「未来へ繋げて」 りんね

3月6日

〇Eちゃんの合格

 今日お父さんから、Eちゃんが国立大学医学部に合格した発表がありました。とても嬉しかったです。

 Eちゃんは、なのはなで生活をする中で、ずっと淡々と勉強に向かい続けていました。勉強だけでなく、6年生教室で苗や小さい子を気にかけてくれていたり、当番には必ずいち早く行っていたり、メリハリをつけてなのはなの生活の役割を果たしている姿が、本当にすごいことだと感じていました。
 去年は、夜に読み聞かせをしてくれたことも嬉しかったです。毎晩欠かすことなく、Eちゃんが3年生教室で昔ばなしやシートン動物記の読み聞かせをしてくれました。Eちゃんの読み聞かせは、穏やかで温かかったです。
 淡々と役割を果たし続ける、普段からのEちゃんの誠実さが、本当に強く、大きな力だと思いました。

 私は、Eちゃんと同い年で、一緒に成人式のお祝いもさせてもらいました。あのときから月日が経って、Eちゃんが大学へと旅立っていくこと。とても嬉しいと同時に、寂しさも感じました。
 でも、場所は違っていても、Eちゃんはなのはなの仲間として、医学部へ進んでいくのだと思います。同い年のEちゃんが、これから険しい道も乗り越えて進んでいくだろうこと。
 そのことを思うと、私も頑張りたいと思いました。Eちゃんが見せ続けてくれたように、淡々と、誠実になのはなでの日々を送って、未来へ繋げていきたいと思いました。

〇お父さんとの面談

 一昨日と昨日、作業中に、ロングミーティングで書いた作文について、一人ずつお父さんとの面談をさせてもらいました。
 一昨日は桃畑で摘蕾をしている傍で。神聖な空気のある桃畑の傍で、私たち、一人ひとりの未来について、お父さんと一人の真剣な話し合いがされている。私たち全員が、厳かな、大きな存在に守られているような気持ちがしました。

 私は昨日、お父さんと面談をさせてもらいました。
 私は目標を具体的な形にはできていませんでした。ただ、自分の一番駄目なところ、そこから、まだ見ぬ誰かにとって希望になっていきたいこと、きっとこれから、私を生かしている、人智を超えた何者かが、そのための具体的な形、生きる使命を教えてくれる、と信じる気持ちを作文に書きました。
 お父さんから、それでいいと思うよ、と教えてもらいました。
 人を見るのではなく、目標を見る。そこへ向かって行くために、同じように目標に向かっている、私たちの師となるお父さんお母さんに、道を教えてもらう。
 自分の持っている力を全部出して、世のために役立って生きていける、その使命を果たす生き方ができると、信じる。その気持ちを持っていたら、
「自分のことも、みんなのことも、もっと理解できるようになる。そのうちに、やるべきことも見えてくると思うよ」
 とお父さんが教えてくれました。

 どうか、信じる気持ちを正しく持ち続けられますように。お父さんと面談をさせてもらえたことが、本当に嬉しかったです。

〇ギター教室

 昨夜、アコースティックギター教室がありました。
 5月末の発表へ向けて練習している、『流星』『タイムトラベル』『奇跡の山』を、はじめて合わせました。本番の曲順で、『タイムトラベル』から『奇跡の山』で調弦を変えるときも、本番を想定し、チューナーを使わずに、一人の音に全員が揃えるという風にしました。

 『流星』を弾き始めたとき、一度コンサートで演奏していた、ということもあると思うけれど、はじめから全員の音が揃っていることを感じました。速弾きのところでは、乱れることもあるけれど、みんなが、揃えるという意志を持っていること、丁寧に演奏していることを感じて、その中にいられることが嬉しい、と思いました。
 藤井先生から、音の雑味は無くなって、綺麗になってきているけれど、全体的に強弱がない演奏になってしまっていることを教えていただきました。また次回からは、原曲を聴きながら、そこに強弱を揃えるようにしていけたら、よりいい演奏になるのではないか、と思います。
 音が雑だったころに比べ、今はずっときれいな演奏になってきている。次は強弱をしっかりとつけて、低音を強く出して、もっとメリハリのある演奏へ。藤井先生が、あるべき演奏に私たちを導き続けてくださることが、ありがたいなと思いました。

 自分の話になってしまいますが、ミーティングで、今まで持ってしまっていた、ギターに対する“拘り”を壊したとき、自分はこれから、何のためにギターを続けていくのだろう、と感じました。
 昨夜の合わせをしていて、気づいたことがあります。どれだけ繰り返し練習をして、指使いが体に入っていたとしても、人前で演奏をするときに雑念があったら、その雑味がそのまま音に表れる。反対に、雑念のない透明な気持ちで演奏をすれば、指使いは体が覚えているから、自然と雑味のない演奏になっていく。
 昨夜も、自分の気持ちを透明にして演奏しようとしたとき、どこか「自分ではないもの」が、自分の体で覚えているベストを出して演奏をしているような感覚がしました。

 今まで私は、ギターを「自分を表現する手段」としてきました。どうか私の存在を、認めてほしいと。
 けれどそれは、間違っていました。どれだけ練習をして、一人の場だと良く弾けたとしても、人前で演奏をすると、根底にある雑味が音に表れました。

 これからは、ギターを「自分を無にする手段」にしていきたい、と思いました。
 指使いは体に入っている。それをどう、人前で表現していくか。今まで持っていた、どうか私の存在を認めてほしいという気持ち。それを手放して、人からどう思われても構わないから、自分の身を自分ではない、何者かに託す。
 心からそういう風にできたとき、初めて人前で、いい演奏ができるようになると思いました。
 私にとって、ギターを極めることは、私たちが摂食障害から回復して生きていくための、あるべき心持を身に着けること。土台がどれだけ心に入っているか、ギターが一つの指標になる。

 アコースティックギター教室は、なのはなに来てからずっと続けていて、人生で一番長く続けられている習いごとです。藤井先生に教わって、ここまで続けてこれたことも、ただ自分が拘ってきただけじゃなくて、何か縁があるのではないか、と思っています。
 これからは、「自分を無にする手段」に徹して、ギターを続けていきたい、と思いました。