「どんな自分であれ」 みつき

3月18日

●どんな自分であれ

 昨晩、雨が降っていたようで、中庭にはいくつもの水たまりができていました。
 ほうれん草や小松菜、じゃがいもやトウモロコシなど……。種まきや定植をした、いくつもの野菜の恵みの雨になるのだと思うと、あたたかい気持ちになれる雨でした。

 今日は、午前中に『グレイテスト・ショー』のダンス練習をしました。
 今までは、夜の時間30分ほどを使って練習していたのを、同じ振付のチームのみんなと集まって、何度も確認しながら、身体に沁みこませることができました。
 誰かが、「ここ、もう少しゆっくり教えてほしい!」と言うと、「うんうん、もう1回やってみよう!」と返ってくる空気のなかで、心も身体も動かしやすかったです。

 あけみちゃんがサビのダンスを教えてくれて、わたしを含めてそれぞれの子の癖を見てくれたり、そこでもう1回踊ってみたときに、「そうそう! そういう感じだと良いね!」と、笑ってアドバイスをしてくれたのも、うれしかったです。

 最後、のんちゃんが、「曲に合わせてみよう!」と声をかけてくれました。
『グレイテスト・ショー』は、場面によって踊っているダンスメンバーが入れ替わったりしていて、出はけが激しい、まさしく『ショー』という感じの、目が離せないようなダンスです。曲で合わせてみるのも、他の振付のチームのみんなとも合体して、全員が集合して踊るのは、これが初めてでした。

 でも、出来てしまいました! ポーズを決めて、曲が終わったとき、わあっとみんなの笑い声が、体育館中に広がりました。「出来ちゃったね!」と周りの子と言い合ったりしていて、もちろん、まだまだ振付が飛んでしまったり、カウントに遅れてしまったり、改善点は山ほどあるのですが、それよりも、楽しさや気持ちよさの方が大きかったです。
 何より、「みんなと今のベストを出せた」「みんなとひとつのものを作ることができた」という喜び、いきいき晴れ晴れとした空気を感じ合えたことが、うれしかったです。

 わたしは、今日のダンス練習のことが、今のミーティングの話にも繋がりました。
 わたしの感じていた問題として、「自分の苦手意識のあることに対して、極度に臆病になってしまうこと」がありました。
 そのなかのひとつに、ダンスを踊ることも含まれていました。
 今までにからかわれたこと、不機嫌にさせたことなどは、自分の失敗や不出来さからくるもので、そういった苦い経験をもう繰り返したくない、傷つきたくない。
 だから、「ダンスを踊ることから逃げてしまいたい」という、消極的で、守りの姿勢で居続けていました。

 でも、今日はとっても楽しくて、どれだけ失敗しても、どれだけ分からなくなっても、どれだけ身体が思うようにならなくても、楽しかったです。
 自分が未熟だけれど楽しい。自分が失敗しても楽しい。それは、わたしにとって、ものすごく大きな変化だと思います。
 今までずっと怯えていた、「ダンスで失敗したくない」という気持ちが、薄くなったのだと思います。その気持ちが薄くなった一方で、安心していられる、「みんなは、わたしを嫌わない」という気持ちが、濃くなったのだと思います。わたしが失敗しても、だれも嫌ったり、からかったりしない。
 自分が自分で居ていいと思えることは、当たり前のことのようなのに、今まで思えなかったことでした。

 少しずつでも、バディの子、なのはなのみんなと一緒に進むことができているような実感があります。そのことが、本当にうれしいです。
 わたしが本当に欲しかったのは、摂食障害の症状を止めたいとか、そういうのもあったけれど、それ以上に、「自分が自分として、生きていける人生」が欲しかったんだなあ、求めていたんだなあ、と感じました。

 夕食前、ももかちゃんが、「ほうれん草の芽が出ていたよ!」と教えてくれました。
 それを聞いたとき、「ああ、見に行きたい……」「でも、あともう数分で夕食になってしまうかな……」と、迷っていたのですが、その迷いの気持ちをぽーんと投げ捨ててしまいました。「いや、今、ももちゃんと一緒にほうれん草を見に行きたい!」

 そう思って、ふたりで「行こう行こう!」と坂をダッシュして、畑まで見に行った時間が、とても楽しかったです。
 不織布をめくると現れた、うさぎのようなぴょこっとした長い葉の芽が可愛いかったし、ももちゃんが、「誰かと一緒に見たほうが、断然うれしいね!」と笑ってくれました。その言葉と笑顔を感じて、目の前の人と今を大切に楽しみ合いたい、そういう気持ちにこそ、喜びがあるのだと、教えてもらえました。「ああ、一緒に見ることができて、本当に良かったな」と感じました。
 何気ない出来事かもしれないけれど、日記に書きたくて書きたくて仕方がありませんでした。

 明日も、自分にできることを頑張ります。おやすみなさい。