【7月号④】「困難に向かう姿から学んだこと ―― 2023年の田植え機チーム物語 ――」 さやね

 

 空を映した水面に、小さな稲の苗が真っ直ぐに並んでいく。軽やかなリズムを立てて苗を植える田植え機さなえちゃん。ハンドルを握るお父さんは、ゆったりと操作しているように見えて、地面の深さや状況を感じながら手元を細かく動かし、小さな軌道修正を繰り返している。そのすぐ後をあゆちゃんが追い、苗の状態をお父さんに伝え、お父さんと一体となって進んでいく。

 種籾からみんなの手で育てた苗が、田んぼに巣立っていく。ここにはお父さん、あゆちゃん、そして今この田んぼにはいないけれどまえちゃんや家族みんなの気持ちが集まっている。
 しかし、こうやって穏やかな心持ちでいられるまでに、お父さんの運転するさなえちゃんがいくつもの困難を乗り越えなければならないことを、私は全く想像していませんでした。

 機械での田植えは、永禮さんチームとお父さんチームの二手に分かれて進めました。永禮さんは諏訪神社方面の田んぼを植えてくださり、お父さんチームは一枚目のカーブミラー田んぼに向かいました。
 さなえちゃんに乗って田んぼの入り口に立ったお父さん。一年ぶりかあ、とぼそっとつぶやき、たちまち外周を周り、田植えが始まります。

 

諏訪神社方面の田んぼでは、永禮さんが田植えをしてくださいました!

■さなえちゃんの爪

「速いね。あっという間に終わりそうだよ!」
 あゆちゃんと言い合い、あゆちゃんは田植機が植えていく苗の状態を見て、私はトレーを洗い苗に水をやる。そうして順調に行くと思っていました。
「お父さん! 一条植わってないよ!」
 あゆちゃんがお父さんの元へ走りました。
 ああ、右端の一条が植わっていない!
 油が切れているのかもしれないとグリスをさしましたが植わらない。爪が削れて短くなっているのかもしれない。このまま三条で植えていこうか、植えた苗をタイヤで踏まないように二条で植えようか。倍の時間がかかってしまう。

 お父さんは農機具屋さんに電話をし、新しい部品があるかを確かめましたが、部品はなく、修理をするしかないということでした。

「はい、わかりました。自分で直します」
 とお父さんは言いました。
 お父さんとあゆちゃんは、苗を植える爪の辺りを分解しました。すると一つのネジがポロッと外れました。外れたネジ、これが原因です。
 そのとき私は、次に田植えをする那岐山三反田んぼで、苗に薬と水をやっていました。さなえちゃんが動き出し、田植えを終えて、お父さんとあゆちゃんがこちらへ向かっているのが見えたとき、二人は勇敢な戦士でした。

 

■事件発生

 翌朝、まえちゃんと何人かの子でグラウンドにある苗を田んぼに運んだとき、光田んぼ上にたくさんの豊年エビが泳いでいました。まえちゃんが、
「あゆちゃんが水の管理をしてくれているから、豊年エビがたくさんいるんだね」
 と言いました。あゆちゃんの優しい笑顔が思い浮かび、この田んぼに家族みんなで田植えができることがとても嬉しく思いました。
 田植え二日目は、光田んぼ上と光田んぼ下にて、お母さんリーダーの大家族での手植え対お父さんの機械植えで競争をしました。どれみちゃんと私はお父さんチームの補助に入りましたが、お父さんは前日からの慣れもありやはり速く、田植えが半分過ぎ進んだとき、お父さんは田植機を下り、みんなの手植えのほうへ様子を見にいきました。

 余裕たっぷりのお父さんを見て、手植えをするみんなは心に火がつき、どれみちゃんと私もいつしかお父さんを一人にして光田んぼ上へ行って、苗をみんなの手元へ投げました。
 ほんの数メートルの差で、手植えが速く終わりました。手植えの勝ちです。
「やるなあ。速かったなあ」
 お父さんは悔しくも嬉しそうでした。どちらの田んぼも苗の列が真っ直ぐに揃っていて美しいです。お父さんの機械植えはもちろん、みんなの手で植えた田んぼの美しさを見ると、心が洗われて、心が満たされます。

 

光田んぼ上下で、手植えと機械植えの対決

 

 しかし、事件は次の山裾田んぼ東で起こりました。
 さなえちゃんを乗せた軽トラックが先に到着し、少し遅れて山裾田んぼに着き、お父さんが軽トラックからさなえちゃんを下ろそうとしていました。次の瞬間、お父さんが横に飛びました。
 私は何が起きたのかわからず、お父さんの身体が地面に打ち付けられ、とにかく田植機がお父さんの上に落ちないように、軽トラから落ちかけた田植機をどれみちゃんと押さえました。心臓が飛び出しそうでした。
 田植機を下ろそうとしたときに、左側のブリッジが外れてしまったのです。

 お父さんが落ちたところには側溝がありましたが、山側の土の地面だったことが不幸中の幸いでした。もしも反対側に落ちていたら地面はアスファルトでした。
「大丈夫、大丈夫だ」
 お父さんは何もなかったように立ち上がりました。本当は身体を強く打って痛いはずです。しかしお父さんは田植機を助けることだけを考えていました。

 

■目的に向かって

「大きめの石を持ってきて」
「パンタグラフ(ジャッキ)あるかな」
 お父さんは言いました。お父さんの声やお父さんの所作はとても落ち着いていました。
 大きめの石の上にジャッキを乗せ、傾いた田植機を立て直し、後輪の下にブリッジを入れました。もしこれをしないで無理に田植機を引っ張り下ろしたら、一番うしろのフロート部分が破損します。
 態勢が整い、お父さんはスタッフさんに電話をし、
「力持ちな人四人、山裾田んぼに来て」
 と応援を呼びました。
 落ちたときすぐに応援を呼んでも、この態勢になるまで手が空いてしまう。態勢が整ってから応援を呼ぶんだ、とお父さんは言いました。

 そして、あゆちゃんやまえちゃんたちが駆けつけてくれ、無事に田植機を降ろしました。
 田植機が落ちてしまったことを評価しても意味がない。怪我はなかったのだから、怪我がなくてよかった、という話もすることはない。必要なことは、落ちかけた田植機が壊れないように、この状態から機械に負荷をかけないで下ろすにはどうしたらいいかを考えること。要は田植えをすることが目的で、トラブルはあったけれど、問題なく田植えができたらいい。それ以上のことは考えない。お父さんは教えてくれました。
「人生ってこういうものだよ」
 お父さんは言いました。どんなことがあっても動じないお父さんの強さ、お父さんが乗り越えてきた日々の濃さ、大きさを肌で感じました。

 

■まえちゃんの姿

 田植機は問題なく動き、山裾田んぼ東の田植えを終え、山裾田んぼ西を終え、この日の田植えはここまでです。田植機を軽トラに載せるために、トラックの荷台にあゆちゃんが立ち、お父さんが運転する田植機のタイヤの軌道がブリッジに乗るように確認し、あゆちゃんが荷台から下りようとしたとき——。
 固定されているはずのあおりが下りて、そこに足をかけたあゆちゃんが地面に落ちました。
「ああ!」
 一瞬にしてあゆちゃんが消えてしまい、お父さんはまた田植機が落ちたのかと思い、私は肝を冷やしました。あゆちゃんは笑って起き上がり、
「もう数十センチ、田んぼの近くに軽トラを止めていたら、田んぼに落ちていたよ! 危なかった!」
 と言いました。本当に田んぼに落ちなくてよかったです。もう明日は誰も何も落ちませんように。

 翌朝、まえちゃんや出勤前のよしえちゃんたちと、苗に水をやり、石生田んぼ、石生西田んぼに苗を運びました。
 いつも気持ち良くスムーズに田植えができたのは、こうしてまえちゃんが中心となって、見えないところで入念に準備をしてくれていたからでした。私はこの間、ちょうど仕事がお休みで、まえちゃんがお父さんチームの田植えに入らせてくれました。作業に差はないけれどやっぱりお父さんの田植えという一番華やかな作業に携わらせてくれて、まえちゃんはもう次の作業、ナスの支柱立てに走っていっていて、田植えを任せてくれました。「利他心」というのはまえちゃんのことを言うのだと改めて強く思いました。

 

■同じ目線で

 石生田んぼにて。お父さんが田植えをしているすぐ後をあゆちゃんが追って、
「お父さん、もう少し深くていいよ」
 と苗を植える深さをお父さんに伝えました。
「どうかな」
 お父さんが聞くと、
「うん、いい感じ」
 とあゆちゃんは言いました。
 私はただお父さんが気持良く田植えができたらと思っていましたが、それは間違いでした。あゆちゃんはお父さんに苗の状態が良い悪いをはっきりと伝え、お父さんもあゆちゃんを信頼し、どちらが上でも下でもなく、よりよい田植え、より収量が増えるような作業を、お父さんとあゆちゃんは求めています。そのためにストレートにものを言う。出過ぎとか偉そうとかはない。社会人としての高いモラルがありました。

 

 

 ところがトレーを洗って田んぼに戻ると、今度はあゆちゃんは畦に座って田んぼのなかをじっと見ている。
「見て見て!」
 と瞳を輝かせるあゆちゃんの手元には、小さな生き物が。お父さんも田植機から見てくれました。
「見て! この田んぼにも豊年エビがたくさんいるね」
 あゆちゃんが教えてくれました。
「石生田んぼは、まえちゃんとまことちゃんが水を見てくれているからだね」
 あゆちゃんは言いました。
 豊年エビは、骨エビとも言われているんだよ、あゆちゃんは教えてくれて、あゆちゃんは斜面に咲く小さな野花を写真に撮ったり、背中にオレンジ色の小さな卵をたくさん載せている生き物を見て、かゆいかゆい、と言いながらずっと見ていました。お父さんも田植機から見てくれました。
 田植機に積んだ苗を端から植えられるように、爪の位置を調整する方法を、お父さんは見つけました。お父さんも毎年、毎日、レベルアップしています。
 無事、すべての田んぼの田植えが終わりました。より実りの多い収穫に繋がるよう、田んぼを見ていきます。

 

田植えが一段落し、今年の役目を果たした田植え機を綺麗に洗いました。