「梅の花が咲いたら」 ななほ

2月21日

 午後にスタッフさんたちの提案で、ОMTをしてからミーティングの作文書きをしました。
 OMTのテーマは「私が、自分を元気にしたい時にすること」というもので、そのテーマをもとに話しているだけでも、自然と気持ちが明るく晴れやかになり、同じチームのみんなもスッキリしたような笑顔をしていて、やっぱり「話す」って大事だなと思いました。

 自分を元気にしたい時にすること。
 まず最初にパッと思いついたのが、「日記を書く」「お風呂で誰かと何でもない会話をする」ということでした。最近、試験勉強と編集で日記を書く優先順位が低くなってしまっていたのですが、やっぱり日記は短くてもいいから、毎日書きたいなと思いました。

 日記を書くことで自分の気持ちが整理されたり、何か不安や心配なことがあったとしても日記に今日あった楽しいこと、嬉しかったことを書いていると、それらの不安や心配が小さくなったり、自然と解決してしまうこともあります。

 そして、お風呂で誰かと話す時間は、本当に温かくて、こんな風に雑談だとか、何でもない話をする時間を私はずっと、求めていたんだなと思います。

 なのはなに来るまで、自分の身の回りのものも、人間関係も、会話も必要最低限で良くて、無駄なものはいらないと思っていました。

 勉強をするのだから、遊びは私には必要ない。自分の身になるものは聞くけれど、為にならない話は聞く必要がないというように、私は遊びや目の前にある楽しさをすべて排除してきて、その結果、ものすごく空しく、心がスカスカとした人間になってしまったなと思います。

 けれど、心の中ではずっと家族団らんのような温かさ、自分が好きだな、大切だなと思う人と何でもない会話をして、楽しく食事をして、側にいられて、その当たり前のような日常をずっと求めていました。

 この前、台所でりゅうさんが中華丼を作ってくださっているとき、りゅうさんがそばで洗い物をしていた私に「見て、美味しそうになってきたよ」「今日は、きくらげたくさん入れたからね」「ななほちゃん。少し、味見してみて!」と賑やかに話しかけてくださり、りゅうさんにとっては何でもないことなのだろうけれど、私はとても嬉しかったです。

 りゅうさんがスッといつも、みんなを巻き込んで日常に楽しさや温かさを取り入れてくれたり、ごく自然に休みの日はなのはなでみんなの中で過ごし、みんなを思って大きな大きな大鍋で、中華丼を作ったり熱々のスープを作ったりしてくださること。そのことが本当にありがたいし、血は繋がっていなくても、私にはこんなにたくさんの大好きな家族がいるんだなとしみじみ、思いました。

 日常生活での何気ない会話も、お父さんとお母さんの話を聞く時間もすべて、私にとっては嬉しい時間です。
 なのはなに来るまで、こんなに人の評価や顔色を気にしないで話せる日が来るなんて思わなかったし、少しでも失敗したら間違えたら落される、虐めの対象にされるという世界とは程遠い、なのはなの日常が、本来当たり前のはずのことだったのだなと思うと、その世界を見ることができて良かったなと思います。

 そして、私はいろいろな楽しみを持っています。日記を書く、お風呂での会話もそうだし、毎日の編集にも、毎日だからこそ自分自身が継続して外向きでいられる大切な役割だなと思うし、写真を撮ることとか、本を読むこととか、みんなとの当番や作業、日常に楽しさが広がっています。

 梅の花が咲いたらみんなで嬉しいね、綺麗だねと言えること。
 お母さんにお雛様を飾ってほしいと声をかけてもらい、みんなと楽しみながら校舎にお雛様を飾れること。
 ミーティングをしていても、本当に自分は1人じゃないんだなと思うし、お父さんとお母さんが自分たちの抱えてきた問題や生きにくさを深いところで理解してくださっていて、同じように苦しんできたみんなだからこそ、深いところで理解してくれて、自分のことも覚えていてくれるし、私も誰かの忘却の力になれることが嬉しいです。