「どんな景色が見えるのか」 えつこ

10月18日

 コンサートに向かって、楽器やコーラスを練習しているとき、自分のできなさに悔しい思いをするけれど、それをなんとか乗り越えたいと必死になっているとき、生きている喜びを感じます。

 昨日のことになってしまうのですが、日中にアンサンブル練習の時間をもらい、貴重な時間なのだから1秒たりとも無駄にしたくないと、必死で練習をした時間がとても楽しかったです。

 私は、トロンボーンで、とても高いハードルを感じています。パートリーダーのこと、アンサンブル4曲、バンド曲など、今までのコンサートで一番トロンボーンを吹く曲が多くて、それぞれに難しくて、時間のやりくりが難しいのですが、そんなとき、お父さんの、
「条件が揃わないなかで何かを成し遂げなくてはいけないのが普通だ」
 という言葉に救われています。自分の能力が足りなかったり、他にもやるべきことがある中で、ベストを尽くしたいです。

 特に、『動物の謝肉祭』の『ライオンの行進』をとても難しく感じています。今までに吹いたことがないような連符があり、今、とても苦戦しています。1小節をさらに4分の1に分割して、テンポ60から、少しずつ原曲の144に近づけていく練習をしています。しかし、なかなか出来るようにならず、そこにほとんどの練習時間を割いてしまい、他にも練習するべきところはたくさんあるのにと、焦っています。
 本当は、ライオンの雄叫びのようになめらかに美しく吹きたいのだけれど、1つ1つの音をちゃんと吹きたいと思いすぎてしまって、音が切れ切れになっておかしくなってしまいます。なかなかできない悔しさに、書いていても泣きそうになってしまいます。だけど、できるイメージを持って、諦めずに粘り強く練習します。

 そんな風に、歯がゆい思いをしていますが、『動物の謝肉祭』はとても大好きな曲なので、今のメンバーと演奏できることがとても嬉しいし、絶対に吹けるようになりたいです。乗り越えられるハードルだから与えられたのだと信じて、今、練習しています。
 私がなのはなに来たばかりのころ、はじめてなのはなのアンサンブルを聴いたのが『動物の謝肉祭』で、レベルの高さに驚き、私もこんな風に演奏できるようになりたいと、夢をもらった曲です。私が『動物の謝肉祭』に夢をもらったように、誰かに夢を与える側として演奏したいです。

 午前の時間で、個人練習と、アンサンブル曲全曲の合わせを、回しました。今週は、『イルヴェント・ドーロ』をブラッシュアップする週にしたいと、さとみちゃんが話してくれました。今、吹くことに必死になってしまっていますが、この曲は、動きもつきます。重点的に練習をしました。

 アルトサックスのメロディーに対する合いの手のように、トロンボーンとサックスがメロディーを吹くところがありますが、そこが、
「唐突になってしまっている。前後のメロディーを聴くこと」
 と、さとみちゃんがアドバイスをくれました。これはまた、この曲だけではない、私がずっと長いあいだ感じている課題です。視野が狭くて、自分のことに必死になってしまい、周りが見えなくなってしまう。ちゃんと繋がって聞こえるように、前の人のメロディーを聴いてから、自分が出るところは出て、次の人へ受け渡す。本当に、トロンボーンが全てを教えてくれるなと、アンサンブルをしていて感じます。

 他にも、タンギングを柔らかくするところとしっかりとするところのメリハリをつけることなど、さとみちゃんがアドバイスをくれました。やろうとすると、なかなか思うようにできなくて、猛練習が必要です。

 また、この曲では、さくらちゃんが、キーボードで、複雑な旋律を弾いています。リズムが複雑で、テンポキープが難しいです。さくらちゃんに対して、「両手で弾いてみたらどうかな」などと、どうしたら良くなるかを瞬時に判断してアドバイスをするさとみちゃんの美意識が本当に格好良くて、さとみちゃんにとてもとても憧れていて、さとみちゃんから少しでも吸収したいと、一緒に練習する時間が本当に楽しいです。さとみちゃんは、キーボードを弾かなくても、トロンボーンを吹かなくても、あるべき音が、さとみちゃんの中ではっきりとしていて、それをわかりやすく言葉にして、さとみちゃんの教えてくれた通りに吹くと、曲のイメージに近づくのが本当にすごくて尊敬しています。キーボードが弾けるからわかる、トロンボーンが吹けるからわかる、ということではなくて、さとみちゃんの美意識なんだと、思いました。私もさとみちゃんの美意識の高さに少しでも近づきたいです。

 私は、視野が狭くて、自分の音ばかりになりがちです。それは、演奏のときだけじゃなくて、普段もそうです。その欠点を、直していきたいです。複数の楽器の音が重なって、ひとつの音楽になる。どのパートにも役割がある。しかし、それぞれがお互いを思いやらずに自分のパートだけ見ていたら、それは音楽にならない。お互いの音があってこそ、音楽が成り立つ。私は音楽を作るピースの1つ。

 決められた音を吹くだけでは、つまらなくて、何のために音楽をやっているのかわからない。ちゃんと、この音を聴かせたいからこの音を吹くのだという、意志を持って吹けるようになりたいです。音楽は、利他心で成り立つものなのだと、こうして、あるべき音楽を目指して練習していると、感じます。音楽を通して、私に足りない利他心を自分の中に入れたいです。

 『動物の謝肉祭』も、『ライオンの行進』と『カンガルー』を合わせました。練習すればするほど、『動物の謝肉祭』が大好きな気持ちが深まります。音だけで、動物の姿が思い浮かぶような音楽を作ることが、本当に凄いと思います。この曲を演奏できるようになろうと必死になって練習することで、作曲者の心意気も自分の中に入り、より見える世界が広がっていくように感じて、そこも、音楽の大好きなところです。

 『カンガルー』は、本当に、静かな緑の自然の中でカンガルーが飛び跳ねている光景が目に浮かぶような音楽です。複雑な動きのある楽譜ではないですが、だからこそ、より軽やかに吹くところとねっとりと吹くところのメリハリをつけて聴いていて面白い音楽にすることが難しくて、難しいからこそ、理想の音楽を目指すことがとても楽しいです。

 『カンガルー』の練習のときに、さとみちゃんがイメージを伝えてくれて、そのイメージがとてもわくわくして楽しくてわかりやすかったです。
 軽やかに跳ねるような音を吹いたあと、静かに伸ばすところがあります。そこは、「ふかふかのポケットの中でカンガルーの赤ちゃんがすやすやと眠っているイメージ」と、さとみちゃんが話してくれました。その言葉を聴いて、光景が映像として思い浮かび、吹きやすくなりました。聴いている人に、光景が映像として思い浮かぶような音が吹きたいと思いました。

 また、クレッシェンドの最後の音を最大限に大きくすることで、次の小さな音がより静かに聞こえるようにする、ということも教えてくれました。

 私の中で大収穫だったのは、
「音の大小や、高い低いは、上下のイメージではなくて、横軸のイメージ。音波を表す線のように、低い音は波が大きくなって、高い音は波が細かくなる。でも、上下には動かなくて、線はずっと一定のところに軸がある」
 と、教えてくれたのが、私にとって収穫でした。頭の中で、音を強めたり弱めたり、音を高くしたり低くしたりするのを、上下のイメージとしてとらえていたから、私は音程がぶれやすかったのだと、気がつきました。

 また、溝にはまってしまった軽トラを押すイメージだとも教えてくれました。
「軽トラを押す力を弱めてしまうと、軽トラはまた下がってきてしまう。軽トラを押し続けなくてはいけない。同じように、音を小さくするときも、軽トラは押し続けている」
 この例えがとてもわかりやすかったです。これを、『軽トラ理論』だと教えてくれました。さとみちゃんとのアンサンブル練習は、いつも、収穫があって、ときめきがあって、楽しいです。

 また、たくさん合わせをする中で思ったのが、私は、個人練習の時間を多く取りたくなってしまいますが、合わせをしながら上達する部分があるから、合わせの時間が本当に大切なのだということです。

 個人練習をしたい、ちゃんと吹けるようになってから合わせをしたい、というのも、自分にこだわった利己的な気持ちなのだと思いました。どこか、吹けなくて格好悪いところを見せたくないと、評価を気にする気持ちがあったと思います。個人練習を多くすることも、もちろん大切です。しかし、音楽は、個人プレイではなくてチームプレイです。

 合わせをすることで、他の楽器の動きがわかり、その中での自分の役割をよりはっきりと自覚できます。また、苦手な箇所を取り出して繰り返し吹いたら吹けても、通してみたら吹けないということもあり、通しの流れの中でも吹けるようになるという、訓練にもなります。

 夜、日中に練習したことを出来るようにしようと、個人練習をしていたら、自分のできなさが悔しくて、ボロボロと涙が出てきてしまって、音が吹けなくて、座ってしまいました。ちょうどそのときに、なるちゃんがサックスの練習をしに音楽室に来て、何も言わなくて、ただ、なるちゃんが個人練習をしに来たというだけなのですが、それだけで、救われた気持ちになって、再び立ち上がって、涙を拭いて、また練習に向かいました。なるちゃんの、甘えがなくて、目の前のことに淡々と謙虚に向かう姿勢を見て、泣いている場合ではないと、励まされました。

 出来なくて悔しいと思ったり、未熟さを感じたり、たくさんありますが、もっと良くなろう、理想に近づこうと、必死に生きている今が、楽しいです。このハードルを乗り越えたら、どんな景色が見えるのか、とても楽しみです。