【12月号①】「私たちの生き方を表現する手段 ―― ウィンターコンサートに向かう日々、私たちが生きる答えを見つけて ――」なお


  
 
ウィンターコンサートに向けて、通し練習がはじまりました。脚本の第一稿が完成した翌週の土日に第一回の通し練習を行い、そこから毎週末が通し練習になっています。

 音楽劇の通し練習の面白さは、微に入り細に入りディティールを磨き上げていくことです。自分の役割だけにこもらず視野を広く持ち、三時間のすべてを自分の表現の場として集中力と気持ちを保ち続ける。それは、簡単なことではありません。

 しかし、その時間が自分を成長させる大切なものだと思います。私たちの表現の場は、演奏しているとき、ダンスをするとき、演技をするときだけではありません。

 大道具小道具を出す黒子のときも、出番を待機している舞台袖でも、着替えをしている控室でも、どこにいても自分たちは表現をしていて、それがあふれ出していくから、感動が生まれます。反対に言うと、自分ひとりが舞台袖で気持ちを緩めて、“出番ではないです”という空気を出していたら、それはなのはなのステージにはなりません。

  
 
 
 舞台の隅々にまでに、自分たちの生き方を表現していくことなのだと感じます。よく生きたい、どうかよく生きさせてください、そう願い祈るような気持ち。

 ステージを良いものにするために、みんなが三時間表現者であること、自分にこもらず、拘らず、良いステージを作る、その気持ちを私は通し練習で作りたいと思いました。

■同じ景色を見て

 通し練習の準備として、平日に劇のシーン作り(演出を考えて練習をしていく)をし、ダンスや劇の出やはけ方の練習をしました。

 出はけは、勝央文化ホールを想定して、何幕を使うのかを決めます。そしてタイミングも、“ここしかな”という間で、出る練習も一曲一曲、密に練習をしていきます。曲から劇へ、劇から曲へ。

 次はどんなシーンなのか、みんなで同じ景色と気持ちを持って出ます。演奏や劇をいかに引き立てるかは、つなぎの間の秒単位で違ってきます。
  
 

 ただ漫然と出るのと、次の場面につなぐために神経を研ぎ澄ませてタイミングをはかり空気を作って出るのとでは、がらっと見え方が変わります。

 私は今回役者をしているので、出のタイミングは特に意識をしています。先日、前回のウィンターコンサートを編集したブルーレイを見たときにあらためて感じたことは、曲と劇のつなぎの大切さです。

 ぶつ切れにならず、そのつなぎ目がみえないくらいスムーズに、一連のものになるようにしていきたいと思いました。通しを重ねていくと、どんどんと転換がはやく、かつ自然なものになっていきます。

 照明のかにちゃんがまず役者だけを照らす照明を作って楽器のはけと同時に演技がはじめられるように考えてくれたり、演出を工夫して、演奏と重ねるように出たり、はけたり。

 そういう小さな工夫が生まれたとき、見え方は大きく良い形に進化していきます。一瞬の、ほんの数秒の違いが、ぐっと洗練された劇になるか否かにかかわるのです。通し練習には、そういったディティールを磨く練習の面白さと喜びを感じる瞬間がいくつもあります。

 小道具大道具の置き場所も、ホールを前提に決めます。小道具を出す、それもまた表現の一つです。

 お父さんが、丸椅子一つ持つのも、全員が同じ姿勢で整然と出さないと雑味になるのだと教えてくれます。黒子の出はけも、何度も通し練習で繰り返して作り上げていきます。
  

  
 衣装の着替えはスムーズにいくのか、曲とシーンが合うのかなども、通し練習を通じてみていきます。通し練習をしてみて曲順を変えた方が良いと気づくこともよくあります。

 曲順を入れ替えてぴたりとあるべきシーンにあてはまったとき、このシーンのための曲だったのか! と、あるべき形にみんなでたどり着いた気持ちなります。そしてますます、その曲を好きになり、劇の場面と重ねて気持ちを入れて表現することができます。

■役そのものになる

 十二月初旬となるといよいよ曲順も固まってきています。直近で曲順が変わったもののひとつに『ボーンズ』があるのですが、これも当初の流れとは異なるシーンにあてはまり、曲順変更と共にダンサーも増え、踊っていてより楽しい曲になりました。

 私は演劇係として、役者として、通し練習に向かう中で、より自分の演じる『あさぎ』役を好きになっていきます。また演じる仲間とその役柄を好きになり、脚本を深めていけることをとても嬉しく思いました。

 お父さんが書いてくれた脚本に本当に魂が宿るのは、私たちが自分の人生をかけてその役を演じたときです。キャラクターの設定はもちろん自分とまったくのイコールではないけれど、心のありようは、イコールです。

 私そのもの、なのはなの一人ひとりそのものです。だから、役者として必要なのは演じ方をあれこれ考えるのではなく(もちろん、伝わる演技として基本的な技術はあるけれど)、脚本を理解して心に落とし込んでいくことが、良い演技への道なのだと思います。

  

  
 演じるけれど、演じない、それが私たちの演劇です。自分がかつて感じていたこと、現在進行形で感じていること、解決すべき問題、どう回復していくのかということから逃げないで、向き合っていったとき、演技ではなく役そのものになれるのだと感じます。

■成長過程

 今回、物語を一緒に旅する主要役者は四人です。一人ではなく、その四人でチームとなって、一緒に考えて、気持ちを作っていけることが心強いです。

 そして、役者はたまたま自分だけれど、すべてのセリフはなのはなの全員で伝えているということが大きな力になります。通し練習をしていて、あゆちゃんが何度も伝えてくれたのが、「役者の人と同じ景色をみんなが見て、登場人物のセリフを自分のこととして気持ちを向けること」。

   

 私はひとりであさぎという役を演じているのではなく、みんなの思いがセリフを後押しし、そこに説得力を持たせてくれているのだと感じられることが嬉しいです。私もまた、誰かほかの人が話しているセリフや見ている景色をともに描いていたいと思いました。

 通し練習が終わると毎回、もっと良くしたい、もっと良くできるはず、と感じます。自分の気持ちの粘りの足りなさや、ミスをしてしまったことに悔しさを感じたり、次回の通しに向けて一段よくしていくための改善点が見つかったという嬉しい発見があったり、まだまだだと常に思います。

 しかし、そのことを悲観せず、未完成の今を精一杯味わって、ベストを尽くしていきたいと感じます。どこまでいっても完成形、ゴールはない、とお父さんも話してくれます。ウィンターコンサートの音楽劇はいま、未完成の状態から少しずつ成長していっています。個人としても、全体としても、その成長過程にあります。

  

  

 コンサートまでのカウントダウンも、いよいよ二十日を切りました。通し練習ができる週末も、あと二回。より緻密に、より精度高く、より深く、より鮮やかに、舞台を作れるように、全員で向かっていきます。