「コンサートを通して得たもの」 るりこ

 ウィンターコンサートを終えて、みんなと向かった本番、そしてそこまでの過程が本当に宝物のように、身体の中から溢れるくらい満ちていて、幸せを感じています。
 なのはなファミリーの1人としてステージに立ち、表現をさせていただけたことが本当に本当に嬉しかったです。
 この場を借りて、本当にありがとうございました。

 言葉にして残して起きたことがたくさんありますが、1つひとつを思い出しながら、感想文を書いていきます。


◆ホール入り

 2022年12月12日。コンサートを1週間後を控えて、待ちに待ったホール入りをしました。つい最近まで、ホール入りまであと1ヶ月と言っていたような気がしていましたが、この日がついにやって来たことに緊張もあるけれど、やはり嬉しさが強かったです。

 1日目はバンドメンバーと照明メンバーの10数名だけがホールに行き、舞台背景の設置や照明のシュート作業を行いました。わたしもその中の一人として、主に舞台背景の組み立て班として、勝央文化ホールに行かせていただきました。
 今回、まえちゃんを中心とするバンドメンバーが手がけた舞台美術が、ピンクや緑、黄などのポップな色合いが多くて、カラフルでした。さらにシナプスをイメージして作った、セロファンでできた飾り物がとても可愛らしくて、1つひとつが組み上がっていくと、これまでで1番好きだなと思う、おもちゃの国のような舞台背景が完成しました。

 足場パイプの組み立ては過去最速の速さで組み上がりました。須原さんとさくらちゃんが事前に足下のベニヤを作ってくださっていたことや、須原さんの指示の元、一人ひとりが先を読んで次の動き、次に必要となるものの道具の準備などをしていたことで、流れが止まることがありませんでした。そのなかで動いていると、改めて、自分ではない、みんなの力によって動かしてもらっているのだということを身に染みて感じました。

 舞台を作らせてもらったり、かにちゃんたちが行っている照明の作業を舞台袖で見させていただいたり、非日常の空間にいて、こんな経験ができるのはコンサートを作る側の人間じゃないと体験できないことだと思いました。
 お父さんが、「ホール入りを1週間もする団体はプロでもいないよ。こうして毎年みんなでホール入りをするのは、それをするだけの意味がみんなにあると思っているからだ」と話してくださいました。

 こうしてみんなとホールのステージをなのはなの世界に染められることに、ちゃんと感謝の気持ちと、それをするだけの意味を自分もしっかり感じながら、大切な6日間を過ごしていきたいと強く、強く感じた初日でした。

 翌日からは全員揃って、ホール入りをし、ダンスやコーラスなどの場ミリを行いました。
今回は大人数ダンス曲が多く、さらに一曲の中でのフォーメーション移動が多く、場ミリに必要以上に時間がかかってしまいました。

 さらに翌日にはホール入り初となる通し稽古がありましたが、反省のときに、お父さんとお母さんから、「気持ちがのっていなかった」と強く叱っていただきました。
「みんなはプロの集団ではないけれど、この世の中で苦しんできた自分たちだからこそ伝えられるもの、表現できるものがあって、それをたった一人でもいいからお客さんに飛ばさないと、やる意味がないよ。プロの集団は本番が何回もあるかもしれないけれど、みんなの本番は1回しかない。その1回で、自分たちにしか作ることのできない凄み、強みを破れかぶれでもいいから見せていかないと、感動できるステージにはならないよ」と。

 今一人ひとりが真剣に取り組んで、自分たちがコンサートで表現したレベルが、これから生きていく人生のレベルになっていくと教えてもらい、わたしはまだまだ自分を捨て切れていないと思いました。このコンサートが自分自身の回復に繋がっていくこと、そのためにやっていることにお父さんとお母さん、あゆちゃんの言葉から思い出させてもらい、自分を守るのをやめて、破れかぶれでもいいから自分たちにしか出せない素人離れした凄みを、わたしも求めていこうと思いました。

 それからゲネプロ、本番まで毎日、衣装を着て通し稽古をさせてもらいました。何回も何回もやることで前日に失敗してしまったことを翌日には解消することができ、さらには通し後もお仕事組さんも揃って、練習を繰り返しました。

 1回ごとに確実にステップアップしていけているという感覚が少しずつ自信へと変わっていき、日に日に通し稽古で感じる楽しさや充実感も増していきました。
 ゲネプロは本番と同じ想定で、時間や緞帳もありで行いました。その日は卒業生ののんちゃん、しほちゃんを初め、東京からあきこさんとかりんちゃんが駆けつけてきてくださったり、一緒に演劇を作ってきたりゅうさん、そして『シバーズ』のダンス踊ってくださることになった英幸さんも揃って、初めてフルメンバーが揃った日でもありました。

 朝からたくさんの人に囲まれて、自分にはこんなにたくさんの仲間がいるんだなということに胸がいっぱいになりました。
 お父さんが、「ゲネプロがみんなの本番だよ。表現することを思い切り楽しんでやろう」と話してくださり、ここまでみんなと積み重ねてきたものを1つ残らず発揮できるように、自分の全力で向かいました。

 わたしはこのゲネプロが今までで1番良くできたと感じました。どれを取っても、悔いがありませんでした。その感覚は初めてでした。ゲネプロが自信となって、本番は例えどっちに転んでもいいと思えました。

 本番前夜は古吉野に帰ってからも、台所、家庭科室、なのはなの湯、どこにいても人で賑わっていて活気があって、笑い声が絶えませんでした。その中には卒業生の姿もたくさんあって、みんなで明日の本番をより良いものにしようと一丸となっている空気がありました。そのことが泣きそうになるくらいに幸せで嬉しくて、なのはなにいて良かったと心から思いました。

 こんなに温かくて優しくて、みんなが協力的な空気はなのはなにしかないと思いました。大好きな家族の中で明日の本番を迎えられること、その中の一人としてステージに立たせてもらえることがとてもとてもありがたくて、自分が返せることは本番ですべてを出し尽くすことだと思って、眠りにつきました。


◆本番当日

 緊張でなかなか寝付けず、朝方になって眠りについてしまい、少しぼーっとして起きて顔を洗っていました。すると、横から突然、「おはよう、あなた」という声がしました。はっと顔を上げると、そこにはゆいちゃんの笑顔がありました。
 ゆいちゃんとはこれまで、劇の中のワンシーンの『思い出ファイル』の夫婦役として、一緒に劇の世界を作ってきました。ゆいちゃんがその延長で妻役の声で冗談を飛ばしてきてくれたのですが、そのことに朝から笑顔になれたのと同時に、今日でこのシーンも終わりなのかと思うと、少し寂しい気持ちにもなりました。最後の1回は、これまでで1番より良いものにしたいなと思いました。

 今年も東京から駆けつけに来てくださったカメラマンの中嶌さんと岡さんをはじめ、大竹さん、正田さん、ホールの竹内さんなど、昼食のためのレッスンルームは大勢の方々が集まって、お父さんの掛け声で、みんなと「えいえい、おー」を言いました。
 改めて、自分たちがこうしてコンサートを作れるのは、後ろで支えてくださっているたくさんの方々の支えがあってからであって、自分たちの力だけではないのだと思いました。

 わたしはここにくるまで、もう逃げ出したいと後ろ向きになってしまうことがあったけれど、お父さん、お母さん、スタッフさん、そしてなのはなを応援してくださるたくさんの方々のおかげで、この日を迎えることができたのだということに、本当に感謝の気持ちをもって、自分の役割を精一杯果たしていきたいと、強い気持ちを持つことができました。

 開演まで、あと1時間。緞帳のうしろで最終確認をしたり、イメージトレーニングをしながら、出番のときを待ちました。緞帳の幕を通して、会場のお客さんが少しずつ増えていくのを感じて緊張が増していったけれど、(どうかみんなと最高のステージを作れますように)と祈る気持ちだけでした。

「本ベル入ります」
 下手の舞台袖でスタンバイをする竹内さんの声が聞こえ、ブザー音がホールに鳴り響き、いよいよ緞帳が上がりました。
 暗闇のステージの中、あゆちゃんが立つ青いドレス台にはりめぐらされたイルミネーションが光ります。


◆強い気持ちで

 1曲目、『スカイ・フォール』。これは大人数ダンスとして、1番初めに振り付けをしてもらった曲で、最も長く練習をしてきた曲でもありました。初めのポーズは10人の子がストップモーションでそれぞればらばらのポーズを取っているところから、突然動き出し、徐々にその人数が増えていき、最終的には舞台袖で待機をしていた全員が行進で表れます。
 『スカイ・フォール』の衣装は、衣装部のつきちゃんがあゆちゃんと考えてくれて、ラメの入った青いチュールをみんなで縫ったものを腰と首に巻き付けました。スカイチュールが白のシフォンスカートと青を基盤にしたスパンチューブとぴったり合って、洗練されているけれど、宇宙っぽい印象もあって、わたしはこの衣装がとても好きでした。

 動き出しはやっぱり緊張したけれど、ここまであゆちゃんに見てもらってみんなで揃えてきたこと、ここは決めポーズというポイントを意識して踊りました。
 サビに入るためのフォーメーション移動をしたとき、自分で自分の右足のダンスシューズを踏んでしまい、片方が脱げてしまいました。
 一瞬、頭が大パニックになりかけたけれど、すぐに、(落ち着け、一番は堂々としていること)と自分に言い聞かせて、座るポーズの瞬間に自分も座って、靴をはき直し、みんなが立ち上がるのと同時に自分も立ち上がり、その場を乗り切りました。そのときは、(どうして本番でこんなことに)と思ったけれど、ここで引きずったらいけないと思って、強い気持ち、前のめりな気持ちでいかないとと思って、ラストの振りは思い切り踊りました。

 そうしたら、最後の最後の回ってからの決めポーズは、今までで一番きれいに止まることができて、(決まった)と思えました。それはこれまで何度も踊ってきたけれど、感じたことのない感覚でした。

 曲終わりのはけは、最後の最後まで見せ場です。ホール入りが迫るというときに、古吉野の体育館で『スカイ・フォール』のダンス練習をあゆちゃんに見てもらったとき、最後のはけがもったいないと教えてもらいました。
 今のみんなは、「はい、終わりました」って逃げていくように見えているけれど、本当は始まりの曲のはけではなくて、「コンサートの始まり」にして、見に来てくださるお客さんが、「あぁ、やっぱり来て良かったな」と心を釘付けにするはけにしないといけないんだと話してくれました。そこからはけのポーズもみんなで統一し、最後まで気持ちを残してはけること、一度お客さんにぐっと視線と気持ちを飛ばしてからはけることを揃えました。

 本番、最後の決めポーズをとって、はけていくとき、会場のお客さんから大きな拍手が送られてきました。そのとき、(あぁ、伝わったんだ)と思いました。まだ始まったばかりだけれど、確かにお客さんがわたしたちの気持ちを返してくださっているということが感じられて、そのことがとてもとても嬉しかったです。


◆私たちのダンス

 はけたらすぐに、わたしはレッスンルームで走って、衣装の早着替えがあります。
 2曲目、『ビリーバー』。この曲は10月のお父さんのお誕生日会のときに、まえちゃんチームのみんなと踊らせてもらった曲で、ダンスも衣装もそのまま採用ということで、何も変わらないままにウィンターコンサートのステージでも踊らせてもらえることになりました。

 まえちゃんが考案してくれたダンスは格好良くてキレがあって、でもところどころに面白いポーズが含まれていて、誕生日会だけで終わってしまうのが惜しいなと思っていたので、こうしてもう一度踊らせてもらえたことがとても嬉しかったです。
 『ビリーバー』は、りゅうさん演じるギブソン大魔王の手下の気持ちで踊りました。実際に本番はりゅうさんがダンサーの後ろに立ってくださり、一緒にステージを黒の世界に染めます。ダンスの出もわざとらしくゆっくりと堂々と歩いて、何なんだこの人たちは、と思わせたところで曲が始まります。
 表情や気持ちは強気でちょっぴり偉そうに、でも2番ではお父さんの提案でいきなり変顔もして、人間のアンバランスさというものを表現して踊りました。

 『ビリーバー』は踊っていて、とても気持ちがよかったです。普段の自分とは違う気持ちを持つことができました。
 朝食前もコンサート練習になってからは、毎朝起きて1番にまえちゃんとふみちゃんとさくらちゃんとまちちゃんと『ビリーバー』を踊りました。一度踊っただけで、どんなに寒い朝の日でも汗ばむくらいに激しくて、寝起きの身体もスカッと目覚めて、朝一の『ビリーバー』のダンス練習の時間が楽しかったです。

 また、普段は一緒に踊ることないまえちゃんが一つひとつのポーズを見てくれましたが、まえちゃんのイメージする世界や求める気持ちの高さ、美しい表現というものをたくさん教えてもらって、自分もこんなふうに高いレベルを求めていかなければいけないのだなと教えてもらいました。

 『ビリーバー』を終えたら、またすぐに衣装を着替えて、次は『シバーズ』です。
 この曲は主要役者とギブソン、そしてスペシャルゲストで英幸さんとかりんちゃんも踊ってくれました。わたしたちコーラス隊はその後ろで背景となるように半円を描いて並び、ダンスに合わせて手拍子をしたり、のんちゃんが考えてくれたポーズで加勢しました。
 『シバーズ』を踊るときの気持ち、表情は、「わたしたちの仲間を見てください」という気持ちです。

 毎年1つは役者が踊るダンスがあって、毎年思うことだけれど、こうして自分たちで考えて作るオリジナルのダンスが好きだなと感じます。前で踊ってくれる役者一人ひとりのことを思って、この子のこんなところが好きだなということを思いながら、「わたしたちの仲間を見てください」という気持ちで歌っていると、本当に温かい気持ちになるし、それが会場全体にも広がって、お客さんに届いていくのがわかって、本当に幸せな一曲でした。


◆ずっと続いてほしい一瞬

 続く、『インビジブルマン』。アップテンポで激しいダンスを、ダンサーのあけみちゃんを中心に少人数のメンバーが踊りました。何度見ても格好いいし、わたしには到底できない動き、速さだと思うけれど、大変さを見せずに笑顔でなりきって踊っているあけみちゃんやのんちゃんがすごいなと思います。

 わたしはコーラスとして立ち、ダンサーを真似て、各自思い思いの決めポーズでコーラスの賑やかな感じを表現しました。『インビジブルマン』のコーラスが音程も振りもどちらも一番に難しかったなと思うけれど、日中や夜の時間にゆりかちゃんが見てくれて、みんなとできるようになるまで何度も何度も練習を重ねた時間を思い出しました。

「お仕事組さんがいない分、平日にいられるメンバーが完璧に覚えて、自分たちがお仕事組さんの分も引っ張っていこう」
 そうゆりかちゃんが言ってくれてから、人任せだったり、誰かのあとをついていく気持ちを捨てて、自分が一番に完璧にする勢いで取り組もうと本気で向かいました。

 日に日に振りや音程が揃っていき、本番当日は何の不安もなく、ただ歌ったりポーズをすることを楽しみながら、お客さんに伝わってほしいという思いだけで立つことができました。アルト一体が団結力に溢れていて、わたしは先頭にいましたが、後ろからみんなの大きな声や熱い気持ちを感じて、その気持ちに背中を教えもらいながらみんなと歌っている時間が本当に幸せで、ずっとこの瞬間が続けばいいのになと思いました。

 この曲の前後では、主要役者のメンバーは演劇でステージを回してくれていました。わたしは早着替えで、前半は特に舞台の様子を見ることができない部分が多かったけれど、ところどころでたかおさんの面白い台詞に会場から笑い声が聞こえてくることがあって、そういうとき、自分まで誇らしくて嬉しい気持ちになりました。

◆私が一番好きな曲

 5曲目『エンジェルス』。わたしは今回のウィンターコンサートの曲目の中で、この曲が1番好きでした。
 お父さんのお誕生日会で、さやねちゃんが考えた振り付けで踊っているのを見たときから、曲調もダンスも一度で虜になって、すごく満たされた気持ちになる曲だなと思っていました。さらにこの曲はまなかちゃんが歌ってくれることになり、まなかちゃんの歌声に重ね合わせてコーラスを歌っているのも、あの時の時間が今でもずっと心に残っているくらいに幸せを感じた瞬間でした。

 12月に卒業生ののんちゃんが帰ってきてくれて、『オーバーパス・グラフィティ』と『エンジェルス』の振り付けをしてくれました。それまでわたしは『エンジェルス』のダンスメンバーではなかったので、自分はコーラスと思い込んでいたら、まさかでしたがダンスを踊らせてもらえることになりました。

 ダンスはさやねちゃんが考えてくれた振りがもとになっていて、天使のように羽を広げてクルクル回る動きが、本当に曲調にぴったりで、どの振りをとっても好きなポーズが多いです。

 わたしたちはボーカルのまなかちゃんの周りを囲む天使になりました。
 ピンクのドレスを着たまなかちゃんは本当にきれいで、そんな大好きなまなかちゃんの周りを飛ぶように踊らせてもらえた時間が、とてもとても幸せでした。さらに間奏の部分では、卒業生ののんちゃんも一緒に踊ってくれて、白のタキシードを着たのんちゃんが横目で見えました。

 この曲を踊ったり歌うとき、あゆちゃんが、「今が幸せです」という表情をするんだと教えてくれましたが、まなかちゃんやみんなの歌声に包み込んでもらっている安心感で心が満たされて、本当に幸せだと思える、大好きな一曲でした。

 

◆仲間がいるから

 前半はダンスが続きます。6曲目は『オーバーパス・グラフィティ』です。こちらも12月に入ってから振り入れをした、まだ出来たてのダンス曲を、大人数で踊らせてもらいました。この曲は劇の中で身体の中に入って免疫細胞が登場してくる場面で入ってきて、踊るわたしたちも一人ひとりが細胞になったつもりで、身体の中のたくさんの細胞がくるくるまわったり、一生懸命仕事をしているようなイメージを振り付けで表現しました。

 この曲はなんといっても苦戦したのが、速さでした。卒業生ののんちゃんが考えてくれた振り付けはものすごくチャーミングで、OKサインをしたりジャンプをしたりとポーズ1つひとつは可愛いけれど、アップテンポの曲になったとたん、その速さについていけなくなってしまうのがとても悔しかったです。

 さらに曲始まりに隊列移動がありますが、そこで体重がのっていないとお父さんに教えてもらい、体重をのせて曲の速さで踊るというのも、個人的には弱点部分でものすごく苦戦しました。
 ホール入り直前のダンス練習はみんなでとにかく『オーバーパス・グラフィティ』に費やして、体重移動や回転をひたすら練習しました。自分の苦手な部分でも、みんなの中だと言い訳して逃げたくないなという気持ちにさせてもらって、本当に仲間がいるから自分がここに立っていられるという気持ちでした。

 本番はとんがり帽子とデコチューの衣装をまとって、みんなと色とりどりの細胞になって踊りました。もっともっときれいに踊りたかったという気持ちはあったけれど、今の自分の実力で気持ちだけは最大限に飛ばして表現できたから、悔いはありませんでした。

 今回は大人数で踊るダンスが7曲もありました。例年に比べると2倍近くあり、覚えたり振りを揃えたり、衣装をきれいに着るのも大変な部分もあったけれど、それ以上にみんなでステージを作っているという感覚をたくさん味合わせてもらえたことがとても嬉しかったです。
 個人的にもこんなにダンス曲を踊らせてもらえたことはこれまでになく、その分だけ責任を感じました。でもそれ以上に、自分もステージを作っている一人なんだという喜びやなのはなの一員であることの誇りを感じながら、ずっとステージに気持ちを向け続けることができて、一番、やり甲斐のあったコンサートだったと思います。

◆クラゲ

 アンサンブル曲を挟み、続く大人数ダンスの『シード』は、センターで、かりんちゃんが踊ってくれて、周りを取り囲むみんなは植物となって踊りました。

 この曲の和訳をあゆちゃんが貼り出してくれて、初めて目を通したとき、軽い衝撃を受けました。日頃、お父さんがこのままでは人類が滅亡していくと話してくださることと通じていたのと、今回の脚本のストーリーとも重なって、「あなたがわたし、わたしがあなた」と生きている植物そのものに、この曲を通して、自分の気持ちにも落としていかなければいけないのだと思わせてもらいました。

 わたしはこの曲のダンスの中で曲間に登場する、『クラゲ』になりました。一度は倒されても、またすぐに起き上がってくるぞと命を燃やし続けるダンサーに、おまじないをかけるようにフワフワと漂う3匹のクラゲ。

 スプリングコンサート前のお母さんのお誕生日会のときに、ちさちゃんが赤いデコチューと赤いシフォンスカートの中にゴミ袋で膨らみを作って、赤血球になった衣装がこのシーンで採用されることになり、わたしたちクラゲチームは衣装づくりから始まりました。

 初めは試行錯誤の上、フラフープにゴミ袋を4つ繋げたものを取り付けて、首からぶらさげられる形にしたのですが、それだと袋同士のくぼみが目立ち、まん丸というよりもカボチャの形みたいになってしまっていると、あゆちゃんから教えてもらいました。

 困っているわたしたちを見て、あゆちゃんが、「一緒に作ろうか」とある日の通し稽古のあと、夕方の時間をつかって一緒に制作をしてくださいました。自分たちが着るのだから、自分たちの力で作って、という空気があゆちゃんには全くなくて、ただ純粋に作ることを楽しんで、良いものにしようと向かってくれるあゆちゃんの優しさに、利他心ってこういうことをいうのだなと思いました。あゆちゃんが一緒に作ってくれたクラゲは膨らみが均一で、窪みもなくて、美しい形状になりました。

 それを真似て、残りの2体もさやちゃんと一緒に作りました。でも2人だけだと、あゆちゃんが作ったようなきれいな形状になかなかできなくて、苦戦の日々が続きました。
 ある日は夜の時間をほとんど制作に費やしたのに、もう少しというところまではいくけれど、何か違う……という感じで、もうとうとう疲れ切って、「これで最後にして、できなかったら今日は諦めよう」と言った、最後の最後の1回で、ようやくかなり近い形に作り上げることができました。そのときは本当に本当に嬉しくて、もしこれでNOと言われても、精一杯でやったから悔いはない、と思いました。
 さやちゃんと毎日のようにクラゲの衣装には悩まされたけれど、日に日に上手に作れるようになっていけた時間や、2人でああでもないこうでもないと言い合った時間も、今は良い思い出です。

 ホール入りするまで袋の空気が抜けるとか、いろいろと問題が起こって、その度に手を打って乗り越えてきました。でもホール入りをしてからは、なぜか空気が抜けるスピードが緩やかになって、最後はクラゲもわたしたちの味方をしてくれたのかなと、さやちゃんとよしみちゃんと話した時間も嬉しかったです。

 ダンス(というよりも動き)は、歩いて、回るというだけでシンプルだったけれど、回るときに中の袋が見えてしまうことや、スカートの長さが前後で異なってしまうことなど、ゲネプロ前まで何度もお父さんに注意されてきました。

 最後の最後には、「曲に合わせようとしなくていいから、とにかくゆっくり回って」と言われて、ゲネプロと本番はとにかくゆっくりカウントをかけて回りました。前から見たら、どう見えていたのかなと思います。
 クラゲは本当に本当に苦戦してばかりいたけれど、よしみちゃん、さやちゃんと作り上げた過程が良い思い出として残りました。

◆難関の山場

 続くは、わたしの難関の山場でもあった、勝央金時太鼓の『わかば』です。
 今年の9月から太鼓メンバーに入らせてもらえることになり、勝央町文化祭の出演からこのコンサートまで、11人の仲間の中で初舞台に立たせていただきました。
 体育館で通し稽古をしていたとき、お父さんから、宮太鼓で刻みを回していく場面でわたしの腕が上がっていなくて、波が波になっていないと教えてもらい、お父さんが打ち方を見てくださる時間をとってくださったりもしました。

 メンバーの足を引っ張らないように、個人練習もしたけれど、なかなか技術が上がらなかったなと思います。ゲネプロ前の通しのときも、途中で迷子になってしまって、全然叩けなくて、お父さんに力が弱すぎて、見せられないよと言われてしまいました。

 ものすごく情けない気持ちや悔しい気持ちだったけれど、本番はまずは絶対に迷子にならないことを一番に意識したのと、自分のできていない気持ちを捨てて、これこそ破れかぶれな気持ちでやるしかない、と思って挑みました。
 まだまだ太鼓は弱点だなと思いますが、もっと上達していきたいです。

◆分身

 前半のラストは、『プロフェッツソング』です。この曲は昔のサマーコンサートで一度演奏をしたことがあるダンスで、初めてユーチューブで動画を見たときにものすごい衝撃を受けました。フラダンスと千手観音のコラボレーションのダンス。
 当時のまりのちゃん先頭の千手観音が本当に見事に揃っていて、揃いすぎて気味が悪いと思うくらいで、その異様な非日常の世界に吸い込まれました。これを自分たちが再現するんだと思うと、正直、このレベルにまで届くかなというのが、最初の感想でした。

 振り入れが入り、わたしは思いがけず、千手観音の方に名前が呼ばれました。身長が似た7人が集まって、早速、のんちゃんが解読をしたという振り付けを教えてくれました。
 それが、のんちゃんも大変だったといっていたように三拍子と四拍子が曲の中で混ざり合っていて、カウントをとるのがすごく難しかったです。そのなかで前後の人とカノンになったり、裏拍でポーズを回したりというのが、初めはなかなか身体に染みこまなかったです。

 でも今回、コンサートに向かう過程の中で、脚本の台詞にもあったように、「あなたがわたしで、わたしがあなた」という言葉を教えてもらいました。
 それはダンスも同じで、自分だけ上達しようと自分だけ自分だけと練習して、いくら上手に踊れるようになったとしても、それは美しくなくて、全体が揃うこと、良い意味でみんなの中に埋もれて一部になることで、なのはなのステージでしか表現できない本当の美しさに繋がるのだと教えてもらいました。

 この気持ちは特に『プロフェッツソング』の千手観音をしていて痛感して、ただただ自分を消して、わたしはちさとちゃんの分身、前のつきちゃんの分身なんだと思ってやるようになったら、自然とここだというタイミングが取れるようになっていけました。

 本番、ちさとちゃんを先頭に7人の千手観音がステージに立ちました。真っ正面からスポットが当てられて、その光りの眩しさに目線の先が見えないほど、神々しく輝いているのを自分たちも感じました。その姿にお客さんが息を飲んで、じっと見入っているのも伝わってきて、お客さんの気持ちを掴めたという手応えがありました。
 この瞬間をイメージして、ちさとちゃん、のんちゃん、りんねちゃん、ななほちゃん、つきちゃん、さやちゃんと練習を繰り返してこられた時間が宝物のように、一生忘れないだろうなと思い、とても嬉しかったです。

◆愛情の思い出ファイル

 少し長くなりそうなので、後半は特に書き留めたいことを中心に書いていきたいと思います。
 後半からは前半の忙しさが少し落ち着いて、ダンス曲3曲、コーラス、全体演奏が1曲ずつと他の子の着替えのヘルプがいくつかあって、それ以外のときは舞台袖で演劇を回してくれている役者のみんなに心を沿わせて見ていました。
 後半の劇は、大脳辺縁系や視床下部、五臓六腑のシーンなどで、自分たちの病気のことを深く理解することができて、ゆりかちゃんやかにちゃんが演じる役者の言葉に涙が出そうになることもありました。

 後半の中で1番気合いが入っていたのは、演劇です。わたしは博士、てつお、たかお、ナナポンが視床下部に行ったシーンの一部で登場する、『愛情の思い出ファイル』のシーンの内の1つの家族の父親を演じさせてもらいました。
 今当たり前に思われている家族の形。日常の風景。でもその中で傷ついたとしたら。
 それを『思い出ファイル』という形で、お父さんがわかりやすくストーリーにしてくださって、役を演じたり考えたりするなかで、自分もこうやって、日常の何気ない会話や家族の空気感だけでも十分に傷を負っていたのだなと、改めて理解し直すことができました。

 演劇を通して、自分じゃない何者かを演じるのは楽しくて、大声を出すのもだんだんと気持ちがよいと思えるようになっていきました。
 本番はたったの1回で、最後は絶対に思い切りやりたいなと思って、演じられました。

◆光に溶け込むように

 脚本の世界は進んでいき、小腸さんに会って、答えをもらおうとした瞬間、ギブソンととうこさんが現れます。このシーンはみんなで脚本の読み合わせをしたときに、ものすごく衝撃的な結末で、この展開のままエンディングになってしまうのだろうかを疑問に思っていたときに、大逆転の台詞にびっくりしました。役を演じて読んでいたやよいちゃんも驚いていたのが印象的でした。

 今回、とうこさん演じるやよいちゃんがギブソンに近づいて、損得勘定に染められそうになっているシーンが、いつも自分事として感じていました。とうこさんの台詞に共感してしまうように、わたしも自分は本当は利他心なんて持てないんじゃないか、自分は回復できない人間なんじゃないかと思うことがありました。
 でもとうこさんがLUCAと出会って、「あなたの使命」をもらい、自分の生き方に気がついて、「もう、迷わない!」という台詞を聞いて、特に本番はやよいちゃんが心の底からそう叫んでいる姿をみて、涙が出そうになって、自分もそうありたいと強く勇気をもらった気がしました。

 ラストシーンはとうこさんがギブソンをこの世から追放して、小腸さんから答えをもらいます。とうこさんが剣を掲げると同時に、舞台背景に取り付けてあったLEDライトが点滅し、さらにミラーボールが回って、ステージいっぱいに光りが舞う光景が言葉にできないくらい、本当に本当にきれいでした。

「いよいよわたしたちが愛の世界を伝える番だ!」
 わたしたちの代表として、おさらば3人組と博士、ナナポンの強い声がステージいっぱいに響き渡って、わたしも同じ台詞を心の中で唱えて、ラストの大人数ダンス曲『リカバリー』に出ました。
「この曲は、みんなが流れ星になって踊るんだよ」と、あゆちゃんが言ってくれました。 イルミネーションの光りに溶け込むように、みんなの衣装もキラキラしていて、本当にきれいなんだ、と。

◆自分たちの手で作るんだ

 わたしは大人数ダンス曲の中で『リカバリー』が最も好きで、踊っていて気持ちが入りやすい曲でした。初めてのんちゃんに振り入れをしてもらったときのこともよく覚えていて、みんなで星座やアミノ酸をポーズで作るんだよと教えてもらったときから、どんな素敵なダンスになるのだろうと胸がいっぱいになったことを覚えています。
 あゆちゃんが和訳をしてくれた歌詞もずっと心の中にあって、「自分の手で自分の回復ストーリーをつくるんだ」という部分が特に響きました。

 本番はみんなと踊っていて、みんなで広い宇宙を表現しながら、自分たちが使命をもって生きていくんだという強い気持ちをお客さんに見せているような気持ちでした。本番は今までで1番よく踊れた気がします。
 最後のポーズをとった瞬間、会場から大きな拍手が送られてきて、(あぁ、お客さんにわたしたちの思いが届いたんだ。これは応援の拍手だ)と思って、すごくすごく嬉しかったです。

 本番の3時間半は、本当に本当にあっという間でした。一つひとつのシーンが終わっていくたび、もうこの時間は永遠につくれないのだと思うと、この幸せな時間が止まればいいのにと思いました。
 お父さんお母さんが、「大成功だったよ。何も言うことがない」と笑ってくださって、個人個人のミスはどうでもよくて、全体として大成功だったと話してくださいました。

◆この星空の美しさを

 終演後はみんなでステージやロビーの片付けに回りました。最後の最後までみんなの気持ちが一つになっていて、どれも勢いがあって、その中でみんなが笑っていました。
 20時ごろに古吉野に全員が到着して、(無事帰ってこれたのだ)と思いました。1日が早かったような気もするし、長くて濃い1日だった気もしました。

 搬出を手伝ってくださった永禮さんを、あゆちゃん、まえちゃん、りゅうさん、さくらちゃんとお見送りを夜空を見上げたら、満天の星空が広がっていました。それをみんなと「きれいだね」と眺めながら、「リカバリーだ」と話しました。
 その時間が言葉にできないくらいに、(自分は今、幸せだな)と心の底から感じて、少し泣きそうになりました。きっとウィンターコンサート後にみんなで見た、この星空の美しさを、わたしは一生忘れないだろうなと思いました。

 夕食の席まで人数がたくさんいて、一人ひとりのコメントも喜びで満ちあふれていました。それを聞きながら、誰かの言葉にみんなで笑ったり、共感したり、少し涙が出そうになったり、そういう嬉しさをみんなで共有していられる空間がすごく嬉しかったです。

 あとから、この時の空気をお父さんが、「家族以上の仲間」という言葉で表現してくださいました。それを聞いて、わたしが言葉にできなかった気持ちにぴったり重なりました。本当にその通りだったと思います。どんなに血の繋がった家族でもつくることのできない、強い強い絆が、ウィンターコンサートを通して、わたしたちの中に確かにできたのだと思いました。

 そしてこの太い絆がこの先も一生切れずに続いていくのだと思うと、わたしはなのはなに出会えて、お父さんお母さん、大好きなたくさんの仲間に出会えて、本当によかったと心の底から思いました。
 

 

◆演劇

 今回の脚本は登場人物がたくさんいて、主要役者から細胞、臓器、脳などにも命があって、今いるメンバーのほぼ全員が何かしらの役をいただきました。
 わたしはそのなかで、『思い出ファイル』のシーンに登場する家族のうちの、「父親1」という役をいただきました。

 設定は母親役がゆいちゃんで、子供役がりなちゃん。わたしたちが4〜6歳のときに心の傷を負う元となった、日常的の両親の険悪な空気や、子供の前で親の役割を果たさない両親の姿を演じました。
 初めて台本をもらって、自分が口にするセリフに目を通したとき、「何するんだよ、俺が新聞よんでるところを邪魔するな!」という言葉に、(あぁ、これは怒った人を演じるんだ)と思いました。わたしは怒りを面に出すことが下手で、こんなふうに怒鳴ったことがなくて、できるかなと思ったけれど、普段の自分にはできないことを役を通して演じることで表現できるのだと思うと、やってみたい、これを機会に自分を壊してみたいと思いました。

 早速、ゆいちゃんとりなちゃんと集まって、まずは一人ひとりのキャラクター設定と、劇のワンシーンをよりリアルにイメージするために時間設定や家の間取り図などを話し合いました。わたしが演じる父親役は、埼玉県に住んでいて、仕事は横浜まで電車で通勤しているサラリーマン、42歳。前日に部長から怒られていて、さらに残業と満員電車で疲労がピーク。普段から怒りっぽいが、この朝はさらに不機嫌な気持ちを妻に向かってぶつけた、という人物像を描きました。

 衣装考案はすぐに決まりました。これでわたしはワイシャツとライアーパンツという出で立ちでウィンターコンサートで役を演じるのが三度目でした。年々、役が少年からおじさんへと変わってきています。

 一番初めはお父さんが演劇指導をしてくださり、マイナスな発言は上手に向かっていうことや、怒りで新聞を投げつけるまでに溜めをつくることなどを教えてくださいました。
 初めはゆいちゃんに向かって、「何するんだよ!」と怒鳴るのが何となく申し訳ない気持ち、心苦しさがあって、自分で喋っていても心が乗っていない感覚というものがありました。
 でも日に日に、大きな声を出すのが、気持ちよくなっていきました。新聞を叩き付ける仕草も、正直、快感だなと思いました。 

 劇を練習の過程で、ゆいちゃん、りなちゃんとの輪も深まっていくのを感じました。夜のバディ練習でお互いに劇を見合って、もっと良くしていくための意見を出し合って、改善していきました。
 時々、日常の何でもないときに、ゆいちゃんが妻役の声で話しかけてきてくれることもあり、コンサートならではの空気感も嬉しかったです。

◆演じることで

 父親の役を演じさせてもらって、とても良かったと思っています。
 役の人物像を描いたり、家庭の空気感をイメージするときに、自分自身の思い出ファイルはどんなものだっただろうと改めて考え直すことができて、自分が心の傷を負った原因をはっきりと再認識することができました。

 そして、役を演じることで日常の自分とはかけ離れた気持ちを持つことができました。自分の中で押さえ込んでいた感情を一時的にでも出すことができるようで、大きな声を出すとスカッとしたし、自分に関してはもっとこんなふうに感情をストレートに表現してもいいはずなんだと思うことができました。
 もう良い子である必要はなくて、もっともっと自分を表に出せるようになっていきたいと思えるようになりました。

 今回の劇はたくさんの役者が登場しました。主要役者だけじゃなく、すべての役に対して、お父さんがもっと一人ひとりのキャラクターが立つようにと、ホール入りをしてからも細かく演劇指導をしてくださいました。
 通し稽古のとき、舞台袖で見るみんなが役を演じる姿が、日に日に活き活きしていくのが目に見えてわかったし、一人ひとりみんなが与えられた自分の役を気に入って、大切にしていることが伝わってきました。
 それはコンサートが終わった日常生活の中でも感じられて、ところどころで役者の台詞をいじった会話が登場して、そのことで笑い合う度、わたしもみんなもお父さんが作ってくださった、この役、この脚本が大好きなんだなという気持ちでいっぱいになります。

◆部活動・チラシ配り

 話が前後しますが、ウィンターコンサートの練習が始まってからすぐに、あゆちゃんが各係の分担を発表してくれました。今年は「係」ではなく、「部活動」として動いていくことを話してくれて、毎週金曜日と日曜日に割り振られた教室を部室として活動していくことになりました。
 わたしは今回、ちさとちゃんをリーダーに「企画・広報」の部として、まことちゃん、まよちゃん、まみちゃん、さやちゃん、ももかちゃんと活動させてもらいました。
 これまでいくつもの係に携わらせれいただきましたが、企画・広報は初めてだったので、ちさとちゃんから事前にいろいろと教えてもらったり、部活動の時間はみんなでラッピングをしたりする時間も楽しい時間でした。

 そのなかで10月に三度、ちさとちゃんと美作や奈義、津山方面へチラシ配りに行かせていただく機会がありました。まえちゃんがデザインしてくれた、今年のポスターは色が山吹色で温かみがあって、遠目からでも目を引く、奇抜なデザインでした。

 チラシ配りはこれまで歴代の係の子たちがマニュアル化してくれてあり、回る順番、ルートなどが確立されてあり、とてもスムーズに回ることができました。コロナの影響でウィンターコンサートをやるのは3年ぶりだったこともあり、反応はどうかなと心配していましたが、どのエリアでも行く先々で快くチラシを受け取ってくださる方ばかりでした。

 なかには、「なのはなさん、とても有名ですよね」とか、「絶対に行きますね。頑張ってください」と声をかけてくださる方がいて、みんなの代表として行かせていただきましたが、なのはなの一員であることにとても誇りを感じました。
 こうして少しでも、なのはなのステージを作ったり、なのはなのことを広げる担い手として役割をいただけたことが貴重な体験で嬉しかったです。

 

◆コンサートをやる意味

 2022年ウィンターコンサートのステージに立たせて表現をさせてもらったこと、そしてここまでみんなと作り上げてこられたことが、わたしは本当に本当に嬉しかったです。
 今だから正直に書くと、わたしは9月の時点でコンサートがくることが怖かったです。逃げ出したかったです。やりたくないと思っていました。それは自分の甘さ、弱さ、不出来に向き合うことが怖かったからです。

 でもその中で、本当は逃げたくないという気持ちもありました。コンサートを無駄にしたくない、何も感じない、得るものがない、やった意味のないコンサートにはしたくないと強く思っていました。
 でも壁にぶつかる度、(やっぱりもうやりたくない)(自分は雑味になるだけだから、ステージに立つ資格がない)と自己否定をしている自分もいて、ホール入り直前は特に、もう本番が1週間後に迫っているという焦りの中で、ダンスも太鼓の演劇も、何一つ自信がなくて、どうしていいかわからなくなってしまいました。

 そんなときに、通しの反省のあとにお父さんが、わたしたちがコンサートをやる意味を話してくださいました。
 わたしたちがウィンターコンサートというステージを借りて、人前で自分をさらけ出すこと、自分の気持ちを踊りや演奏で表現するということは、摂食障害になって、人前に出ることを避けたい気持ちや引きこもりたい気持ち、それが行き過ぎたらこの場から消えていなくなってしまいたい気持ちと、まさに正反対のことでした。

 わたしも目に見えるような症状は治まっているけれど、すぐに自分に籠もってしまうところや、引きこもりに近い、感情を表に出さないところ、また、嫌なことがあるとその場から消えたいと思ってしまう虚無的な部分は未だに残っています。

 でもこうして、ウィンターコンサートに向けてステージ上でダンスを踊ったり、何かしら表現をしていると、自分に籠もっていられなくて、例えそのときがどんな状態だったとしても自分から離れて、気持ちを外向きにしていないと何も見せることも伝えることもできません。

 これまで壁にぶち当たるたび、(どうしてコンサートをするの?)(どうしてやらなければならないの?)と反抗的な気持ちになってしまっていたけれど、お父さんの話を聞いて、こうして自分を非日常の世界に置くことで、初めは無理矢理だったとしても徐々に外向きな気持ち、見せる気持ち、何者かを演じる気持ちが作られていくのだということが改めてわかった気がしました。

 お父さんお母さんが教えてくださる、なのはなで大切にしている回復の三本柱の1つがこのコンサート。コンサートはただ人を喜ばせるためにやっているのではなくて、1番は自分自身が摂食障害という依存症から立ち直るときの回復の手段であるということがはっきり自分に落ちてきたとき、胸が締め付けられる思いがしました。
 今の自分に1番、必要なことじゃないかと思いました。怖いとか逃げたいとか言っていられない。誰よりも自分が1番真剣になって、本気になって、コンサートをやらなければ、わたしには一生、回復はないと思いました。

 そう思えたときに、今の自分の心持ち、状態のままで、コンサート当日を迎えたくないという気持ちになりました。

◆もう守るものはない

 古吉野でできる最後1回の通しも、翌週から始まるホール入りも、もっと意味のある時間、自分にとってプラスになる経験にしていきたいと思い、直前ではありましたが、そのことについてお父さんに質問させていただけて、答えを教えてもらいました。

 お父さんは、もうわたしには守るものはない、とはっきり言ってくださいました。もっと自分をさらけ出して、やけくそな気持ちを持つくらいの強い気持ちで、間違えようと失敗しようとも、ステージに立って表現していることをもっと楽しんだらいいじゃないかとおっしゃってくださいました。

 「もう守るものはないよ」という言葉を聞いて、わたしは、(あぁ、そうか)と思いました。幼少期のわたしの『思い出ファイル』は、母親やスポーツ少年団のコーチに叱られること、ミスを指摘されることがものすごく怖かったという記憶です。
 そんな自分を攻撃してくる人、否定してくる人から自分を守るために、わたしはとても臆病になり、人前で目立つことはしたくないという気持ちや、自分の気持ちを表現したり、自分を表に向かって出すということが苦手な人間になってしまいました。

 今回もコンサートに向かうまでの過程で、ダンス練習をしていたり、ステージ上で演じたりするなかで、わたしはずっと、(自分のことを見ないでほしい)(恥ずかしくてやりたくない)という気持ちがありました。それは心で思っていても、身体や動きで表れてしまって、「気持ちが足りていない」とお父さんなどから指摘されることが多かったです。

 その度に心の傷と重なって、やっぱり自分はダメな人間なんだ、と低い評価を下されることにものすごく恐怖を感じていたけれど、それは誰か特定の人が怖いのではなくて、心の傷が自分を守ろうとするために起きてしまう負の連鎖なのだと気がつきました。

 でもわたしはこれまで、何度も回復ミーティングを受けて、心の傷をお父さんお母さん、みんなに理解してもらって、もう手放しても大丈夫だと思えるようになりました。だからここでも、もう自分を守ろうとしなくてよくて、もっと心も身体も解放して、伸び伸びと生きていっていいんだと、お父さんの言葉を聞いて思い直すことができました。

 そのためにもこのコンサートがあって、自分の規定概念を打ち破って、幅を広げていく手段なのだと思うと、そこにわたしがコンサートをする意味があるのだと思いました。

 そうわかった翌日の古吉野でやる最後の通し稽古は、これまでになく、失敗やミス、評価される気持ちをなくして、ただ純粋にステージ上で何者かを演じ、表現することの楽しさを感じることができました。
 よくお父さんが教えてくださる、「敵から逃げる」のではなくて、自分から立ち向かっていけば、怖さを克服することはできるのだと知った瞬間でした。

 それからは自分の心持ち、ウィンターコンサートに向かう気持ちが定まりました。ずっと逃げ出したかった気持ち、どうしてやらなければいけないのという疑問が解消されて、とにかく今からでも本気で向かおう、自分の回復の手段として、必ず良いものにしたいと思って、毎日に取り組みました。
 決して技術が上がったわけではないです。でも気持ちが定まって、不出来でも途中経過でもいいから、これが今のわたしなんだと認めて、その今の自分の最大で表現しようと思ったら、通し稽古も日に日に楽しさを感じられるようになっていったと思います。

 古吉野最後の通しからホール入りまでの1週間を本気で迎えたこと。もっと早くから本気になれていたら……とは思いません。たった1週間だったかもしれないけれど、それがわたしの実力だったのだと思うし、1週間を本気で取り組めたから、悔いはないです。このことは、この先もずっとずっと忘れない1週間になったと思います。
 コンサートを早く過ぎ去ってほしいものから、立ち向かっていくものに変えられたこと。気持ちを定めて、ウィンターコンサートをやる意味を落とし込めたこと。
 そして結果的に、ウィンターコンサートを自分のものにできたことが、とてもとても嬉しかったです。

◆わたしの使命

 最後になりますが、わたしは今回のお父さんが書いてくださった脚本が大好きです。初めて読み合わせをしたときに一度に劇の世界に入り込んで、先が知りたくてうずうずした気持ちと、読み合わせの最後にお母さんが、「これはお父さんがみんなのために書いてくれた、回復の教本だよ(少し言葉が違うかも知れません)」と言ってくださったことを忘れないです。

 どうして自分たちが依存症になってしまったのか、そしてどうしたら依存症から回復できるのか。そのメカニズムを、お父さんが人体と宇宙というテーマに沿って、わたしたちにわかりやすく示してくださいました。

 わたしは4歳から6歳の3年間の『愛情の思い出ファイル』がどんなものだっただろうと思ったとき、わたしは家族一人ひとりがお互いを大切にしていると思えていなかったと思いました。利他心をインプットできる体験は一度もなかったです。わたしが親離れできなくなってしまったのも、摂食障害を発症したのも、すべてがこのことに繋がっていて、自分の病気についての知識が脚本を通して、より深く理解することができました。

 わたしはずっとずっと、どうしたら幸せになれるのだろうと思って生きてきました。大学に合格したら幸せになれるのか、良い会社に入ったら幸せになれるだろうか。わたしが親から教えてもらって、思い描く幸せはいつも遠い未来にあって、そこに辿り着くために今は我慢、苦しさを抑えながら生きていって、ようやく手に入るものだと思ってきました。

 もう少し、もう少し頑張ればといつも我慢してきたけれど、いつになっても幸せはやってこなくて、わたしは限界に達しました。もう頑張る気力もなければ、自分が幸せを感じて生きられる日は一生やってこないだろうと諦めかけていました。

 わたしの思い出ファイルは空っぽで、今から作り直すこともできない自分。そんなわたしでも今から幸せを感じて生きていける道。それを今回の脚本を通して、お父さんが小腸さんのセリフから教えてくださいました。
 それは何かを我慢したり、苦しむくらいにまで努力しなければ手に入らないものではなく、すぐ目の前にあって、今からできる、とてもシンプルなことでした。

 利他心を持って生きるには、
「愛しい人、大切な人と美味しいものを美味しいねと言い合いながら食べること、食事の時間を大切にして、必ず美味しいものを食べること。そして小腸を休ませるために、よく眠ること。幸せを先送りにしないで、今幸せであること」
 そうやって生きていったら、損得勘定が出てくることも、症状が再発することもない。
 そして幸せを日々感じながら生きていくなかで、わたしの使命を果たそうと使命を意識して生きるだけで、より豊かな人生になっていくよと、教えてくださいました。

「症状から解放されたからといって、楽しさだけを求めて生きていったら、すぐに躓くよ。使命感を持って生きる人と、持たないで生きる人は、人生が大きく変わってきてしまうと思うよ。使命感を感じながら生きているときが本物の楽しさで、いつまでも人生に飽きがこないんだよ」と、コンサートを終えた翌日にお父さんがそう話してくださいました。

 わたしの使命は、わたしが症状から解放されて楽になって、一人だけ幸せを感じながら生きていけるようになることではないです。その先に待つ、まだ見ぬ誰かにわたしが感じた幸せを広げていけることが、わたしが本当に回復して生きていく意味で、そこをはき違えたら、すぐ足下には症状のどん底が待っています。

 これまでも幸せについて、ミーティングなどでお父さんから教えてもらうことがありました。でもそのときのわたしはまだ、幸せになってしまうことが怖いと思っていました。今幸せになったとしても、この先もその幸せがずっと続くと信じられなくて、また苦しくなるくらいなら、いっそのこと幸せになりたくないとさえ、行き過ぎた気持ちがありました。

 でもウィンターコンサートで通し稽古を何度も繰り返していくなかで、少しずつ小腸さんの台詞が自分の中へ入っていき、そして当日にたくさんの仲間に囲まれて、幸せだと心から思えたとき、自分はもう幸せになっていいんだと思うことができました。
 「幸せは人と人の間にしか生まれない」。いつの日か、お父さんが話してくださった言葉ですが、本当に本当にその通りだと思いました。
 だからわたしは自分だけの幸せは絶対に求めません。まずは自分が回復することが必要だけれど、いつどんなときでもその先に待つまだ見ぬ誰かを必ず求め続けます。

 今日で2022年ウィンターコンサートは本当に一区切りになってしまうけれど、ここを終わりにするのではなく、ここからを始まりに、お父さんが脚本を通して示してくださった生き方をこれから自分が一本道として歩み、愛の世界を広げていく一人として生き続けられるように、日々の小さなことから無駄にせず、真面目に生きていきたいです。 

 自分にとってかけがえのない、この先もずっと残り続けるウィンターコンサートにできたことが、とてもとても嬉しかったです。
 本当にありがとうございました。