3月11日
今日は、今季初めての畝たてを、まえちゃんたちと一緒にしました。
畑は第1鉄塔上。作物は小松菜(ちなみにこの畑に水菜も来る予定)。
今年の春はとにかく雨が多くて、肥料入れをしてから雨が降り、乾きそうだと思ったら、また雨が降り、なかなか乾かない。
そんな中で、何とか頑張って乾いた今日に、須原さんが耕してくださった、ホカホカの畑での畝たては、多少湿っていたりゴロゴロしていても、畝たてを待ちに待っていたわたしとってはサプライズでした。
高さは直角に、畝はまっすぐに、畝間は平らに。
自分の畝たてへの美意識を、存分に表現していい、理想の畝を作るのは本当に楽しいです。
畑はアートだとお父さんは話されるけれど、そう考えたら、これも野菜と同じくらい美しく作りたいと思います。
明日は雨なのですが、畝たても終わり、傷んでしまう前にとりたいと思っていたニンジンも収穫出来て、嬉しかったです。
夕方にはハウスミーティングがありました。
今日は、5時過ぎに放送があって、放送があるまでわたしは、コンテナに寝かされていたニンジンを立てて収納し直していたのですが、そしたら出遅れてしまって、今度からは、放送が鳴ったらすぐに校長室に行ける心と身体を準備します。
遅れてしまい、すみませんでした。
質問では、
「自分は、なのはなに来て間もない頃は、一人ひとりの作業を全部覚えていたけれど、いつの間にか自分の作業しか覚えていなくて、同じ作業のメンバーも全部は覚えきれなくなっていた」
という話をして、それはどうしてなのか、お父さんに聞いてみると、
「それは、自分がいつも危機に備えていたから」
と言って、具体的に、その頃の私にとっての危機とはどういうことかというのを、例を挙げて話してくださいました。
例えば、自分が損をして、誰かが得をしているんじゃないか。自分は得をしていないのではないか。自分ばかり大変な事をさせられているのではないか。
そういう危機なのだと教えて頂いて、(それって損得勘定じゃないか)と思ったのですが、自分は来た時、まさにその状態で、自分ばかりが辛いことをさせられていて、誰かは楽をしているんだという考えが強かったと思うし、それが、その時の自分にとっては当たり前だったなと思います。違和感なんか1ミリもなかったです。
だから、その危機から抜けるために、人と作業を評価して合わせて考えられるように、わたしは全部、他人の作業も覚えていたのだと教えてもらって、とても納得いきました。
そして、今は自分のとか、4人くらいまでなら同じ作業の人も覚えられる程度の記憶力になったのは、自分が人と比べて損か得かとか、そういったことよりも、(この作業だったら、道具はこれとこれがいるな)とか、作業自体の事を考える方に頭を使っているからだと教えて頂いて、それも本当にその通りだと思いました。
それが、ノーマルなんだなと思います。
どの作業でも、あんまり羨む気持ちもないし、自分が損をしたとか思わないです。
こういうことを書いていいのか、神様はどういうかわからないですが、割と、最近は自分は得づくめに感じます。
自分の未熟さを痛感し、高い壁が見える毎日で、己の至らなさを、まえちゃんと苗に向かって、心の中で懺悔していますが、苗を見るのはとてもやりがいがあります。早起きしてハウスに行くのも気持ちが良いです。
力仕事も呼んでもらえて嬉しいです。
そういうことで、自分は得しているなぁと思うのですが、これはあまり大きな声では言わない方が良いと思うので、まだまだ一杯楽しかったことありますが、終わろうと思います。
おやすみなさい。