「自分が生きる姿」 みつき

6月28日

 

 雨が降りました。
 この日までにみんなでやりたかった作業を進めてきたので、安心して迎えることができた雨でした。

 

 夜のお父さんお母さんの集合のお話が嬉しかったです。
 なのはなに来て、たちまち症状がおさまるのは「安心」だということが、あらためて本当にその通りだと感じました。
 お父さんが、「傷ついた人、症状の最中の人の心情について」話してくださいましたが、その言葉がまさしくこれまでの自分の心情でした。泣いてしまいたいくらい不安だけれど、何が不安なのか分からないから泣くにも泣けない。何が孤独なのか分からないけれど、ひとりぼっち。

 何かを聞いたとき、話したとき「そうだね、わかるよ」と頷いてもらったことはありませんでした。わたしは、嘘だとしてもひと言だとしても、共感が欲しかったと思います。

 当時、自分と同じような人間、自分と同じような土俵立っている人は、だれも居ないんだろうなあと思っていたから悲しかったです。
 この世の中を同じ気持ちで生きてきて、もう限界を感じていて、一度は死にかけた。でも、ちゃんと生きられるたったひとつの方法で生きていこうとしている人たちに出会ったとき、自分も変われるような気がしました。
 なのはなにいるみんなが本当に自分と同じなんだなあとわかったとき、「この苦しさは、自分だけのものじゃなかったんだ」と気がついたとき、光が差したようでした。

 毎日のこの集合の時間でも、誰ひとり例外はなくて、みんなに言えることなんだなあと感じて、背筋が正されます。
 埋めてこられなかった穴ぼこは、今、なのはなのみんなにぜんぶ埋めてもらえるんだ、そうして自分は生きていけるんだと思うと、本当に良かったと思います。
 自分が欲しかったものは誰かがいてくれる、誰かが理解してくれて守ってくれる安心だった。そのことを強く思い直して、自分の生きる姿で、自分も誰かを安心させられる人になりたいです。誰かの苦しさも辛さも、穴ぼこも埋めてあげられるような人になりたいです。
 こうやって自分の苦しさや辛さ、原点に返るような気持ち、そしてこれから出会う誰か、今なのはなで一緒に生活している仲間のことを考えていると、強くなれるなあと思えます。自分が生き続けることが誰かにとっての救いだと思えます。

 明日からまた気持ちを強く持ちます。