「1つの記号になる」 りな

◆「宇宙と人体」をテーマに

 ウィンターコンサート当日、古吉野なのはなに、たくさんの卒業生が帰ってきてくれて、東京からは、カメラマンの中嶌さんや、あきこさん、かりんちゃん、たくさんのボランティアの方が来てくださって、みんなで迎えたコンサートでした。場所は違っても、こんなにもたくさんの仲間がいるんだと改めて感じて、そのことがとても心強かったし、たくさんの家族に支えられているからできるコンサートなのだと実感しました。

 スプリングコンサートから続いてきて、みんなと歩んできた長い旅も、もう今日で終わってしまうのか。そう思うと、とても寂しい気持ちもありました。だからこそ、今日を一瞬で終わらせないで、みんなと永遠のものにしたいと思いました。今日は当たり前のように一日しかないけれど、これまで積み上げてきたものは、無くなっていなくて、どんな事があっても出しきりたいと思いました。

 「宇宙と人体」という、とてもスケールの大きなテーマを題材にしたウィンターコンサートでした。コンサートの練習が始まったばかりの頃、お父さんの脚本書きに少しでも力になれたら、とお父さんのお誕生日会で、全員で人体についての調べ物をしました。そんな時に、感じたことがありました。

 人体という大きな舞台装置の中で、細胞一つひとつが、「個」ではなく、全体がバランスよく、より良く保たれるようにと働いていることを知りました。そして、その役割が大きくても、小さくても、全てとても緻密で絶妙なバランスを取っていて、何一つ欠けてはならない存在だということ。

 誰に何を言われなくとも、細胞たちはその自分に与えられた役割に、忠実に働いている。そんな人体の仕組みが、本当はとても自然で、尊いものなのだと思いました。そして、そんな細胞の集合体である私達も、そうやって生きていくことこそが、あるべき生き方なのだと思いました。宇宙という大きな舞台装置の上で、私は何か果たすべき役割があって、それを胸に、毎日見つけて、一生懸命向かっていく、そのことに誇りを持ちたいと思いました。

「あなたが私であってもいいし、私があなたであってもいい」
 これまで私は自分にこだわる気持ちがあったから、苦しかったのだと気が付きました。でも、この言葉に、私はとても救われました。
 どんな役割であったとしても、みんなの中で、その役割を精一杯果たしたい、と思いました。お父さんが、「一人ひとりが、伝えるための記号だよ」そう話してくれました。求める人に届けたいたった一つの事があって、それを伝えるための一つの材料なんだ、と思いました。
 そして、自分の役割、と枠を作るのではなく、このウィンターコンサートで伝えたいことを胸に、最初から最後まで、気持ちを繋いでいたいと思いました。

◆泥臭く前のめりに進んだ時にだけ

 私は、今回のコンサートで、エレキギターを担当しました。最初は、アンプの使い方も分からなければ、ギターについているつまみの意味も分からない、音を出してみれば、全て濁った音が出る。これで果たしてできるのだろうか、と不安でした。
 バンドの合わせの時に、どうしても間違った音、濁った音を出してしまったり、何度も何度も、音が出ない、押すボタンを間違える、ミスをしてしまって、毎回泣きそうでした。

 間違えてしまうのは、自分の練習が足りないからだと、自分を追い込んで練習をしていました。バンドの足を引っ張らないように、間違わないように、いつも神経を張り巡らせて、そのことばかりを考えていました。
 きっとその時、私は、損得勘定の大王であるギブソンに侵されていたのだろうと思います。そんな時に、同じギターのまえちゃんが、
「間違えてもいいよ。だから、ギターを好きになってほしい。今の段階での楽しさを、十分味わってほしい」
 と話してくれました。
 こうでなければならない、できる、できないを白黒つけて、技術を追い求めていたことに気が付きました。低い段階の自分を、自分で否定して受け付けないようにしていました。
 けれどそれは間違っていたんだと思いました。

「なのはなはコンサートを始めたばかりのころから、爆音で演奏していた。出来ているところも、出来ていないところも全部丸見えで大っぴらにさらけ出してきた。それは人生も同じだよ。出来ているか、出来ていないかは問題ではなくて、音で、ダンスで、生き様を表現するんだよ。本番でしか、本当には覚えられないよ」
 お父さんの言葉を聞いて、とても勇気が湧いてきました。

 そうか、できていないところも全部、全てさらけ出して、自分はどう生きたいのか、それを思いっきり表現したらいいのか、と思いました。
 できるという保障はどこにもないけれど、その保障を求めて、怯えたり、不安の先取りをするのではなくて、その怖さに立ち向かっていこう、と思えました。
 捨て鉢な気持ちで、全力でやって、それで粉々になるならなってしまえ、そんな気持ちで通し練習に向かうことが出来るようになりました。

 それは、人生も同じで、昨日と同じ、停滞する気持ちや、守りの態勢でいたら、私達はすぐに心の中に仕組まれた時限爆弾がカウントダウンを始めるのだと思いました。
 昨日よりも今日、今日よりも明日、より良くなっていきたいと、破れかぶれではあるけれど、泥臭く前のめりに生きている時にだけ、私達は道を見失わずに、時間に取り残されずに、前に進むことができるのだと思いました。

◆保障を求めないあり方を

 今、当たり前のように、三食美味しいものを食べられて、寒い冬でも暖かく、凍えることなく過ごすことができます。
 でもそれは、いつ崩れてもおかしくないぐらい不安定なもので、当たり前のことではないのだと思いました。私達のすぐ後ろには、底の見えない崖っぷちがあって、薄氷の上を歩いているような、いつ落ちてもおかしくないぐらいのところにいます。それを、忘れてはならないと思いました。

 私達も、誰も、人生に保障はありません。けれど、そこに安定した暮らしや、保障があるかのように思えて、怖さから逃げて楽な方へ求めてしまったから、私は過去に、生きる意味が分からなくて、死んでしまいたいぐらい苦しかったのだと思いました。
 けれど、今は、同じ苦しさを抱えて、それでも立ち上がって、良く生きたいと願う仲間がたくさんいます。
 そして、私が抱えた苦しさは、私だけの問題ではなくて、この世の中の生きにくさと繋がっていることを、脚本を通して分かりました。物が溢れて、豊かであるが故の貧しさ、生きにくさが、目には見えないけれど蔓延していて、今も私と同じように生きる道を求めている人がいます。
 そのことを思うと、保障も、安定も、全部私には必要がなくて、どうでもよいことに思えました。生きる道を見失って、もう少しでこの世の中からいなくなってしまう人を、救えて、生きられる道を切り拓いていけるのは、私達しかいないのだと思いました。
 もう二度と生きにくさを抱えた人の出ない、優しい世の中を作っていくところにしか、生きる意味はなくて、それが私の使命だと思いました。そのために回復するんだ、そう強く思えました。

 同じ地球の上で、今も戦っている人たちがいます。目に見える戦争はしていないけれど、私達が生きる国でも、そして私達の心の中にも、よく生きようとする気持ちを挫く、ギブソンがいて、知らないところで侵略されようとしているのだと思いました。
 私は、ギブソンを打ち負かして、誰もが生きやすい新しい時代を作っていく一人の戦士でありたいと思いました。私達の誰もが、とうこさんです。とうこさんのように、自分の果たすべき使命を胸に、生きていくことこそ、私達の生きる道です。

◆この気持ちを伝えたい

 ラストの曲、『リカバリー』で、全身を使って表現しました。あゆちゃんが和訳をしてくれた中に、
「いいか、回復するには、戦場にいる戦士でいなければならない。自分で定義し、価値を決め、己の回復を自分自身でデザインするんだ」
 という言葉があります。その言葉を読んで、涙が溢れてきました。そして、これまで囚われていたもの全部を捨てて、一枚岩で立ち向かってやろう、そう思えました。

 私の回復は、この世界を回復させることだ、どんなに未熟であったとしても、人生の全てで自分に出来る精一杯の回復記を、作っていくんだ。毎日が本番で、今を本気で最大の表現をして生きていくんだ。覚悟を持って、踊りました。ダンスが上手、下手、関係ないです。この気持ちがたった一人の人に伝わって、希望となればいいと、思いました。

 お父さんの脚本には、なぜ生きにくさを抱えてしまったのか、何が苦しかったのか、そして、どう生きていけばよいのか、求める答え全て、そのヒントが隠されていました。通し練習を重ねるごとに、役者のみんなのセリフから、その答えをもらったり、実際にその物語に入り込んで、旅をして、より深く理解できました。
 お父さんの脚本、そしてみんなと気持ちを一つに、コンサートの練習に打ち込んだ過程が、本当に大切なもので、優しいほうへ、高いところへと引っ張り上げてもらいました。

「全体が進んでいたら、それは自分も進んでいるということ」
 コンサート練習の過程で、その意味がはっきりとわかりました。誰一人として見捨てることなく、みんなで手を取り合って、引き上げあって作ったコンサートだったと思いました。
 全体の、大きな流れの中に乗ると、自分の力じゃなくて、みんなの力でワープさせてもらえました。自分一人の力では、到底たどり着けなかったです。こんなにも仲間がたくさんいることが、本当に私は幸せ者だと思いました。

◆ここから始まる

 コンサート本番、たくさんのお客さんの前で、気持ちを表現できた時間が、本当に嬉しかったです。一曲一曲終わるごとに、とても大きな拍手に包まれて、その度に、私達の気持ちが伝わったんだな、と実感できました。

 最初から最後まで、みんなと気持ちを繋ぎました。もう、この脚本で、このメンバーで出来る通しは最後なんだ、そう思うだけで、感情がこみ上げてきて、目の奥が熱くなりました。バディ練習で、何回も何回もみんなと正しい形を揃えたダンス、初めてのバンドの合わせで弾くことが出来なくて、泣いた曲……、笑ったことも、泣いたことも、そばにいた仲間の存在と一緒に思い出されて、全て愛おしく感じました。こんな気持ちを感じられるのは、一人では出来なかったことです。

 舞台袖にいても、役者のみんなが生き生きとした表情で、なり切って演じている姿に、感動して涙が出そうでした。ダンスの出を待つみんなの背筋の伸びた、凛とした姿勢に、今も忘れられないぐらい勇気をもらいました。

 さやねちゃんのベースギターが直って、絶好調になったことが、ものすごく嬉しかったし、のんちゃんの『いちご白書をもう一度』や、『ムーンライト・ソナタ』で、息をするのも忘れて、祈っている自分がいました。一人ひとり見ても、みんな輝いていて、ぎゅっと胸が締め付けられるような気持ちになりました。こんなにも、誰かの幸せが自分の幸せになる感覚を感じたのははじめてでした。

 ステージも、客席も、一体となっている気がしました。保障はないけれど、きっと上手くいく、そう思えて仕方がありませんでした。ダークマターに包まれている感覚がありました。これまでで、一番気持ちを前に飛ばすことができたと思いました。

 視床下部さんや、小腸さんの言葉が、客席の一人ひとりのお客さんに、吸い込まれていくことを感じました。ラストの曲、『リカバリー』を踊って、これ以上ないぐらい大きな拍手を浴びた時、スプリングコンサートから、みんなと積み上げてきたものが、全て本物になりました。本番の一瞬が、私にとって永遠のものになりました。

 私の思い出ファイルはスカスカだったけれど、なのはなファミリーに出会って、毎日毎日が優しさで溢れていて、今は、私は温かい思い出ファイルでいっぱいです。
 コンサートを作り上げてきた過程も、本番も、どんなことがあろうと私に正しい方向を示してくれる指針です。コンサートを通して見つけた私の使命をいつも胸に刻んで、生きていきます。コンサートは、終わりではなくて、コンサートからスタートするんだ、そう思って生きていきます。