられる、という生活を送れていることが、症状の最中にいたときには考えられもしないことだったということです。病院に行っても、民間のカウンセリングを受けても、どこにも治る答えはなくて、自分が症状から離れて生活している姿なんて想像もできなかったし、ましてや自分は一生、症状を抑えながら(隠しながら)生きていくしかないんだと思って、普通に生きることを諦めていました。

 でもなのはなに来て、お父さんお母さんに理解してもらい、生きる答えをもらって、まだ完全ではないにしても、目に見える症状からは離れて、日常的に何も困らない生活を送れている、そして普通に食事を摂れているということは、過去の自分からすれば奇跡としか言いようがないと思いました。
 それは絶対になのはなじゃないとできなかったことで、自分はここまで回復させてもらったということだけに、もっともっと深いところで感謝して、お父さんお母さんに救ってもらった命や身体を、次はまだ見ぬ誰かに返していかなければいけないのだと思いました。

 その他にも、わたしは摂食障害になった人生をどうしても受け入れられない気持ちや、どうにか挽回して、親の期待に応える生き方(高い学歴を身につけること)をしたいと願ってきたけれど、なのはなに来て半年くらいが経った頃に、集合でお父さんお母さんから、どんなに高い学歴や能力を持っている人や人生よりも、よく生きたいと願う心の方が大切だということを教えていただいて、自分の考え方が変わったと思いました。
 それまで大学に進学しないといけないという気持ちや、社会から置いて行かれる怖さが強くあったけれど、なのはなにいる自分はどんなに良い大学に進んだ同級生や誰よりも、普通の人なら誰からも教えてもらうことのない、人としてあるべき生き方、心持ちを教えてもらっているんだと思ったら、ものすごく自分は幸せだと思えて、結果として自分は誰よりも良い環境にめぐり逢うことができたんだと思いました。
 だから自分はもう敷かれたレールでは生きなくてよくて、何になってもいいし、どんな職業についても良くて、本来、自分が世の中で果たすべき役割に沿って、進む道があるのだと思うと、良い意味で自由に人生を考えられることが嬉しいです。

 そして、みんなに出会えたこと。なのはなに来て真っ先に思ったことは、誰もが優しくて、みんなから「ありがとう」という言葉が絶えなくて、こんなに優しい世界があったんだと思ったことを、今もはっきりと思い出すことができます。
 今でもなのはなファミリーは、未熟な部分も含めて、お父さんお母さん、みんなにありのままの自分を受け入れてもらい、安心して過ごせる居場所です。
 自分一人の力を思うと不安しかないし、社会の普通の人と自分は一生わかり合えることはないと思っていて、そのなかで生きていくことに自信はないけれど、自分にはなのはながあって、60人もの自分を理解してくれる仲間がいるという事実を思うと、一人じゃなく、もう孤独になって一人で戦わなくてもいいんだなということが、ものすごく大きな支えになっていると感じます。普段はみんなに囲まれていることが当たり前のようになっているけれど、ふとしたときに、その大きな安心感というものを感じることがあります。

 自分は何も成長できないない、変わっていないと思っていたけれど、OMTを通して言葉にしてみると、次から次へと言葉が溢れてきて、カメのようにゆっくりでも、自分は確かに変化している部分がたくさんあったんだと気がつくことができました。
 だから今夜の集合でお父さんがおっしゃっていたように、もうそろそろ自己否定するのはやめて、謙虚な気持ち一番で、自分に奢るわけでもないけれど、少しずつ自分のことを肯定できるようになっていかなければいけないとも思わせてもらいました。

 あるようでない大きな幸せを追い求めるのではなくて、日々にある小さな幸せをいっぱい感じて、幸せのその日暮らしができるようになるように、今のわたしは回復にも欲を張らずに、こうして人として生活できるようになったということだけにもっともっと感謝して、周りの仲間も自分も大切にできる人になっていきたいと思いました。
 だからもっと謙虚に、素直になって、もう二度と症状に逃げない気持ちを作り直して、回復していきます。
 いつもありがとうございます。