「ただ、一つひとつを」 あけみ

6月23日

  お父さんお母さん、今日はいくつか自分の中での小さな成功体験がいくつかありました。
 昨日の日記にも書いたように、攻めの気持ちと、自分が今なのはなで生きる意味、桃という手段で今皆と一緒に何を積み重ね、何を表現したいのかという本質を自分の中で持ちながら作業をしていると、不思議と身体や気持ちが軽く、面白かったです。 

 桃を収穫する、という一つの作業でも、正解不正解に怖がったり、誰かの評価を恐れながら、その小さなスケールでの評価される自分としての自分をやっているのと、私はまだ見ぬ誰かのための新しい道をみつける一つの過程、手段として、今なのはなで、お父さんお母さん、あんなちゃん、皆と桃を作っている途中のパーツの一部として動いていると感じて、収穫するのとでは、動きが変わりました。

 桃が採ってほしいのか、どうしたら桃に優しく採れるのか、一度自分で答えを出し、今日は、時間の問題もあったので、実際に採っていきました。
 その後に、ペアのつきちゃんやあんなちゃんに見てもらい、間違っていたら修正、あっていたらインプットの繰り返し。
 もちろん緊張はするけれど、間違うことを怖がる気持ちが薄れていることに気づきました。
 その発見が出来たのがとても嬉しかったです。
  私の人生は、誰かの評価のためでも、競争のためでもない。ただ自分で一つひとつ積み重ねていく、それだけです。彫刻家がそこにあるべき姿あるのを見ながら、木を掘っていくように、少しずつすこしずつでも、その姿を見つけたり、形にしていくだけです。
 いいことも、大変なことも、すべて味わいたいです。
  そういう気持ちでいたら、夜のダンス練習での表現もいつもより大きく気持ちを飛ばせているように感じました。
 ステージで踊っていると、人智を超えた存在を近くに感じます。
 皆もそうだけれど、与えられた役割はそれほどやさしくないけれど、やってやろうと思えました。

   夜の集合、お父さんお母さんの話も嬉しかったです。
 広い世界をみたい、知りたいという気持ちはあります。でも、それは目の前を深めることで見えるんですよね。
 まだまだ、未熟で、見えないことも多いけれど、やってみます。  
 明日も、良い収穫につながるように、それはまだ見ぬ仲間のために向かいます。 

 おやすみなさい。