「利他心とは」 えつこ

9月24日

 ミーティングの時間が、とても濃くて、嬉しかったです。ずっとこの答えを求めていたんだと、思いました。

 まず、利他心とはどういうことだと思うか、お父さんが私たちに聞きました。多く出た答えは、目の前の人の利益になるように図る心。
 次に、お父さんが聞きました。目の前に利己的な人がいるとして、その人が利己的なことをするために自分の力になってほしいと頼まれたら、従うか。私もみんなも、それは違うだろうと思いました。
 あれ? それでは、目の前の人の利益にはならない。そこで、ハッとしました。目の前の人全てに親切にすることは、利他心ではないと。
 お父さんが話してくださった例えは極端な例ではあったけれど、しかし、日常でこのようなことは身に覚えがあります。誰の顔色も損ねたくなくて、意思をなくしてユアペースになってしまうことが私にはたくさんあります。そこに利他心は全くなくて、利己的な媚びでした。

 その後のお話でも、私が今までこれが利他心だと思っていたことは利他心ではなかったと気がつくことがありました。私の利他心の捉え方は、狭くて浅かったことに気がつきました。

 次に、利己心とは何だと思うか、お父さんが私たちに聞きました。一言で本質を簡潔に表す言葉を見つけるのが難しくて、私は利他心も利己心も理解できていなかったということに気がつきました。利他心が何なのか理解できていないのだから、理解できていないものを持つことはできないはずです。まずは、利他心とは何なのか、利己心とは何なのかをしっかりと理解したいです。

 それから、昨日のハウスミーティングで出た質問について、話してくださいました。私は昨日のハウスミーティングにも参加していましたが、もう一度、お父さんが噛み砕いてお話してくださったことが嬉しかったです。

 例えば、職場で、怠けている人がいる。面倒なことを押しつけられる。自分ばかりが焦って働いているように思えて、怠けている人に対して心の中で怒ってしまう。言葉は違うかもしれないけれど、そのような質問の内容でした。私は、その質問に対して、私も同じことで気持ちを落としたことがあり、共感しました。

 その質問に対する答えは、そのように感じてしまうのは、利己心に満ちているからだという厳しいものでした。私は、その答えを聞いたとき、ショックを受けてしまいました。ショックを受けたけれど、ああそうなんだと、納得しました。
 自分の正義を人に押しつける、偉そうな心持ちでした。そして、その正義も、狭くて浅いものでした。自分が正しいと思い込んでいて、そこに利他心は少しもありませんでした。だから、私は苦しかったんだと、気がつきました。だから私は変な人になってしまっていたんだと、気がつきました。本当に私は、偉そうでした。損をしたくないという損得感情で、自分で自分の首を絞めていました。変えなくてはいけないのは、自分自身でした。心を作り直さなくてはいけないと、心から思いました。

 一番に心に残ったのは、「神様が望む理想社会を作るために、神様に対して手助けをすること。それが利他心だ」というお話です。(神様というのはなにか特定の宗教的な意味合いではなく、自分たちが苦しいさなかでも――苦しさに向き合うときこそ――心のなかで思わずにいられない神様、とも言えるのではないかと思います。)

 人に対して直接的に利益を与えることが利他心ではない。大谷翔平選手がゴミ拾いをして得するのは誰か。直接的に得をする人はいないかもしれないけれど、神様に向かっての利他心は、めぐりめぐって、多くの人々にかえってくる。

 言葉は正確ではないのと、私の理解はまだ浅いのかもしれませんが、お父さんのそのお話を聞いて、私はそのために生きたいと、思いました。私の利他心に対する考え方は、何と浅くて狭かったのだろうと、思いました。人に対して直接的に利益を与えようという、その心持ちが、偉そうでおこがましいことなのだと気がつきました。私は利他心について勘違いをしていました。
 これは、夜の集合でのお話にも繋がるのですが、理想社会を作るための一員であること。自分の心も体も、そのために与えられた借り物であること。そのことを思ったら、自己否定とは何と偉そうな心持ちであるのだろうと、涙が止まらなくなってしまいました。
 私の自己否定は、とても利己的で浅ましいものでした。本当に恥ずかしいけれど、回復した人が勝ち組で、回復できない人は負け組、そんな競争意識から来るものでした。勝ち組になって人の上に立ちたいという気持ちは、利己心以外の何物でもありませんでした。そんな偉そうな気持ちで自分を苦しめていたことに、自分でも気がつけていませんでした。とてもくだらないもので自分で自分を苦しめていたんだと、気がつきました。

 私の理解はまだまだ浅いです。もっともっと、利他心を深く理解したいです。今練習している『Oblivion』の、「私は全てを忘れてでも変わる必要がある」という歌詞が、今の私の気持ちにピッタリ合います。この同盟を通して、みんなでゴロンと良くなれる予感がしていて、希望を感じています。