【12月号⑨】「税理士試験 合格!」のん


  
 「簿記一級の勉強をしてもいいですか」

 お父さんとお母さんに相談しに行った日のことを、まだよく覚えています。遠いようで、つい最近のことのような気がするのに、気がついたら税理士試験の最後の科目を受験していて、そうしてついに合格発表の日まで来てしまいました。

 日商簿記検定二級の試験を受ける頃、お父さんとお母さんに相談しに行って、それは職業を決めることになるよ、自分がどうして税理士になりたいのか、それをよく考えておいでと教えてもらって、考えました。

 勉強しかしてこなくて、勉強以外なにもできない私が、そのときの勉強組さんに勉強のことで分からなかったことを聞かれて、答えを伝えたとき、すごく喜んでもらえて、こんな自分にもまだできることがあるんだと思えたこと。勉強しかできない自分でも、その道で役に立てることがあるのだと思えたこと。それが私の原点です。

 そこから私の勉強が始まりました。

■ボーイングチームの存在

 なおちゃんをはじめ、ボーイングチームの先輩たちが切り拓いてくれた道があったから、私はこの道を進むことができました。なおちゃんたちが渡してくれた、勉強をしていくなかで感じたことをまとめた日記にたくさん勇気をもらいました。

 一級の試験には村田先生となおちゃんが受験会場の津山商業高校の教室まで来て応援してくださった  こと。

 

村田先生とセブンブリッジ

  
 一緒に受験した四、五十代くらいの女性の方が話しかけてくださって、いい人で、頑張りましょう! とチョコを一つくださったこと。問題が自分としては結構難しくて、悩んだ部分があったこと。

 帰りになのはなチームが戦っている卓球の試合を応援しに行ったこと。リビングのパソコンでそっと合格発表を見たこと。

 六年生教室のソファで、ボーイングチーム恒例だというエアー乾杯で祝賀会をやったこと。さやねちゃんが、ボーイングチームが愛用している万年筆と、税理士試験のための勉強の受講の案内を渡してくれたこと。一級の一年だけでもたくさんの思い出があります。

 そこから怒濤の税理士試験です。毎年違うドラマがあって、淡々と勉強しているとか、いつ勉強しているの、とか、余裕そうだと言われるけれど、余裕で合格した年なんて一度もなくて、いつも綱渡りで、でも、大丈夫だろうと信じながら、言い聞かせながら渡りきっていく、そんな試験ばかりでした。

■簿記論、財務諸表

 一級の記憶がなくならないうちに、と始めた簿記論、財務諸表論。税法に比べたら少ないとはいえ、初めての理論暗記に戸惑いました。パズルみたいな簿記論も面白いけれど難しくて、点数は安定しません。

 ウィンターコンサート期間で講義が三十六回分くらい溜まってしまって、テキストを読んで分からないと思ったところ以外見るのをやめました。税理士試験は毎年合格率が十%くらいですが、模試を受けても全然上位一割なんて入らないし、TACの模試なんてもっとボロボロでした。

 それでも試験までこぎ着けて、前日にさやねちゃんに会場まで送り届けてもらって、受けた試験。初めての会場は、広くて、コンクリートの壁に、赤い椅子ですごく冷たく無機質な空間に見えました。一科目受けた後、時間的にはお昼を挟んでいたけれど、食べる気にならないくらい、頭が疲れていました。振り絞って二科目目を受けました。

 

毎週水曜日の夜は勝央金時太鼓も習っています

   
 忘れもしない合格発表。官報に載るものだと思って、発表の日の朝九時にネットで官報を見ました。私の名前はどこにもありません。

 落ちたのだと思って誰に言うこともなく、ひっそりと悲しさを味わいつつ、これからどうしよう、と思っていました。なにかの間違いじゃないかと何度も見たけれど、何度見ても私の名前はありません。夕食のぶり照りが大きいのは神様からの慰めだろうかと思うくらいに気持ちは沈んでいました。

 それでもあきらめがつかなくて調べていると、なんと、官報に載るのは五科目合格者だけで、一部科目合格者には郵送で合否の通知

がくると書いてあるではありませんか。どっと気が抜けました。そうして翌日くらいに届いた通知には合格の文字。思ったより小さい文字でちょっと驚きました。

■一番勉強した一か月

 二科目目は簿記を知らなくてもいけるという相続税が面白そうだ、ということで選びました。しかしこれが結構くせ者で、なおちゃんが法人税はボスだけれど、相続税は裏ボスと呼ばれていると教えてくれました。

 講義をしてくれている先生が必殺かっこ書きのかっこ書きとふざけて言っていたくらい、条文にかっこが多くて、かっこのなかのかっこにさらにかっこがあったりして、抜けのないように、という思いが見えるややこしい条文構成になっていました。

  

   
 相続税は本当に点数が取れなくて、終ぞA判定は出ませんでした。本当にまずいと思った私は、計算の総合問題を一日二問、理論テキストも最終的には二日で一回転できる予定を組んで、一か月その通りにやりきりました。この一か月は本当に今までの人生で一番勉強した一か月で、私の自信になってくれています。

 そうして迎えた試験ですが、試験官の「始め」の合図が聞き取れなくて、気持ちがだいぶ焦った上にマスクを取ってください、という本人確認が二回も入って、もうパニック状態で、問題も遠慮無く難しくって、全然終わらなくて、やらかした、これは落ちた、と思いました。試験後にお父さんにかけた電話で、「やらかしました!」と言った記憶は鮮明に残っています。

 相続税が駄目だったときに備えて二科目同時でもいいようにボリュームの小さい事業税を次に受けることにしました。もう相続税は落ちたものとして勉強していました。

 そうしてやってきた結果の通知。なのに校長室にお父さんの姿がない。畑に行ってしまったらしい。落ち着かなくて、そわそわして、なっちゃんがいる台所に行って気持ちを紛らわせるためにウズラの卵の殻をむいたりして待っていたけれど、それでも帰ってこなくて、でも開けるわけにはいかなくて。しびれを切らしてそっと通知の封筒を勉強用の卓上ライトに透かして見ると、うっすら浮かぶ「合格令三」の文字。

 まさかの合格でした。四十点くらい神様がおまけしてくださったんじゃないかと思うくらい、奇跡の合格でした。

■事業税とコンサート

 そして四科目目事業税。四月にはスプリングコンサートがあり、一月から四月はコンサートモードで進めていきました。ダンス練習もたくさんしたいし、たかお役で苦しんだりと、直前期と言われる四月までろくに勉強せずに突っ走りました。

 相続税が落ちたときのためにとボリュームが軽めの科目を選んだのは、このためだったんじゃないかと思うくらい、科目選択に救われました。コンサートが終わってから怒濤の巻き返しをはかるには、法人税では無理だったと思います。
  

税理士試験の勉強をしながら、コンサートでは役者やダンスで大活躍ののんちゃん

 

 そんな事業税の合格発表が届いたのは、同じくたかお役でひぃひぃ言っていたウィンターコンサートの演劇練習を終えた夕方でした。

 そうして、事業税を受けた夏からは、一年、遊ばせてもらって、畑に出させてもらいました。このままでは自分が腐る、と思ってみんなのなかに飛び込んだ一年。自分の至らなさを痛感してばかりの一年で、最後の法人税に立ち向かう気力をもらった一年でした。

 最後の科目は、正真正銘ボスの科目、法人税法。ボリュームも難易度も、所得税とどちらかは必ず取らなくちゃいけない選択必修なので、他の受験者のレベルも高い科目でした。

 事業税と相続税のテキストを合わせたような分厚い理論のテキスト。まだ新しいテキストが来るのかと思うくらい届く計算テキスト。文句なしに難しかったです。

 模試は結局最後までA判定にはなりませんでした。それでも、と信じ続けてできることをやりました。コロナが明けて、夏祭りが再開して、ダンス練習は試験前にもやりました。

 試験より先にある北和気の夏祭りに向けて練習するときは、そんな日が来るのだろうか、と半ば信じられない気持ちになりながら練習しました。それでも、「勉強があるのでできません」とは言いたくなくて、ダンス練習とともに走りきりました。

 試験に出発するときは、いつも勉強組さんくらいに試験日を伝えてこっそり行くのに、試験の少し前からお父さんが私の試験がもうすぐであることをみんなに言ってしまったので、出発当日の朝食でみんなから応援コメントまでもらってしまいました。少し恥ずかしかったけれど、なんだかんだすごく嬉しかったです。

  

   
 毎年模試や試験の度に応援のメッセージカードをもらっていて、私の宝物ボックスであるお菓子の箱は、もうありがたいことに溢れんばかりにぱんぱんでした。前泊するホテルで読み返して、パワーをもらっていました。

 そうして迎えた最後の試験。自分の甘さを突かれるような、「お前は何をしてきたんだ?」と言われているような、厳しい問題が来るだろうと思って覚悟していました。

 けれど、実際解き始めてみると、まるで、「よくここまで来たね」と言われているような感じがしました。ひっかけてやろう、といういじわるな感じはしなくて、決して易しくはないけれど、今までしてきたことを「これだけやってきました」と語ったら、それを、「うんうん、そうか」と大切に聞いてもらっているような、そんなすごく優しい問題でした。

 試験時間が終わったとき、やりきった、と思いました。合格点なんて出したこともないのに、なんとなく、いけたんじゃないか、そんな気がしました。

  

冬はハウスの修繕や建築作業も!

   
 そこから一か月、畑を駆け抜けました。帰ってきた次の日から軽トラドライバーとして作業に名前があって、去年免許を取ってからろくに運転していない私にはどきどきものでしたが、たくさん運転させてもらって、怖さがなくなっていきました。今まであまりやってこなかった防除や水やりにたくさん入って、機材の使い方を覚えられたりしたのも嬉しかったです。

■合格発表

 そうして九月、先輩たちの経験から、お父さんに就職を勧めてもらって、税理士事務所で働かせてもらうことになりました。勉強と実務はやっぱり全然違っているし、人間関係もあるし、すごく難しいことばかりです。今まで私はなのはなに守られてきたんだ、と痛感しました。

 そんななかでの合格発表。いつもはなのはなで見るけれど、今回は職場で見ることになりました。

 十一月二十九日午前九時。官報が出ました。ネットで見てみると、毎年名前が載っていたはずの合格発表は、受験番号になっていて、目が点になりました。名前が載っているだろうと思って受験番号を確認せずに出勤してきてしまいました。

 受験した香川会場の番号を見てみました。一番上に書いてある〇〇〇三三になんとなく見覚えが。多分これのような気がする、と思い、なっちゃんに連絡。一日うっすらもやもやした気持ちで仕事をして、帰ってきてファイルを漁って、発見しました受験票。そこに書いてあるのは〇〇〇三三の文字。五科目目法人税法、合格です。

 でも、合格したからと言って何が変わるわけではないです。そのつもりでそうなるように勉強してきたので、そこまで大きな喜びはなくて、よりいっそう気持ちを引き締めていくだけ、という感じがしています。

  

   
 ずっと誰かに守られて、最近ではなのはなに守られて生きてきたけれど、今度は私が守れるようになる番です。

 ここから、知識と経験を積んで、人間性を磨いて、私が誰かを守る番です。ソーシャルファームというまだ見ぬ誰かの居場所を、苦しさを抱えるまだ見ぬ誰かの存在を、私にできる分野で、守ります。そのための修行に今出ている、という気持ちで、日々を過ごします。いつどう自分の力が必要とされても、待ってました! と言えるように自分を鍛えていきます。

 この五科目合格が、どうか、私が力になれる、道を求めるまだ見ぬ誰かに繋がりますように。