3月14日
午後からは、まえちゃんたちとジャガイモの畑の畝立てでした。
畝立てと言うと、今までは苦手意識が強かったです。疲れるのが怖かったからです。
今日の私のコンディション的に、外に出たはいいが畝たてを最後までできるか、できないかは五分五分といったところでした。
私は、できても、できなくてもいいから、とりあえずみんなの中にいってやってみよう。と思いました。
いざクワを握って畑へ。まずは魚取り裏から。
みんなが午前中に進めてくれていた分もあり、みんなで入るとあっという間にならしまで終わりました。久しぶりの畝たては懐かしく感じたのですが、今日は、今までとは違いました。今までは、楽しい<辛いだったのが、楽しい>辛いになったことです。ウィンターコンサートと毎日のランニングで気持ちの粘りがついたこと、身体が使いやすくなっていることを実感しました。
今日は、何も余計なことを考えず、ただ目の前の土とクワを見つめ続けて、目の前のことに一生懸命、無心でいられました。良い意味で何も考えないと、身体が軽くて、自分に拘らなくて良くて、目の前のことをひたすら一生懸命にやることが楽しく感じました。
今日の暖かい陽気、涼しく吹き込む風、雲一つ無い青空が今日の私の心を体現しているようでした。
自分に拘ることをやめて、良いジャガイモを作る、良い畝を作る!
手を抜かず真っ直ぐに土を掘り下げて、畝間に土が残らないようにする。自分が切った端にプライドを持って行いました。良いジャガイモ、豊作祈願。それだけ考えて、自分から離れて動き続ける時間が楽でした。
まえちゃんが進めてくれるてきぱきとした空気と、さくらちゃんの的確で優しい指示、みんなの声かけとが一体となって、すごく気持ちが良かったです。
この頃は、自己否定や被害感情、競争心が辛かったです。全て、自分に拘ることが原因でした。
私は、同い年のあやちゃんやゆうなちゃんと比べて落ち込むことがよくあります。
たとえば、「2人は種まきができるのに、私はできない。2人は桃の摘雷の作業だけど、私は大人数作業。2人はSNSチームを任されていたこともあったし、写真写りも良くて、かわいいけれど、私はそうじゃない。」
違うところを見つけては、自分と比べて落ち込んでいました。私といったら○○、みたいなものが何もなくて、どうせ私は何もできない、名前も呼ばれない無能なんだと思っていました。
でも今日気づきました。私は、役職、ステータスのようなものを欲しがっていたこと。人より優位に立たなければ気が済まなかったこと。自分の欲でしかなかったこと。
何か与えられた役割があったら、私は輝けると思っていました。ステータスや資格があったら、安心できると思っていました。桃の作業で呼ばれなくて残念に思ったことも、自分の欲でしか無かったと思いました。人より優位に立ちたくて、その物差しを作業を見る目にも使っていて、自分が満足したいと思っていました。
けれど、それらは全て間違った考えでした。
楽しいことは、目の前にありました。目の前の仲間と目の前の畑作業がこんなに楽しい、気持ちよいことだと知らなかったです。自分の欲を捨てて、足下を見ると、正しい考えがすとんと落ちてきました。
畑では、自分から離れて良い作物を作ることだけ考えるから、人より上とか下とか関係無く、自分が透明になれました。自己否定や被害感情、競争心から解放されました。
「自分がどんなに人より下でも、汚れても、疲れても、それでいいじゃん。ただし、私の作った畝は誰よりも緻密で綺麗に仕上げる!」
須原さんが耕してくださった土がフカフカで、鍬を入れるとサクサクっと、クッキー生地をヘラで混ぜるみたいでした。全身の力が、均等に余すことなく注がれている感じがしました。
作業が気持ち良いくらいテンポ良く進んで、今日は魚取り裏、夕の子東と夕の子、山畑上下の5枚の畝を完成させることができました!
夕方の畑はまだ昼間のように明るく、清々しい空気でした。達成感。あのときの光景は空の水色が印象的です。
確かに私にはまだできないことがたくさんあり、未熟なこと、治すべき課題も山積みです。それでも仲間がいつも変わらない態度で助けてくれます。
どんなにズタボロでも、もうだめだと思っても、みんなが拾い上げてくれて、カバーしてくれて、いつも通りのみんなでいてくれるから、私は生かされているなと思います。
できないところを分析したり、がっかりすることより、目の前のことに一生懸命になろうと思いました。そうやって前向きに突き進んで、いつか振り返ったときに自分のできないところが埋まっているといいなと思います。
